被災地支援に全力
「初めて民医連を感じました」 福岡・親仁会
東日本で大地震が起きた日の夜、「医療支援隊を派遣したい」と当県連事務局長から電話がありました。翌朝、職員にアナウンスしたところ、看学対の管理師長と、急性期医療を専門にやってきた若い男性看護師などが名乗りをあげてくれました。
自動車で三六時間の陸路。現地では、治療の優先順序を決めるトリアージのチームに入ったり、続々と届く支援物資の運搬にとりくんだりしたようです。
私のもとには、その都度現地のようすを知らせるメールが送られてきました。想像を絶する光景、揺れ続ける大地、原発事故も重なり、「本当に送り出して良かったのか」との不安もよぎりました。
支援隊が戻ってくるのにあわせて、記者会見と市長への表敬訪問を準備。大牟田から支援に行く医療者はいなかったためか、NHKなどマスコミ全社が取り上げてくれました。
しかもふつうなら絶対に直接は会ってくれない大牟田市長とも面会でき、三人の労をねぎらってもらいました。
一連の行事が終わったところで、支援に行った男性看護師が「初めて民医連を感じました」と。思わず涙が出そうになりました。この体験が民医連への確信へとつながり、運動は引き継がれていくのだと感じました。
(井島英士)
募金の輪広がる 千葉健生病院健康友の会
当友の会では、三月一四日から東日本大震災の支援募金活動にとりくんでいます。
一八日午前はまくはり診療所前、午後はスーパーつるかめランド前でチラシを配りながら訴えました。
寒い日でしたが、親子でいっしょに募金してくれたり、高校生が千円札を出してくれたり、支援の輪が広がりました。
祖母からもらった高校入学祝い金一万円を、メッセージカードつきで送ってくれた中学生も…。また、「東北に旅行に行く予定だったが、返金されたので」と、五万円を友の会員に託してくださった方もいました。
救援隊として参加した山井医師の報告を聞く機会ももちました。「避難所の食料や燃料が不足している。かぜをひいている方が多くて心配」と。
千葉民医連は、被災地の坂総合病院友の会へメッセージと一〇万円の募金を送りました。これからも支援活動を続けます。
(伊藤則子通信員)
支援隊第1陣を見送る 長崎健康友の会
三月一四日、長崎民医連からの被災地支援第一陣が上戸町病院を出発しました。医師の宮崎幸哉・健友会理事長、看護師、理学療法士、事務の四人で、ワゴン車には支援物資や医薬品を満載しました。
三島一幸・上戸町病院院長が激励のあいさつをし、支援隊のみなさんが決意を述べました。多数の職員や患者さん、友の会員が大きな拍手で見送りました。支援隊は門司まで陸路、フェリーで東京へ行き、また陸路で宮城に入るとのこと。
国をあげて、一人でも多くの方の救援に万全を期してもらいたいと思います。私たちもできる限りの支援をするつもりです。
(山之口努通信員)
帰着後に報告会 徳島民医連
徳島県連では三月一五~一九日、被災地へ第一陣のスタッフを派遣しました。派遣されたのは、美馬一正・健生病院院長と、看護師、事務の三人です。
帰着後の二二日、さっそく報告会を開きました。三人は現地の厳しい実情を語り、引き続き支援が必要だということを訴えました。
入れ替わりに、二〇日から第二陣の四人が被災地に入りました。
(石川弘和)
各地のとりくみをお寄せください。編集の都合上短くする場合がありますが、三〇〇字で、写真もつけてください。毎月の締め切りは七日ごろです。
いつでも元気6月号No.236より
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