元気スペシャル 炊き出しで被災地に笑顔 ――宮城・移動なんでも相談会
東日本大震災に心を痛めながら、多くの方々が自問しています。「自分には何ができるのだろう」。
多くのボランティアが被災地に出向き、がれきの撤去や家屋の片付け・修理などの作業に汗を流しています。
被災者に思いを寄せ、全国に広がる支援の輪。まずは被災者を対象に開かれた「移動なんでも相談会」のとりくみから。
冷めた食事がつづくなか、牛丼や豚汁のようなあたたかい食事が待たれていた |
五月の連休明けに始まった「移動なんでも相談会」。宮城県災害対策連絡会と全国労働組合総連合(全労連)、農民運動全国連合会(農民連)、全日本民医連などでつくる「東日本大震災共同支援センター」がとりくんでいます。
初回となった五月一四日の石巻市につづき、二一日は仙台市若林区の六郷中学校でおこなわれました。同中学校の体育館では、いまだに約一七〇人の方々が避難所生活を送っています。
3時間に950人
開催の前日、周辺地域に三五〇〇枚のチラシを配布、宣伝カーも走らせました。当日は約九五〇人の方が会場を訪れました。民医連からは八五人がスタッフとして参加しました。
開始時刻の一一時を過ぎると、おむつや衣類、食料品などの救援物資を求めて人だかりができました。山と積まれた物資がどんどん引き取られていきます。ベビーカーに子どもを乗せた家族連れが多く見られました。
この日の炊き出しは、宮城民医連のセントラルキッチンが牛丼五〇〇食を用意。山形から駆けつけた農民連の庄内産直センターは、豚汁六〇〇食を提供しました。
食事を口にする被災者の表情がほころびます。体育館で避難所生活をしているという男子中学生は、「完璧。吉野家よりうまい」と、記者におどけた表情を見 せてくれました。ほかの男性に話を聞くと、「弁当が出ているが、冷めているので食がすすまない人もいる」とのこと。おにぎりやパンなどの冷めた食料がつづ く避難所生活だけに、あたたかい食事が求められていました。
遠慮する被災者も
血圧を測りながら、じっくり話を聞く医療・健康相談のスタッフ |
当日は労働相談や法律相談、農業相談、医療・健康相談のコーナーも設けられました。医療・健康相談は民医連が担当。三時間で約三〇人が訪れました。
森圭介さんは、奈良・土庫病院の看護師。血圧を測りながら、相談者の訴えに真摯に耳を傾けました。
「ほとんどの方が眠れないと訴えていました。被災地は震災によるがれきも片付いていませんが、被災者の心もまだまだ落ち着いてはいません」と森さん。 「不安な気持ちをはき出してもらうことで、少しでも負担を軽くしてあげられたらうれしい」と。
「物忘れが激しくなったり、頭がぼーっとすると訴える方が多くいる」と話すのは、神奈川・川崎医療生協の看護部長、木下和枝さんです。「ストレスが重なって、心身の変調が続いているようだ」と語ります。
木下さんは「相談会」を知らせるための宣伝行動にも参加しましたが、「『家を流された方に比べたらうちはまだましです』と来場を遠慮する方が多くいた」 ともいいます。「ほかの被災者を気遣って、『救援物資や炊き出しの列に並ぶのは申し訳ない』とおっしゃるのです。潜在的にはもっと大規模で大量の援助が必 要だということが、地域に入ってみるとわかりますね」。
アンケートで要求つかむ
宮城民医連では、地域住民の要求をつかむため、「要求・要望アンケート」を作成。この日「相談会」に来場した方のほか、周辺の住宅も訪問し、健康状態や仕事・生活上の要望などを聞きました。
「家屋が損壊したが直せないままでいる」「農機具が海水に浸かって使いものにならなくなった」など、深刻な声が寄せられました。
歯科医師として医療相談に応じた駒形貴さん(古川民主病院歯科)は、「今日も『治療費が心配で病院に行けなかった』という方がいました。被災者は窓口負担なしで受診できることになったのに」と表情をくもらせます。
そんな必要最低限の情報すら届いていない現実。被災者に丁寧に寄り添い、生活の再建を手助けする道のりは、まだ始まったばかりです。
文と写真・武田力記者
安否確認、「お助け隊」出動
6日間で組合員宅1737軒を訪問 浜通り医療生協(福島)
「地震後、体調はいかがですか」と声をかけて |
震災と原発事故という二重の被災地となった福島県の浜通り医療生協は四月二五~三〇日、医療生 協組合員訪問をおこないました。訪問の目的は(1)支部や班などに組織されていない組合員の安否と被災状況の確認、(2)健康・生活相談、(3)医療生協 や行政に対しての要望・要求を把握する、という三点です。いわき市の浜側の地域を中心に訪問し、六日間で一七三七軒・九七二人と対話しました。
