元気ネットワーク 特集1 雇用 くらし 健康 「困りごと、ききます」 各地で蕫反貧困﨟にとりくむ
年度末に出た大量の失業者・生活困窮者、この事態を前にして、有効な手だてが打てていない政府の下でも私たちは、なにもせずに見ているだけでいたくない。さまざまな団体や多くの市民と手をたずさえながら、「いのちを救え!」という行動を各地でおこしています。
今号は七ページの大特集。「日本人以上に過酷な生活環境におかれている在日外国人の支援組織をたちあげ(長野)」、「公園に野宿していた若者を友の会員 が発見、援助した(愛知)」、「家のない失業者の緊急避難場所を併設した相談所を開設(岡山)」、「一日相談会で二〇〇人を超える相談に乗る。翌日、生活 保護の集団申請に(福岡)」など、知恵も力も出しあって奮闘する民医連・共同組織の仲間の姿を取材しました。
長野
外国人労働者の窮状知って結成
SOSネットワーク
上伊那医療生協
相談に来た在日ブラジル人たち |
長野県の上伊那地域(伊那市、箕輪町など二市三町三村)は自動車、コンピュータなどの製造業が 集中。真っ先にリストラされたのが外国人です。約五〇〇〇人の外国人労働者のうち三〇〇〇人以上がすでに帰国し、帰国するお金もない人々が地域に残されて いる―上伊那医療生協は、まちかど健康チェックでこのことをつかんでいきました。
もっとも多いのはブラジル人。伊那市通訳で日系ブラジル人の新垣タミエさんのもとには「何日も食べていない」「出産間近だが、お金がない」など、一日三 〇~四〇件の訴えが。「とても一人では受け止めきれない」と友人の三井芳美さん(上伊那医療生協ボランティア委員)に相談。上伊那医療生協はブラジル人の 聞き取り調査を実施し、「SOSネットワーク」結成を理事会で決めました。職員、組合員、移住ブラジル人で協力しあって、生活物資支援や相談活動をしてい ます。
支援を待つ長蛇の列
ポルトガル語でつくったチラシ |
三月七日、三回目の物資支援をおこないました。窓口には外国人が長蛇の列。子ども連れのブラジル人男性(41)は「七月でクビになった」。来日して一三年。「二〇代から五〇代までみんなクビになっている」と。この日、七〇世帯、一四三人が物資を受け取りました。
ネットワーク事務局長の水野耕介さん(同生協組合員センター部長)は「外国人はハローワークにいっても『日本語ができないなら仕事はない』と相談に乗っ てもらえず、住まいも紹介されない。差別がひどい。税金も納めてきた人たちなのに。行政も丁寧に対応してほしい」と。
不法の犠牲になって
外国人労働者をめぐる別の問題も浮き彫りに。派遣労働者として働き、二月に突然解雇をいい渡された日系ブラジル人男性が、「今回で三度目の解雇だが、解雇のたびに通常の倍以上の水光熱費をとられた」と相談に訪れました。
話を聞いたのは、老健はびろの里の医療相談員・小西志保さん。電気代が七八〇〇円(一二月)から二万二〇〇〇円、水光熱費全体で三万九〇〇〇円から七万 三〇〇〇円に。「派遣会社は会社が納めるべき雇用保険料まで、全額男性の給与からまとめて天引きしていた」と小西さん。一月分の手取りは前月から一〇万円 も減り、六万円でした。
上伊那生協病院の医療相談員・小山奈緒さんも「住宅ローンを高金利で貸し付けられている人や、派遣会社に紹介されたアパートで、相場より高い家賃を払わ されている人が多い」と指摘します。「ことばがわからないことにつけ込んでいるのでは。弁護士など専門家の力も借りたい」と厳しい表情。
市民では限界、行政の力を
あるブラジル人家庭で。妻が派遣切りにあり、夫の月給10万円で生活 |
三月六日にも「小学校入学を控えた子どもがいるが、ランドセルを買うお金もない」と、移住ブラジル人から相談が。中学生の姉も昨年夏から給食費を滞納 し、登校できていません。相談を受けた小山さんが該当の町役場に連絡すると、「教育委員会へ」「学校の教頭に」とたらいまわしに。小学校に電話をすると事 務員が「教頭はいない」「外国籍の子どもは義務教育ではない。町役場に連絡を」。抗議すると教頭が出てきて謝罪、ようやく相談を受けると約束しました。
水野さんは、「いまのリストラの嵐は、人的な災害です。だからこそ、国や行政は責任をもって対応してほしい」といいます。「在日ブラジル人だけでなく、すべての国籍の人びとを支えたい」。
SOSネットワークには組合員や職員、支援団体や個人から生活物資がつぎつぎ寄せられています。しかし三トン寄せられたお米も残り一トン。「いつまで支援が続けられるか」と水野さん。「私たちだけでは限界がある。支援活動を記録して集め、国や行政に対応を迫りたい」
