特集 憲法9条・25条輝く新しい福祉国家を 「必要にして十分」の原則をすべての社会保障分野に 新春対談 渡辺 治さん×藤末 衛さん
渡辺 治さん 一橋大学名誉教授。政治学、日本政治史専攻。著書・編著は、『日本国憲法「改正」史』(日本評論社)、『憲法九条と二五条・その力と可能性』(かもがわ出版)、『構造改革の時代』(花伝社)など多数。 |
藤末 衛さん 全日本民医連会長、内科医師。兵庫・神戸健康共和会理事長。 |
藤末 医療崩壊や介護崩壊、貧困と格差が広がっています。昨年(二〇一〇年)の総会で、全日本民医連は構造改革の一〇年をふり返り、このような時代だからこそ、憲法九条・二五条が生かされる「新しい福祉国家」を展望しようと方針に掲げました。
渡辺先生は「福祉国家と基本法研究会」の中心メンバーの一人として社会保障基本法案の起草に携わっておられますね。
渡辺 他の先進国でも構造改革はおこなわれています。しかし日本では、おっしゃるような被害が、餓死や自殺、虐待などの形で、とりわけ顕著に現れています。
日本でこれほど被害が深刻なのは、戦争の経験をふまえてすばらしい憲法を持ったのに、その中身を実現するような福祉国家をつくったことがなかったため、 構造改革の被害の歯止めとなる社会保障が弱いからです。そのツケが現れている。
ですから、日本では構造改革政治を止めて福祉国家を実現することがいっそう切実な焦眉の課題となっていると考えて、とりくんでいます。
政権交代をもたらした国民の力
藤末 構造改革以前は、いまほど貧困や社会保障の不備は、国民的な認識になっていませんでした。
渡辺 戦後の日本は福祉国家ではありませんでしたが、企業と自 民党政治が貧困を隠していました。日本の企業は労働者を過労死するほど働かせるかわりに、「終身雇用」を保障した。地方に対しては自民党の利益誘導型政治 で公共事業投資がばらまかれ、間接的に雇用が増やされました。国民皆保険制度に代表される社会保障制度も、国民の運動に押されて保守政権がいやいやつくっ てきたのです。
しかし九〇年代からアメリカ、中国を巻き込んだ世界的競争の時代が到来し、「国際競争力強化」の名で構造改革が始まると、企業は「終身雇用」を捨て、正 規の労働者をどんどんリストラし、非正規労働者を入れた。また、大企業の負担を減らすために、地方への公共事業投資も、ただでさえ脆弱な社会保障も切り捨 てた。福祉国家の「傘」がないところに企業の傘、地方の傘も切り捨てたのですから、深刻な被害が現れたのは当然です。
藤末 国民の意識にも、変化が起きましたね。
渡辺 構造改革の被害が大きくなったため、「こんな政治を変えたい」という意識が国民の中に広がりました。これが後期高齢者医療制度廃止や反貧困の運動の高揚をもたらし、政権交代をもたらした一つの大きな力になったと思います。
民主党政権のジグザグの背景
国民の世論と運動が政権交代をもたらした(08年12月、都内の集会デモ) |
藤末 政権は交代しましたが、なかなか政治が国民の願う方向に変わっていません。がっかりしたり、怒っている人も少なくないと思います。
渡辺 民主党は構造改革政治を止めてほしいという国民の期待を背に政権につきましたが、構造改革を転換する福祉国家の構想を持っているわけではありません。これが民主党政権がジグザグを繰り返してきた原因でしょう。
ただ、鳩山政権は自公政権が続けてきた軍事大国化や構造改革の路線を逸脱するような動きを見せました。戦後の歴代首相の中で米軍基地の国外移転を追求し たり、子ども手当や生活保護の母子加算復活など、構造改革を壊すような政治を一部でもやろうとしたのは初めてです。
「財源はどうするんだ」と財界に猛反発されましたが、鳩山さんは首相の間、ついに「消費税を上げる」と言えなかった。米軍普天間基地問題でもアメリカの 圧力を受けながら、辺野古「移設」以外の道を探って粘った。これらは運動の力です。