要求にこたえて「お助け隊」出動
訪問行動では、組合員さんの安否と、独居や障害があるためにいざというときに自力では避難できない組合員さんがいないかということも、たずねていきまし た。「庭の塀が倒れたが動かせない」「風呂場の壁が崩れた。入浴できないのでなおしてほしい」「床下浸水した。畳をあげて床下に石灰をまいてほしい」「開 かなくなった扉をなおしてほしい」などの声が出されたお宅には、数名で「お助け隊」チームを編成し再度訪問しました。妊婦がいるため水の確保を心配されて いた組合員さん宅には、支援物資で寄せられた水を届けました。
医学生も大活躍
今回の行動には、福島県立医大の学生四人が参加。「お助け隊」として大活躍しました。以前に福島県連がおこなった避難所の炊き出しにボランティアとして参加した学生が中心になって、今回の行動に参加してくれたのです。
医学生四人と福島県民医連医学生担当の熊谷智さん、同県連事務局員の町田理恵子さんの六人で、「風呂場の壁が崩れ落ちたために風呂が使えず、困ってい る」という組合員さん宅を訪問。崩れた壁を運び出し、ベニヤ板を打ちつけて修繕しました「すぐに駆けつけてくれて、頼りになるわ。ありがとう」との言葉 に、学生たちも地域の方の期待を肌で感じることができたようです。
この訪問行動には、のべ二七三人が参加しました。福島県連と小名浜生協病院職員、浜通り医療生協組合員・理事のほか、東京民医連・千葉民医連・茨城民医連の職員が参加しました。
(東京民医連・吉田孝喜)
壁にベニヤ板をうちつける医学生たち | 作業終了後に組合員さんと |
全国に広がる支援活動
私たちにもできることがある!
街頭に出て訴えを 千葉
当友の会では「東日本大震災支援の会」をつくり、募金活動などにとりくんでいます。震災発生からちょうど一カ月経った四月一一日、スーパーの前で一四人が参加して募金を訴えました。
被災地支援から帰った今村隆嗣事務局員がマイクを握って生々しい報告。現地の写真をボードにはって、視覚にも訴えました。そのほか、まくはり診療所前やJR幕張駅前でも街頭募金活動をしています。
「仙台に親戚がいて、二人亡くなり、 一人は行方不明」といいながらカンパをくださる方や、小銭のぎっしりつまった袋を置いていった方などもいました。
参加者のひとりは、「初めての経験だけど、地域の人はあったかいね」と。行動した私たちも元気づけられました。
(千葉健生病院健康友の会 伊藤則子/写真・加藤準之助)
ふるさと ふるさとにはうたがあり、愛があり暮らしがあった “夢で有って欲しい” いつかふるさとは又私たちを迎えてくれる |
原発の問題点を学ぶ 北海道
東京電力福島第一原子力発電所の放射能汚染は、地域住民の生活を根底から破壊しました。函館も対岸二〇キロ先の青森県大間でプルサーマル原発を建設中であり、他人事ではありません。
四月一八日、二〇人が集まって原発の学習会を開きました。京都大学原子炉実験所の小出裕章先生が出演しているDVD「福島原発で何が起こっているのか」を見て、みんなで話し合いました。
今回の原発事故は、多くの科学者や市民の意見を無視して「安全神話」をねつ造した政・官・財・学のゆ着と、あくなき利潤追求が生み出した人災だというこ とがよくわかりました。情報公開が十分になされていない原子力行政の危険性、自然エネルギーへの転換の重要性も浮かび上がりました。
(北海道・道南勤医協きずな健康友の会 大田正春)
チャリティーバザー開催 岡山
当院では「現地支援には行けない私たちにもできることはないか」と、チャリティーバザーをおこないました。
四月二四日の日曜日、当院の駐車場と待合室を会場に店開き。職員と組合員が協力してやきそば、豚汁、ぜんざいを作ったり、品物を持ち寄ってフリーマー ケットをしました。看護部ではカレーを作って売りました。材料の野菜、お米などはすべてカンパ。本当にみんなの気持ちがこもったカレーです。待合室に山の ように集まった衣類、タオル、雑貨なども次々に売れました。三〇〇人以上の人が訪れ、全体で二〇万円以上の収益がありました。今後も私たちにできることを していきたいと思います。
(岡山東中央病院 白土博子)
医学生と被災地へ 香川
コミュニケーションをとりながら(香川) |
震災発生直後、早々と「被災地支援に行きたい」と言ってくれた医学生のTさんと、五月の連休中に被災地に入りました。
