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いつでも元気

いつでも元気

元気スペシャル “無縁社会”なんてまっぴら だから、地域にわたしたち!

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滋賀・子どもたちの「勉強会」を友の会が

行方不明のお年寄りたち、
孤独死、子どもを育てきれない親…
胸のふさがるニュースが続いています。
でも一方で、希望もあります。
「どうして?」と、考え続けながら、
地域を奔走する人たちの存在。
老いの不安を分かち合う人たちがあれば、
貧困で遮断された社会との縁を、励まし、
つなぎ直そうとする人たちもいる。
社会不安に揺らぐ子どもたちの育ちを、
柔らかく見守ろうとするオトナたちも。
赤ちゃんからお年寄りまでつながろう、
“無縁社会”なんて、まっぴら!
それが、医療生協・友の会。
今回はそのほんの一部をご紹介。
こんな仲間をもっと増やしたいと、
『元気』は心から思うのです。

「赤いリボン」で安否確認を

福井県医療生協

genki228_01_02 赤いリボンを使ったユニークなとりくみが、手軽にできる安否確認の方法として注目を集めています。
 福井県医療生協の足羽支部地域にある福井市桃園一丁目自治会。ひとり暮らしの高齢者が増えるなか、地域からの孤立を防ぎ、安心して暮らせるネットワークづくりが大きな課題でした。
 以前は自治会役員が町内をまわり、高齢者に声をかけるようにしていました。しかし、毎日のあいさつとなると気兼ねが生まれます。何か良い方法はないかと考え出したのが、リボンを使うというアイデアです。
 自治会員は、毎朝リボンを玄関の目立つところに巻いて、夜になると片付けます。自治会役員は、毎日手分けをして町内を見まわり、リボンが出ていない家には「こんにちは」と、声をかけます。

生協の集まりきっかけに

 このとりくみのきっかけになったのは、医療生協足羽支部がことし二月におこなった健康チェックでした。自治会の集会所を借り、たくさんの自治会員が参加しましたが、そこでもやはり高齢者の姿が目立ちました。
 このことを案じた自治会長など自治会役員が医療生協に加入。どうしたら横のつながりをつくれるのか、組合員と相談を重ねてきました。
 そして、以前から組合員だった自治会役員がリボンのとりくみを提案し、「いいじゃないか」となったそうです。三月にリボンを全三三戸に配布し、見まわりを始めました。
 ひとり暮らしの高齢者からは、「不安なことがたくさんあるけれど、ご近所から気にかけてもらっているので心強い」などの声が寄せられています。
(福井県医療生協「医療生協だより けんこう」より)

ひとりにしない 「居場所」できた

香川医療生協古高松支部

 ひとりぼっちの高齢者をなくそうと、ふれあいサロン「ほっこり」をオープンしました。難航した場所探しも、組合員さんの物件を破格で借りることに。
 八月七日のお披露目には地元自治会長はじめ、地域の方や組合員さんら五〇人余で会場はいっぱい。生協の三崎理事は「様々な原因で家族の絆が薄れたいま、 地域の絆が必要。ここにはひとりの人、遠出できない人も気軽に寄り、いろんなことができる未知の楽しみがある」と。
 会場ではうどんがふるまわれ、バザーや野菜販売も。さっそく「転ばん体操」や食事会を始めます。 (吉尾達喜)

「命のバトン」はじめました

北海道・きずな健康友の会

genki228_01_03 「命のバトン」のとりくみを始めました。これは、病歴や服用薬・連絡先などの情報を冷蔵庫に保管し、具合が悪くなった時や災害時などに正しく救命・救急処置に役立てるというもの。全国でひろがっているそうです。保管先が冷蔵庫なのは、ほとんどの家にあるからです。
 バトンの容器には百円ショップで片栗粉入れとして売っているものを使用。情報を記入する用紙をつくり、バトンのふたにつけるシールの絵柄を考え、濡れてもいいよう、コーティングしたものにしました。これは「きずな」のボランティアのご家族が格安で作ってくれました。
 希望者には実費でおわけしますが、『元気』読者には、販売所の還元金で無料配布することに。町会の集まりで話したら、二つの町会から問い合わせが。一つでも多く広め、大切な命を守りたいです。 (大田夏美)

 