日米同盟のない日本、福祉の日本を展望できなかった鳩山首相は、結局圧力に屈して辞任に追い込まれましたが、背景には国民の失望だけではなく、「このま ま鳩山にまかせたら大変だ」という財界やアメリカの危機感、焦りがあった。
かわった菅政権は、鳩山政権の逸脱を修正することを期待されて誕生しました。菅政権が発足直後から消費税増税、普天間基地の辺野古「移設」を掲げたのは偶然ではありません。
参議院選挙での大敗北は、菅政権のめざす方向が必ずしも国民に支持されているわけではないことを示しましたが、背後に財界やアメリカの支持がありますから、いまさら後にも戻れない。
こうした民主党政権のジグザグの中で、国民は、構造改革にかわる別の道をいっそう切実に求めています。私たち運動をすすめる側がどんな国家をめざすの か、構造改革の対抗軸となる国家構想をしっかり持つことが必要です。
藤末 私たち全日本民医連は「医師数は絶対的不足」と訴え、増 員こそが社会保障全体の削減・抑制路線に対する突破口になると位置づけて、さまざまな方々と協力し、運動してきました。その結果、医学部定員が一二二一人 増え、これを民主党政権も引き継がざるを得なかった。社会保障には、その担い手も増やす必要があることが、少なくない国民の合意となりました。
しかし、いまはどこを向いても「国家財政は赤字だから消費税増税はやむをえない」という報道ばかり流され、「『小さな社会保障』でも仕方がないのでは」 と思わされている国民も増えています。この点をどう突破するかがカギですね。
要求を声にすることが国家構想づくりの力に
渡辺さん
まずはいっせい地方選挙ですね
藤末さん
新しい福祉国家の5つの柱
藤末 新しい福祉国家として、どんな構想をお持ちですか。
渡辺 五つの柱があります。
第一の柱は、憲法二五条を具体化した、社会保障制度と雇用を守る制度をつくることです。医療、介護、保育、障害者福祉、教育などの制度ごとに、人間の尊 厳にふさわしい最低限の水準を保障するという、社会保障の全体像を明らかにする。
「安定した強い雇用」も必要です。社会保障が充実しても、雇用の底が抜けていてはどうしようもないからです。期間の定めのない正規雇用を原則にし、失業保障の強化が不可欠です。
そして、社会保障の全領域に「必要にして十分」という原則を徹底します。医療の分野では国民皆保険制度のもとで「必要な医療を十分な形で提供する」こと が原則になっています。一方、介護保険にはこの原則は貫かれていません。いまの介護保険は限度額まであって「ここまでは支援しますが、これ以上は自費で」 というしくみです。財政面を優先させるのではなく、介護従事者の専門的な判断に基づいて、必要な介護を十分に提供するしくみに変えることが大事です。
第二は、社会保障をささえる財政の確立です。先進国の中で、日本ほど大企業の社会保障負担が軽い国はない。しかも、大企業を優遇する多くの特別措置が あって、決められている法人税よりも少ない額しか払っていないところが多い。大企業に相応の税金をきちんと負担してもらうしくみが重要です。
第三に、大企業中心の経済政策をやめ、中小地場産業中心の経済発展をはかる。大企業はもうけを「内部留保」の形でためこみ、使うところがないためアメリ カの国債まで買っている。そのお金を地域経済、地場産業にまわす。大企業本位の経済は行き詰まって長いですから、これを転換することです。
第四に、福祉国家の土台となるような自治体づくりです。社会保障は市町村が中心となってしっかり担い、財源は国が保障する。東京の石原都政や、大阪の橋 本府政のように、教育や社会保障を切り捨てる自治体であってはなりません。