宮城・坂総合病院を拠点に避難所をまわり、困難を抱えた多くの方々と出会いました。ひとり暮らしの方や介護を必要とする家族がいる方、県営住宅で改修が ままならない方、住宅改修費がいくら補助されるかわからないため改修できない方など、避難所で暮らす理由はさまざまでした。
話を聞きながら、足浴やマッサージを実施。Tさんは水泳部のマネージャーを務めたことがあるそうで、その経験を存分に発揮しました。
気づくと、ケアしている私たちのほうが癒されていました。「コミュニケーションをとりながらケアをするから疲れないんですね」とTさん。
超ベテランの大山美宏医師(全日本民医連副会長)ら三人も合流。医師が並んで足を洗うなんて、民医連でしか見られない光景かもしれません。
(香川・高松平和病院医学生担当 末澤理恵)
気持ちやわらぐフットケア 福岡
さまざまな思いを話してくれた避難所の方がた(福岡) |
五月九~一五日、福岡県連第六次医療支援として、坂総合病院にある災害対策本部で医療支援活動をさせていただきました。主に医師や看護師、薬剤師の方がたと一緒に行動しました。
避難所を回り、慣れない避難所暮らしの中から不眠に悩む方や血圧があがっている方、視力が低下した方など見受けられました。震災から二カ月が過ぎても、 避難所の環境が改善されておらず、多くの被災者はフロアに毛布を敷いて過ごさざるをえない状態に置かれていました。足浴は好評で会話も弾み、徐々に今後の 不安や悩み、家族や知人を失った悲しみなども打ち明けてくださいました。大変な思いを抱えておられました。お話を聞くことしかできませんでしたが、最後に は笑顔で「ありがとう」といわれました。その言葉にこちら側が元気をもらったようで、疲れも感じませんでした。
避難所本部や避難所担当保健師とのカンファレンス(事例検討)では、避難所にいる妊婦の人数や悩みの把握などが不十分であることもわかりました。生活保 護や介護保険の申請にかかわる対応などは、災害対策本部で申し送りをするなど、私たち医療支援チームは被災者を中心とした、避難所と坂総合病院や地域の医 療福祉施設等の架け橋としての役割もあると実感。これからも、できうる支援をしていきます。
(福岡・健和会 岩本恵介)
支援報告に涙 東京
二〇一一年度北千住支部総会の記念講演で、被災地支援の報告をしてもらいました。講演したのは、震災発生直後に現地に入った、健和会医師部の高橋俊敬事 務局長。地面がうねっていた被災地のようす、津波で低体温症の患者さんが多かったこと、亡くなった一〇歳の少女の顔を清拭して涙したことなどを語ってくれ ました。臨場感あふれる報告に、目頭をおさえる参加者もいました。
当日の参加者は四五人でしたが、「本当に貴重なお話なので、もっと多くの方に聞いてもらいたい」との声が寄せられました。
(東京・足立健康友の会 大井民江)
避難所で相談会開く 神奈川
神奈川県川崎市にあるとどろきアリーナには、福島県からの避難者一〇〇人近くが生活しています。神奈川民医連では、神奈川県司法書士会がおこなっている 法律・生活相談会の日程にあわせて、「健康と医療の相談会」を開催しています。四月二六日には看護師と事務職員、五月二日には看護師とソーシャルワー カー、事務職員が相談をうけました。
五〇代の女性が、めまいの症状を訴えてお孫さんを連れて相談に。女性のご自宅は福島原発から三〇キロ以上離れてはいるものの、放射能の影響を心配して自 主避難している、といいます。いま、娘さんとお孫さんの三人で避難所生活を送っており、娘さんは避難所からアルバイトに通っているとのこと。たくさん支援 物資が届けられていますが、洗剤やシャンプー、石鹸などの生活用品は不足しがちで、「避難所で生活していくにも、現金は必要」と話します。不便な避難所生 活ですが、毎日入浴はできるそう。「地域の人がボランティアで炊き出しをやってくれて、本当に助かっている」との言葉に、ホッとしました。血圧は落ちつい ているものの、持病があり不安だとも話されていました。
相談会は、これまで昼の一時から三時の時間帯で開催していました。日中を避難所で過ごす人が少数だということがわかったので、六月の開催は午後五時からを予定しています。
(神奈川民医連・渡辺隆男)
「原子力発電所に関して福島県民・国民の声を届ける署名」にご協力を東日本大震災により起きた福島原発事故の収束も急務。福島県民医連と全日本民医連は、原発事故を1日も早く終わらせることや、福島第1・第2原発の廃炉、エネルギー政策の転換などを求める署名にとりくんでいます。お問い合わせは民医連加盟事務所まで。 |
いつでも元気 2011.7 No.237