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いつでも元気

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元気スペシャル 人間の使い捨ては許さない 「年越し派遣村」で新たな連帯の輪を実感

谷川智行 医師(東京・中野共立病院)

 大晦日からの六日間、日本中の注目を集めた「年越し派遣村」。厳寒の下、大量の派遣切りで仕事と住まいを奪われた被害者に寝場所と食事を提供しようと東京・日比谷公園に開設されたものです。
 「派遣村」で、一二月三一日、一月四日とボランティアで医療支援をした谷川智行医師(東京・中野共立病院)に、手記を寄せてもらいました。
 谷川さんは、日本共産党衆議院比例東京ブロック予定候補として活動中です。

新しい年を「派遣村」で

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市民団体と労働組合が実行委員会をつくって開設した派遣村(東京・日比谷公園)

 一二月三一日午後から、個人ボランティアとして健康相談にあたり、私も「派遣村」で年を越しました。
 夕方までに、一三〇人を超える方が「入村」。その後も、やっとの思いでたどり着く方々が途切れませんでした。
 数日前に「派遣切り」にあい、寮を追い出されたという三〇代男性。静岡から職を求めて東京に来たが仕事がなく、路上生活が数カ月という四〇代の方…。誰もが憔悴し、凍え、疲れ切っていました。
 新しい年を迎え一時間ほどしたころ、派遣村に到着した若者がいました。横浜で数日前から路上生活を始めたという方でした。落ちていた新聞で偶然派遣村のことを知り、途中まで電車で、その後は七時間以上かけて歩いて来たそうです。

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各地の農民連などから大量の食料品が

 派遣村を目指し歩いている路上で、一人新しい年を迎えた若者の気持ちを思うと、本当に胸が痛みます。年の瀬の寒空に、生きている人間を虫けらのように放り出す、人の道にも反する大企業のやり方に改めて強い怒りを覚えました。
 同時に、この国に人々の連帯の輪が広がっていることも強く感じ、励まされました。日比谷公園に集まったボランティアは、この日だけで三六〇人。最終的には一七〇〇人にものぼりました。
 また、わざわざカンパを届けてくださる高齢の方や、「少しでも役に立てれば…」と食料を届けてくださる若いカップルの姿に、この国は、人々の連帯の力で変わろうとしていると感じました。

 

外来受診をすすめても

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傷の治療にあたる谷川医師。白衣を着ると、「お医者さんですか」と次々に声がかかった

 一月四日、派遣村では、風邪が流行っており、医療用テントにはひっきりなしに相談者が。市販の風邪薬や病院から持ってきたほんの少しの薬で対応しました。
 慢性疾患の治療を中断しておられる方や、今後病院で検査や治療を受けたほうがよいと思われる方も少なくありませんでしたが、ほとんどの方が保険証を持っていませんでした。「村」では生活保護の集団申請を準備していましたから、手続きをとるようすすめました。
 この日、民医連の医師が何人もボランティアに参加。小池晃参議院議員も前日に引き続いて相談にのっていました。テレビを観て、居ても立ってもいられなくなったという看護師さんや保健師さんも、民医連内外から参加されていました。

インフルエンザ、胃潰瘍

 厚労省の講堂にいたボランティアが「寒気がひどくて動けない人がいる」と医療テントに駆け込んできました。診察にいった小西潤医師がインフルエンザ疑いと診断。対応を相談しました。
 「外来を受診してもよっぽど状態が悪くないと入院はさせてもらえないし、派遣村に戻ってきてもほかの人に感染させてしまう可能性がある。療養できる環境じゃないし…」。「村」の実行委員と相談してホテルを予約し、外来受診後、ホテルに宿泊してもらうことにしました。
 「下血(タール便)が続き、ひどい貧血になっている人がいる」という相談も。行ってみると、顔面蒼白で全身がむくんでいる五〇代男性が、フラフラになりながら座っておられました。一見して尋常でないと感じました。