第五の柱は憲法九条の具体化です。これは日本一国ではできません。尖閣諸島の領有権や、北朝鮮の韓国砲撃が問題となっているもとでは、日本も平和とはい えない。東アジア全体の軍縮をすすめ、問題を平和的に解決する国際関係づくりが必要です。
藤末 理念の明確化とそれを実現しうる経済、財政のあり方を提示するわけですね。
渡辺 財源をどうするのかというときに平和・軍縮も実現しなければ、社会保障の充実に費用をあてることはできません。
また、医療制度、あるいは介護制度だけを改善しても、人間らしいくらしは実現しません。いま、大企業優先・軍事大国化の政治が、あらゆる分野ですすめら れているわけですから、私たちも国の全体を考えて構想をつくりあげることが大事だと思います。
福祉国家づくりの担い手は
渡辺 福祉国家構想を練り上げる上では、民医連など社会保障の現場をよく知っている専門家や運動団体と、進歩的な知識人、そして国の全体像をどうするのか考えている政党、この三者が力を合わせることが必要だと考えています。
そして私たちは、他国にない大きな財産を持っています。たとえば、民医連のような医療従事者の運動が強い国は世界でも珍しく、国民皆保険制度を実現する上でも一つの大きな力になりました。
平和運動がこんなに強い国もありません。施行六〇年以上たっても、憲法九条の改悪を許していません。
憲法九条・二五条を大きな武器にしてたたかってきた運動が、福祉国家づくりの担い手になります。
藤末 社会保障充実を願う、地域住民の力も重要ですね。
渡辺 政権を交代させたのは、国民の力ですから。後期高齢者医療制度は制度実施後に怒りの声がいっそう大きくなり、民主党を方針転換させ、廃止を公約させた。生活保護の母子加算・老齢加算廃止や障害者自立支援法は憲法二五条違反だという「憲法裁判」も全国で起きました。
そして、全国津々浦々に七五〇〇の「九条の会」が広がった。これらの運動が政権交代をもたらしたことを忘れてはいけません。
「住民が主人公」のたたかいを
藤末 民医連は、医療・介護制度再生プラン(案)を〇八年に発表しました。民医連内外の方々から意見を募りながら、さらに練り上げようととりくんでいます。
日本には医療、介護だけでなく、健康と生活を守ろうとするための、憲法二五条に基づいている、さまざまな運動があります。これらの運動に携わる人たちが 「憲法二五条を守り、活かす」という旗印のもとに大きく連帯し、運動をすすめていくことが重要ですね。
渡辺 そのことでいえば、構造改革の焦点となるような問題で、 様々な分野の人たちが連帯して、国民的なたたかいを起こすことも大事です。その焦点は、消費税になると私は思います。消費税増税を許さないたたかいは、新 しい福祉国家をめざす上でも、重要な結節点になるのではないでしょうか。
また、これからの運動では、単に政府が出す構造改革の諸政策に反対するだけでなく、それに対抗する私たちの改革構想を提示し、国や自治体に突きつけてい くことが必要です。「国保料の払えない人には、払わなくていいようなしくみをつくる」「医療費の窓口負担は無料にする」など、要求にもとづく対案を示して いくことが、新しい福祉国家構想を練り上げていく上でも力になります。
藤末 まずはことし四月のいっせい地方選挙で要求を出し合い、掲げることでしょうか。
二〇一一年を希望の年にするためにも、「住民が主人公」のたたかいを広げ、幅広い人たちと手をつないで、ごいっしょにがんばりましょう。 写真・酒井 猛
■「福祉国家と基本法」研究会の社会保障基本法草案とその解説、社会保障憲章草案は東京社保協ホームページに掲載中。http://www.tokyo-syahokyo.net/
※対談の詳報は、全日本民医連発行『民医連医療』2月号で掲載予定です。
いつでも元気 2011.1 No.231