元気スペシャル 今年こそ勝利の年に 16年目をむかえる新基地建設反対のたたかい 沖縄・辺野古
沖縄県名護市辺野古沖に、新基地建設が計画されて15年。「建設反対」の県民世論が高まるなか、日本政府は昨年末、環境影響評価書を強行に提出しました。
たたかいは、正念場をむかえています。
全日本民医連は一月一二~一四日、第二五次辺野古支援・連帯行動をおこないました。
辺野古では、新基地建設計画以来、地元住民を中心とした建設反対の座り込みが続けられています。
座り込みがおこなわれている大浦湾をのぞむテント村で、今年九一歳になる嘉陽のオジー(嘉陽宗義さん)は、全国から集まった民医連の青年職員たちを前に、こう言いました。
「来年は、日本国中から基地が全部なくなった、という勝利ができればありがたい。ひとつご協力いただければと、この白髪頭をさげてお願いします」。
普天間基地の移設先として浮上
名護市辺野古沖に基地建設の計画があることが表面化したのは、一九九六年。前年に米兵による少女暴行事件が起き、県内は騒然。「米軍基地はもう要らない」という県民世論が沸騰し、八万五〇〇〇人もの県民らが参加する抗議集会も開かれました。
この事態を受け、日米両政府は米軍普天間基地を撤去する条件として、辺野古沖に海上基地を建設するという「県内移設」を決定しました。
非暴力でたたかいつづけた15年
辺野古の海を埋め立て、海上基地を建設するという計画に、名護市民らは猛抗議。工事着工を許さない座り込みのたたかいに立ち上がりました。
住民らのたたかいを前に、日米両政府は二〇〇六年、海上基地建設を断念。辺野古にある米軍の海兵隊基地・キャンプシュワブ沿岸を埋め立て、V字型の滑走路を建設する計画に転じました。
しかしこの計画も、辺野古の海を破壊するのは同じです。
「美(ちゅら)海に、人殺しの基地をつくらせてはならない」──こう語るのは、名護市議会議員の具志堅徹さん(日本共産党)です。「沖縄は、悲惨な戦争 を体験し、六〇年以上が経った。もしいま、新しい基地をつくったら、また沖縄が戦場への発進基地になってしまう。戦争をもう二度と繰り返すわけにはいかな い」と熱意を込めます。
1996年12月2日 |
県民の意思を無視し評価書提出
具志堅徹さん。「基地をなくして、人権や憲法が守られる国にしたい」 |
沖縄県ではいま、「基地の県内たらいまわしはごめんだ」という世論が高まっています。
おととし一一月の県知事選挙では、「沖縄に基地は要らない」という意思で県民世論は一致。当選した仲井眞弘多知事も、「辺野古への移設はむずかしい」と公言しました。
名護市では二〇一〇年一月に「建設反対」を掲げた稲嶺進市長が誕生。同年九月の市議選では具志堅さんら新基地建設反対の議員が一六議席となり、議会(定数二七)の過半数を占めました。
ところが、日本政府はこうした県民の意思を無視。昨年一二月二八日、新基地建設工事申請に必要な「環境影響評価書」を、強引に県庁に提出しました。
「いよいよ提出」と知った県民らは、前々日から県庁に集結。「提出するな」という県民らの抗議に直面した沖縄防衛局は、県民の抗議をかいくぐるため午前 四時に県庁におもむき、警備室に持ち込んで立ち去るという暴挙に出たのです。
県民の思いはひとつに
「今年こそ断念させたい」と東江さん |
この事態を受けて名護市議会は、一月一三日、臨時議会を開催。反対派一六人が「市民・県民の総 意を無視した評価書提出に対する抗議決議」を提出、公明党も賛成して可決しました。日本政府は今年六月頃をめどに、沖縄県知事に辺野古沿岸部の埋め立て工 事を申請、二〇一三年に着工しようとしています(一月末現在)。たたかいの正念場です。
沖縄医療生協名護支部の東江英明さんは、辺野古の海を見つめながら、「計画から一五年経ったが、私たちのたたかいで、辺野古の海に杭一本打たせてこなかった」と胸を張ります。
「おととしの県知事選挙以降、沖縄県民の思いは一つになった。『県民が一致団結すれば、建設計画を跳ね返すことができる』という確信が生まれたと思う。 県内をたらいまわしにしても、ダメなものはダメ。もうひとふんばりだ」
具志堅さんも「強引な評価書の提出は政府の悪あがき。いよいよ追いつめて、建設を断念させるときがきた」と語ります。
基地は閉鎖しかない
鉄条網が取りはらわれフェンスが立てられた辺野古の浜 |
昨年八月、沖縄防衛局は、名護分室を設置し六人の職員が任務につきました。同局は職員を将来的に四四人に増やす方針です。この増員は「名護市民に圧力をかけて、基地建設を強行するためではないか」とみられています。
全日本民医連は二〇〇四年から辺野古支援・連帯行動を継続して実施し、今年一月までにのべ一五〇〇人の職員が座り込みに参加してきました。
「ここまでがんばってこられたのは、全国の応援のおかげ。基地は『移設』ではなく、閉鎖しかない」
具志堅さんはそう言って、こぶしを強く握りしめました。
文・宮武真希記者/写真・豆塚 猛
いつでも元気 2012.3 No.245