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派遣村を見下ろすようにそびえる厚労省

 聞くと「以前からみぞおちが痛み、黒っぽくて粘り気のある便が出たり治まったりしていた。一度は受診し、胃カメラをすすめられたが、結果が怖いしお金も心配でそのままに。そうこうしているうちに首を切られ寮からも出された」と。
 私たちは、胃や十二指腸からの出血でひどい貧血になっており、すぐに入院が必要と判断。中野共立病院の当直医に状態を話し、受け入れてもらいました。
 後日、病院を訪ねると、入院時のヘモグロビンは四・一だったとのこと。男性のヘモグロビンは通常一四~一六ですから、かなり低い値で、命が危ない状態です。出血源は、やはり胃の潰瘍でした。
 病室では、輸血などの治療で顔にうっすらと血の気が戻った男性が笑顔で迎えてくれました。帰り際、「ホントにありがとう」と涙声で、強く私の手を握ってくれた感触は一生忘れません。

 

首切りのショックで記憶が

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食事に並ぶ列が日ごとに長くなった

 派遣村にたどり着いた方々の多くは、体だけでなく精神的にも追い詰められていました。
 首を切られたショックで記憶をなくしてしまった男性(三〇代)もいました。夜眠ろうとしても、不安と恐怖ですぐに目が覚めてしまうといいます。
 最近までふつうに勤めていたとわかるネクタイ姿のまま、虚ろな目で力なく座っている彼に、「つらかったですね」と声をかけると、彼の目は涙でいっぱいになりました。震える声で「これから生きていけるかどうか怖くて」とつぶやく彼の言葉が心に突き刺さりました。

 
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植え込みなどで炊きだしを食べている光景に胸が痛んだ

 この方はその後、精神科で解離性健忘()と診断され、さらに専門的な治療を受けるために転院することに。一〇日後、私が訪ねたときも記憶が戻らず、とても苦しんでおられました。「早く病気を治したい」という彼の表情には笑顔は見られません。「焦らずに、一歩ずつ進んでいきましょうね」と励ましました。
 この方々は、派遣村がなかったら命をつなぐことができたのだろうかと考えるとぞっとします。派遣村にたどり着けたのは、ほんの一握りの人たちです。
 今回「派遣切り」などで職を失った方々は政治が作りだした「政治災害」の被害者です。政治の責任で住居と生活、仕事を保障させなければなりません。そし てこれ以上の被害者を出さないため、政治が果たすべき責任はきわめて重いのです。

命を守る政治に変えよう

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腕のバンダナがボランティアの目印。「私も派遣切りされたが、家があるので何とかしている。他人事と思えなくて」という人もいた。民医連職員もわかっただけで30人以上が参加していた

 一月四日、派遣村には、野党各党の代表が集まり、「派遣切り」防止、失業者支援の緊急立法に向け力を合わせることが確認されました。厚労省が、同省の講堂を開放したことや、その後も宿泊場所と食事を保障すると約束したことも、大きな変化です。
 派遣村村長の湯浅誠さんの言葉を借りれば、派遣村に集まった五〇〇人の「存在そのもの」が厚労省を動かし、政治を動かし始めたのだと強く感じます。
 三月に向け、非正規労働者の雇い止めがさらに大規模にすすめられようとしています。人間を使い捨てにする大企業の横暴なやり方、それに何もいえない政治を何としても変えなければ。
 命を守る政治を実現するために、今後も全力を尽くしていきます。
写真・森住卓

 

)耐えがたいストレスなどにより、記憶が途切れたり、失われたりする病気

■派遣村の成果を全国に 派遣村村長・湯浅誠さんは「派遣法抜本改正」とあわせ、三つの緊急課題を呼びかけています。
(1)派遣村では生活保護や、緊急小口資金の貸付が、申請者全員に適用という成果を上げたが、これは「特別のこと」ではない。全国で実施させよう。
(2)全国に一時避難所と総合相談窓口の開設を。自治体へ、働きかけを強めよう。
(3)被害の発生源である企業が何もしていない。社会的責任を果たさせよう。

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1月5日、国会に向け、派遣村村民と市民団体、労組がいっしょにデモ

いつでも元気 2009.3 No.209