文・多田重正記者/写真・五味明憲
愛知
じいちゃん、ばあちゃん
野宿の若者たち救う
尾張健康友の会
「『派遣切り』青年二人を友の会員を中心とするネットワークで支援して故郷へ帰しました」こんな読者ハガキが届きました。厚労省調査でも失業者の数がケタ違いに多い愛知から。さっそく現地へ。支援の中心になった一宮市の尾張健康友の会のみなさんに、顛末をききました。
トヨタ工場の元派遣労働者が
一月なかばのこと。尾張健康友の会の山口義昭さん宅に、「公園で野宿している若者がいる」と、近所の人から知らせが入りました。驚いて川沿いの広場に向かうと、確かに大きな荷物をかかえた若者が二人。
声をかけて山口さん宅に連れていき、温かいものを出して、事情をききました。隣町のトヨタ関連工場の元派遣労働者で、年末に解雇されて年明けに寮も出さ れたと。それぞれの故郷は秋田と沖縄。帰りの交通費もなく、給与が振り込まれるまではと、四晩野宿していたとわかりました。同じ所に居続けて不審者扱いさ れないよう、眠る公園も変えていたといいます。所持金は二人で六〇〇円。給与の振り込み日までまだ八日ありました。
その夜は山口さんと同行した市議の家に彼らを泊め、市の緊急避難住宅を申し込むことになりました。
翌日、友の会員の穴沢仂さんは、年金者仲間の新年会に立ち寄った市議を介して二人を知りました。奇しくもニュースでみた派遣村に送ろうと、募金を集めて いたところに派遣切りの若者たちが転げ込んできて一同びっくり。「東京でなく目の前にいる彼らに」と、お金をわたしました。
入居できた避難住宅は、畳と屋根があるだけの環境でしたが、八四歳の会員・佐藤月代さんが自宅のお風呂を提供し、日中の居場所にするなどの協力をしました。
穴沢さんはさらなる支援にかかりました。労働組合の相談窓口で必要なことを問い合わせ、二人につきあいました。(1)ハローワークで雇用保険の受給手続き、(2)派遣会社に違法はないか労基署にいくこと、(3)個人加入の労働組合に入ること。
友の会の居場所を宿に
「穴沢さんがつぎつぎ手を打てたのは、労働組合の経験があったからよ」と、友の会の木村光子副会長。
給与が入り、雇用保険の手続きに必要な書類もそろった二〇日が、避難住宅の使用期限でした。ハローワークでの手続きのため、もう二晩留まる必要がありま した。しかし、住宅の使用延長を市は許しませんでした。そこで、友の会のNPOが管理する地域の居場所、「いきいきサロンひだまり」を急場の宿にしまし た。趣味の会や配食サービスの食事づくりに利用している古民家です。
こうして二人は、地域の人たちの一〇日間の連携で、一年ぶりに故郷に戻ることができました。「声をかけられた時は、この人たちを信用していいのか? と半信半疑だったけど、いい人たちにあえた。再出発の力をもらえた」という感謝を残して。
「『夕飯食べに来い』『お正月まだか、雑煮食べろ』と、どれだけ多くの人がかかわったか…二人の姿を『自分の息子なら』と重ねて、必死だった仲間もいた と思う。若い世代が人間扱いされないひどい目にあってる時に、僕ら世代には何ができるかと考えてたから、素早い反応ができたかな。元気づけることはできた な」と穴沢さんは照れたように笑いました。
(木下直子記者)
泊まれる相談所、あります
岡山
ほっとスペース25
倉敷医療生協
倉敷市・水島地区に開設された「ほっとスペース25」(水島労働・生活相談支援センター)は、倉敷医療生協と同労組が、水島協同病院の隣の空き店舗を借りて開設。職や住まいを失った労働者らの生活再建を手助けしています。
特徴は、住まいをなくした人の緊急一時避難所として宿泊可能な部屋が二つあること。二週間を限度に、無料で提供しています。取材当日も入居者があり、ス タッフが部屋の掃除やふとんのシーツかけなど、受け入れ準備に大忙しでした。
「初めてのことで試行錯誤です。職員や地域に支援物資を呼びかけたら、食料はもちろん、冷蔵庫や洗濯機まで集まりました。買ったものはほとんどなく、運 営経費は家賃と水光熱費くらい。それもカンパですべてまかなっています」と、山下順子代表(労組書記長)。
「派遣村が全国で話題になる前、この地域でも野宿者は目立っていました。地域まわりをはじめた矢先、気になって一度声をかけていた方が、後日、見に行くと 亡くなっていたのです。二度とこんなツラい思いをしたくない。救えなかった経験が、ここをつくろうと思った、そもそものきっかけです」と水島協同病院の志 賀雅子SW。
医療生協の職員OBなどが中心となり、ボランティアとして日替わりで常駐。労働、医療、社会保険や年金などの専門家とも協力して各種相談に応じています。必要なときは、福祉事務所にも同行します。