断ち切れた人と人のきずな 結びなおしたい

ふくおか健康友の会

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福岡・再起を励ましあって。「むすびの会」の仲間たち

 福岡県博多市、「むすびの会」と名付けられた班ができて一年になりました。顔ぶれは五〇~六〇 代の男性ばかり。住む地域もバラバラという、一般的な班とは少々違うもの。メンバーに共通するのは、その「境遇」です。着のみ着のままの失業者やホームレ スでした。窮迫して千鳥橋病院に担ぎ込まれ、退院後ひとり暮らしを始めた人たちです。「班ができて人生変わった」こんな声があがっています。

病院で助けても、その後は

 千鳥橋病院は、地域の最後のより所として、医療活動をおこなってきました。象徴的なのが、ホームレスの受け入れです。退院し、住居を定めて再起をはかる人たちは毎年五〇人を超えていました。
 しかしそこには悩みが。せっかく助かっても、退院してひとり暮らしを始めると、生活がうまく維持できなかったり、最悪の場合は孤独死に至るという問題で す。「ホームレス状態に至るまでに、親族や友人などの人間関係が途絶え、孤立している方は少なくないんです」と、医療ソーシャルワーカーの伊規須朋子さ ん。
 「人と話すのは病院に来た時くらい。看護師さんの優しい言葉に涙が出る」、「さみしくて、さみしくて、壁に話しかけていた」…退院後も通院するその患者 さんたちは、相談室に立ち寄り、こんな話をしていきました。人間が生きるには、ただ食べて寝る場所があるだけでは足りないと痛感させられる問題でした。
 そんななか、ホームレス患者は急増。二〇〇〇年初めは一〇〇件ほどだった年間の受け入れが、年越し派遣村ができた〇八年、五〇〇件超。患者一人ひとりの「その後」を、病院だけで見守るのはどうがんばっても難しい話です。

班をつくって

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「元気でいたか?!」がはじめのあいさつ

 相談室では、友の会や地域の行事なども知らせてみましたが、うまく輪に入れる人と、そうでない人がいました。「同じ境遇の人同士で集まってはどうか?」と話し合いました。伊規須さんは対象になる一人ひとりに話をもちかけました。
 「誘われて嬉しかった」と班長の山内孝一さん(57)。「仕事はなかなか見つからんとです。独りでいると、気持ちはどうしても下向きになる」。「話し相手がなくて大根に話しかけてたな」といわれ、下川孝則さん(62)も苦笑します。
 集まった八人全員が初対面でした。失業・給与未払いからきた生活苦でヤミ金に手を出し、逃げていた元サラリーマン、職探しに来た博多で負傷し動けなく なった失業者、体調が悪く助けを求めて役所に行ったが「死ぬまで時間はある」とあしらわれた人、支援団体の炊き出しで、ホームレスを診てくれると聞いて来 た人。事情は違っても、また社会とつながりたい、という思いは共通していました。「知り合いを増やしたい」、「安くて簡単で病気にいい食事のつくり方を知 りたい」、「家計のやりくりのコツは?」など、要望は堰を切ったように出されました。
  班名は山内さんの発案。「私たちは、千鳥橋病院で結ばれ再出発した。そしてこれから、これまでの人生で切れてきた人と人とのきずなを新たに結びたい。そんな思いで『むすびの会』でどうだろうか?」

 班会議は月一回。誕生月の人を祝い、いい季節には野外でお弁当を食べ、他の班と合同班会も開くように。「班会が待ちきれない。皆の無事な顔を見たらホッとする」と穴見武男さん(67)。目に障害があり、ふだん引きこもりがちの班員も班会にはやってきます。
 「元気だったか」と顔をあわせ、別れ際は「来月まで元気で!」あいさつは大げさなつもりはなく、本気です。来なかった人が元気でいるか、気になってしょうがない、と仲間の家を訪問することも。

生きてて良かった

 「体は悪いし社会にも役に立たんけん、死のうとした。疎遠な姉に迷惑をかけんよう身元のわかるものは捨てて…いまは生きてて良かった」と、記者に話してくれた吉川貞夫さん(65)に「死なんでよかったな」と山内さん。
 この一年で明るい表情に変わった人たちを見てきた伊規須さんは「友の会は『社会資源』」と。共同組織の可能性をみせてくれるとりくみが、はじまっていました。
文と写真・木下直子記者

いつでも元気 2010.10 No.228