民医連綱領 実践のゲンバを行く!!(10) “いのちの砦の病院を守れ” 全日本民医連が群馬・利根中央病院に医師支援
いのちと健康、人権を守ろうと民医連ががんばるおおもとには、綱領に掲げられた理念があります。綱領の実践を紹介する連載。一〇 回目は、医師不足により病院運営が困難に陥った、群馬・利根中央病院を守るために、群馬大学の医師と全国の民医連の医師と共同で、再生に向けて奮闘してい る話。
大学派遣医師の引き上げが契機に
常任理事 阿部さん |
二〇〇八年の一〇月、利根中央病院は、群馬大学から「医師不足による配置換え」を理由に、「二 〇〇九年三月末で派遣している医師を引き上げる」と通告を受けました。そして内科の派遣医師が八人引き上げ、外来や入院の規模も縮小。患者さんを他院へ紹 介せざるをえなくなり、患者さんや組合員の間に「病院はどうなってしまうんだ」「患者を見捨てるのか」などの混乱や不信感が広がりました。
利根保健生協常任理事の阿部由子さんの息子さんは、利根中央病院に定期通院をしていました。しかし、病院から転院を言い渡されました。「医師不足で仕方 なく他院へ紹介したんだろうけど、患者は追い出されたという気持ちになる」と振り返りました。
混乱から再生へ
地域世帯の7割が組合員加入している地域に根付いた病院(病院ホームページより) |
「管理部は勝手に方針を決める」「意見を言っても何も返答がない」など、以前から管理運営に対 して医師の間からも不満が出ていました。さらに派遣医師の引き上げが伝えられてから、これまで勤めてきた医師の中からも退職者が生まれるなど、再生の道は 険しいものとなりました。
しかしそのなかで、病院に残り医療を支え続けた医師たちの姿がありました。
二〇一一年一月八日、全日本民医連は、大学派遣の医師もふくめ、病院に残って奮闘している医師たちや、利根保健生協、利根中央病院の幹部と懇談をおこな いました。利根中央病院は、利根・沼田地区(人口約九万人)で、唯一・最大の総合病院です。病床数三三〇床、一日の外来人数八〇〇人で夜間救急受け入れも 四〇人以上と、他の病院が代わることのできない大きな役割を担ってきました。医師が激減したなかでも、なんとしてでも地域医療を守らなければなりません。 利根中央病院がなくなることは、文字通り住民のいのちの砦が消えることを意味しているからです。
懇談の結果、全日本民医連は今年四月から一年間、群馬民医連内をふくめた五人の医師を全国から派遣し支援することを決定。一年間かけて病院の再生への足 がかりとすることになりました。どこの病院・診療所も医師体制がきびしいなかで、全国から多くの民医連の医師たちが「利根・沼田地域の医療を守ろう」と立 ち上がりました。
変わっていく利根中央病院
半年間の支援にかけつけた長野医師 |
民医連の医師支援を受け、病院に変化が生まれています。「それまでは『事例にこだわる』『患者 の人権を尊重する』ということについて、理解が不十分な看護師もいました」と、金子れい子看護部長。「でも支援に来た医師が、高齢で食事が十分に食べられ ないある患者さんの治療方針について、『食べられなければ栄養補給のために、すぐ中心静脈カテーテル(中心静脈から栄養を送る管)の挿入や、胃ろう(胃に 直接栄養を送る管)を造設することになりやすい。しかしそうではなく、まず患者や家族がなにを求めているのかをよく聞きとり、つかむ必要があるんじゃない か』と発言したんです。それを聞いた看護師たちは『それが患者さんの人権を尊重するということなんだ』との気づきになりました」。
再生に向けた決意を語る糸賀院長 |
四月から九月までの要請を受けて支援にかけつけた、東京・立川相互病院の長野佳世子医師(外科)も「支援にきた当初は混乱もありましたが、いまは医師体制も整い、診療の連携もとれるようになりました。再生にむけた職員の一体感を感じます」と語っています。
「支援にきてくれた民医連の医師の働く姿を見ていると、がんばろうという気持ちになります。医局の雰囲気もずいぶん明るくなりました」と話す糸賀俊一院長 は、「これからは患者さんから寄せられる、『この病院がなくなると困る』というたくさんの声に応えなければなりません。他院へ紹介した患者さんや、離れて いった患者さんに、もう一度『利根中央病院は自分たちの病院なんだ』と思ってもらえるようにアピールしなければ」と決意を語りました。
地域の力を借りて再生の道へ
取材で訪れた8月4日、病院前の通りで「沼田まつり」がおこなわれていた |
利根中央病院の前身となる利根中央診療所ができたのは、一九六四年。当時、一〇万人の人口に対 して医療機関のベッド数は七三(全国平均一五九)しかなく、高血圧患者の管理はおろか、ぜん息患者も発作時以外は放置され、「医師にかかるのは死亡診断書 を書いてもらうときだけ」という家庭が珍しくなかったといいます。こうした現状を変えようと、地域の要求で生まれたのが利根保健生協です。今日、利根・沼 田地域の全世帯の七割が同保健生協の組合員です。
いのちの砦へと成長した病院を守り、発展させることがどうしても必要。地域の力を借りながら、職員・組合員が一丸となって再生へと前進できるかどうか、いまがふんばりどきです。
文・安井圭太記者/写真・五味明憲
いつでも元気 2011.10 No.240