3月に相談件数が急増
二月の開設以来、近くの三菱自動車水島製作所やその関連企業につとめていた労働者らからの相談が急増。二月は一八件(二二人)、三月は一〇日現在で、すでに九件(一二人)対応しています。
「どっと相談が増えました。三菱は昨秋一四〇〇人いた派遣労働者を、三月末でほぼゼロにすると発表しています。解雇された労働者は二週間以内に退寮となるので、年度末から住居を失う人はますます増えるでしょう」と山下さん。
「相談内容はさまざまですが、とくに仕事、そして住む家です。いまは二階も常時いっぱい、車中生活の人もけっこういますし。これまでの経験が少しでも役に立てば…」と、職員OBで元SWのスタッフ常久勢子さんは話します。
温かい布団で寝られること
入居したばかりのOさん(48歳男性)は「昨年一一月、仕事とともに住まいを失い、倉敷駅前などでホームレス生活をしていた」といいます。
かつては正社員として博多(福岡)で解体や運搬の仕事をしていたが、数年前から日雇いとなり、神戸、姫路、岡山などを転々。数日前、倉敷医療生協労組の青年職員など三〇人がとりくんだ「ホームレス実態調査」で声をかけられました。
「駅の地下道にいたところ、『ほっとスペース25』のビラを手渡された。こんな俺に声をかけ、同じ目線で話をきいてくれたことがうれしかった。毎日不安 と恐怖を感じて生きていたから。屋根があり温かい布団で寝られるのはこんなに幸せなんだな。寝るところがあり、ご飯が食べられる生活や働き方がしたい。自 殺を考えたこともあったが、いまは希望のほうが大きい。早く仕事を探して復帰したい」と笑顔をみせました。
相談者が「ほっと」できる空間に
「ここの名称は、相談者がほっとできる空間と、25は生存権を保障する憲法二五条に由来しているんですよ。相談者の生の声を聞くと、事態はいま本当に深 刻だと感じます。住まいの確保などは、本来行政がおこなうべきことです。苦労も多いですが、活動で少しずつ行政を動かしつつあります。今後は相談事例を もって働きかけ、市民にももっと知らせていきたい」と山下さん。
(井ノ口創記者)
福岡
200人超す相談
生活保護の集団申請も
福岡民医連などがつくる「なくそう貧困! 福岡県民実行委員会」は三月一日、「いのちとくらし の相談会」を実施しました。ボランティア三五〇人で、朝・昼計約五〇〇人の炊き出しを配り、二一三件の相談を受けました。このうち八一人が翌日から生活保 護の申請をおこない、全員が受理されました。
生活保護の集団申請(右) ボロボロだった相談者の靴 |
高血圧、糖尿の人多く
労働・法律、生活、医療の相談机は混み合っていました。 医療相談は八〇人。ほとんどの人は血圧が高く、糖尿病を放置している人も多数でした。六〇代の男性は若い人の計った血圧の結果紙をもらい、体調をごまかし て日雇いの仕事についていたそうです。また、上の血圧が二三〇、下が一二〇で高血圧脳症と診断された七〇代男性もおり、救急搬送されました。
福岡民医連はこのとりくみにあたって県内でホームレス支援にかかわる人たちなどとともに、団体二〇余、一〇〇人を超す個人の実行委員会を結成。メディア の報道で知って、一五〇人近い市民がボランティアに。民医連は事務局を担いました。職員も、医師や歯科医師、看護師をはじめ、一〇〇人を超えて参加しまし た。
福岡市に会場の公園使用料をタダに、生活保護の集団申請に対応するよう要請も。当日は電話相談も実施しました。
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翌日、博多区役所では生活保護の申請を受けるために各区からワーカーを集め特別体制が組まれました。
住居や仕事を確保し、路上から脱却することは簡単ではありません。息長い支援が必要です。
(「民医連新聞」小林裕子記者)
短信・各地では北海道■旭川で「SOSネット」 宮城■地元の反貧困ネットに参加。宮城県民医連として「貧困」担当をおき、入ってくる相談にも病院相談室などの助けを受けながら対応する体制をつくった。三月に反貧困フェスタに参加 福島■集会と相談会を同時に 茨城■「臨時派遣村 雇用・くらし相談会」を二月二四日に水戸駅で 東京■その後の派遣村ボランティア 埼玉■三月二一日に「反貧困・駆け込み大相談会」を実施 群馬■田舎にも派遣切りの波! 富山■二月二八日に生活雇用相談会 兵庫■反貧困・よろず相談会 鳥取■「雇用・くらし・いのち守るなんでも相談会」を二月二三日から三月一日まで生協病院の駐車場を会場に |
いつでも元気 2009.5 No.211