元気スペシャル 祝島 山口県上関町 原発反対27年
写真と文・森住 卓(写真家)
「原発絶対反対、原発絶対反対、エイ、エイ、オー」
午後六時半、早めの夕食をすませた島民が漁協前に集まってきた。「上関原発に反対する祝島島民の会」のデモの出発だ。街灯に、日焼けした漁師の顔が浮か ぶ。ほほを海からの北風がたたく。お年寄りの顔には深い皺が刻まれている。
毎週月曜の島内一周デモ。婦人会長の中村隆子さんはいつもデモの先頭で「原発反対」ののぼりを持って行進する |
漁場が汚染される!
祝島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島。人口五〇〇人。漁業と農業で暮らしてきた。
二七年前、中国電力が、山口県上関町田ノ浦に原子力発電所を建設すると発表した。田ノ浦は祝島の目と鼻の先だ。以来ずっと毎週、島内デモが続いている。 「今回で何回目ですか」ときいてもよくわからない。誰も回数など気にとめていないのだ。〇九年一一月三〇日で一〇五一回。デモは生活の一部となっている。
中国電力の計画では、田ノ浦の海を埋め立てて、用地面積一六〇万平方メートルに、出力一三七万キロワットの原子炉を二基、建設する。山口県は建設計画を 容認し、沿岸漁協は補償金を受け取ってしまった。漁協の合併によって祝島漁協も上関漁協に組み込まれたが、祝島の漁民は「漁場が汚染される」と反対を続け ている。
一本釣りで桜色の鯛が
原発予定地の田ノ浦から見る祝島。左に浮かぶのは作業台船。この海は稀少生物の宝庫だ |
「昔の人は朝日に向かってお祈りをした。その方向が田ノ浦だ」とお年寄りはいう。原発ができれば「原発に向かって祈ることになる、そんなことは絶対いや」
鯛釣りの漁師・安藤旭さん(67)の船で鯛釣りに連れて行ってもらった。
安藤さん自慢のポイントのひとつが、原発予定地である田ノ浦の西側。周辺の海域にはたくさんの漁船が釣り糸をたれていた。生きた小エビをエサに、海底近くに糸を垂らした瞬間、グイグイッとすぐに食いついた。糸をたぐると桜色鮮やかな鯛があがってきた。
「一本釣りなので魚体が傷まない。大阪で高値で取引される。しかし原発ができれば海が汚染され、釣り客も来なくなる」と安藤さん。埋め立て予定地に係留されている作業台船を見つめた。
「原発ができれば海が汚れ、魚がとれなくなる。わしらの死活問題じゃ」と安藤旭さん。原発予定地の海は最高の漁場だ。祝島の漁師がこだわる一本釣りは、効率が悪いが、釣れた鯛は高級魚として取引される |
計画では、田ノ浦の保安林を伐採し、海を埋め立てる。その周辺の自然林と海には、ハヤブサ、カ ンムリウミスズメ、カラスバト、ナメクジウオ、ヤシマイシン、カサシャミセン、スナメリなどの絶滅危惧種や稀少種が棲む。自然林の伐採と海の埋め立てによ る自然への影響は計り知れない。「長島の自然を守る会」会長の高島美登里さん(57)はこう指摘する。
「この海はホットスポットと呼ばれ、これまで開発されず、瀬戸内海本来の生物多様性が保存された場所です。脆弱な生き物がたくさんいるということは、こ の海が汚染されていない証です。森と海が、生物の多様性を維持する上で欠かせない関係になっているのです」
元原発労働者が危険訴え
一〇月、中国電力は埋め立て地域を示すブイを、夜明け前に一気に海上に設置。一一月初めから埋め立てを始めようとしたが、島の人々は連日、漁船を繰り出し、作業中止を要求して阻止行動を続け、埋め立ての本工事は進んでいない。
この島で原発の危険を最初に知らせたのは、七〇年代に原発内で働いていた出稼ぎ者だ。磯部一男さん(86)はその一人。一九七八年末から翌年二月まで、東京電力福島第一原発のポンプ修理に加わった。
「放射能測定器を四種類もって作業した。時間はたったの一五分。しかし途中でアラームが鳴ると、待機要員と交代させられ、その日の作業は終わり。恐ろしくなってすぐにやめた」
磯部さんが知っている人で亡くなったのは七人。みんなガンだった。原発ができると知って、原発修理に行った仲間と島内を回ってその危険性を伝えた。
「原発が始まったら必ず放射能が出ます」。磯部さんの実体験にもとづいた話に島の人だれもがうなずいた。
原発労働者の手帳を見せてくれる磯部一男さん。原発で働いたときに何度も怖い目にあった |
一八歳のとき、広島で被爆した被爆者もいる。酒井キヨ子さん(84)は原爆が投下された八月六日は祝島の実家に戻っていたが、大きな爆弾が落ちたことを知って広島に帰り、負傷者の看病を手伝った。広島市内で見た光景はすさまじかった。
「黒こげになった市電の中を何気なく見ると、いすに座ったまま死んでいた女性がいた。あの姿をいまもはっきりと記憶している」という。
九月になって島に戻ったが、その後ずっと、夏になると体がだるい。原発計画が持ち上がると「広島の原爆で悲惨な姿を見ているので原発は嫌いだ」と婦人会で原発に反対する先頭に立ってきた。
3代にわたる石積みの棚田
立木トラストで所有者名が書かれた木。中国電力は所有者の同意なしに勝手に伐採できない |
島は全体が急傾斜地で、耕地が少ない。そのため棚田が作られた。南面にある「平さんの棚田」は、三代にわたって積み上げてきたものだ。石垣は高さ八神に及ぶ。下から見上げると城壁そのものだ。
「おじいさんの家は貧しくて田んぼがなく、アワやヒエを食っていた。孫子には何としても米を食わせたかったんだと思う」と孫の万次さん(76)はいう。
祝島の先祖が営々と築きあげてきた石積みの棚田は、時代に翻弄されながらも自然と折り合いをつけ、自然の恵みをいただいて暮らす人々の頑固さと心意気を表しているようだ。
本土側の漁協が補償金をもらい、自治体が建設を容認しても、この島の人々は「いまのままの暮らしでいい」と、頑固に原発絶対反対を貫いている。
いつでも元気 2010.2 No.220
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