よりそって 看護・介護 「決心」をささえる──ネットカフェ難民だったAさん
病棟の南さん(撮影=五味明憲 記事とは関係ありません) |
Aさんは六〇代男性。〇七年九月ごろ、公園で動けなくなっているところを発見され、救急車で当院へ入院。直腸がんによる腸閉塞(腸がつまる病気)でした。
翌日に緊急手術をおこない、人工肛門を設置。しかし入院前の半月は十分な食事をとれていなかったこともあって回復は遅く、脱水や肝障害もありました。
その後なんとか体力が戻り、がんを取り除く開腹手術が迫ったある日。Aさんは突然こういいました。
「手術を一週間延ばせませんか」
延期すれば次は約一カ月後になると医師が話すと、Aさんは迷った末、「悪いものは早くとってしまいたい」といったものの、不安を隠せないようすでした。
時間をかけ、思い引き出す
思いを表に出すことが少なかったAさん。そこで病棟の私たちは手術室の看護師に協力を求め、不安を打ち明けられる家族や友人もいないことを伝えました。
手術室の看護師は、普段の倍の時間をかけて手術前訪問をおこないました。するとようやく、「手術が怖い」「やっと体力が戻ったのに、また動けなくなるのか」などの本音が。大腸がんで倒れたことも「自分が不摂生な生活をしてきたから」と考えていることもわかりました。
病棟看護師は、Aさんと話すときは必ずベッドサイドで腰を下ろし、二〇分~三〇分かけて耳を傾け、Aさん自身が治療を選び、決心できるようにささえようととりくみました。
事業が倒産、家族と別れ
手術後は経過も順調。Aさんから治療上の疑問や症状への対処法を聞くことも増えました。表情もやわらかくなり、冗談も出るように。言葉をにごしてきた生活史も話してくれるようになりました。その生活史は波乱に満ち、生き抜こうとしてきた姿がうかがえるものでした。
Aさんは若いころ、事業を興したものの倒産。借金を抱え、妻や子どもとも別れたといいます。その後再び事業を興し、やっと軌道に乗りましたが、バブル崩 壊でまた倒産に追い込まれたといいます。その後、以前の仕事仲間を頼って日雇い労働者に。それから決まった家のない生活を一〇年間も続けてきたのです。
「毎日働いて、夜はサウナかネットカフェ。それが私の生活。それ以上もそれ以下も求めていません」というAさん。「路上生活者とは違う」と、自尊心を保 とうとする言葉も聞かれました。動けなくなるまで受診しなかった理由も「お金がなかった。もう少し働いてお金が貯まるまで待っていた」と話してくれまし た。
「通院はここがいいね」
退院後についてAさんは、こんな体で生活していけるのかと、自分の今後を想像できないようでした。一番の不安は、体力が続くかどうかでした。
そこで医療相談員が面談。生活保護を受給でき、簡易宿泊所に入所できるようになったことを伝えました。
病棟看護師も退院後の生活を想像できるようにしようと、診療所まで付き添って案内しました。するとAさんは「診療所には通えると思う」「通院はここがい いね。いろいろわかってくれる人がいるし、待っていてくれる人がいるからね」と話してくれました。思いを受け止めよう、ささえようとしてきた看護師の実践 が実ったと感じた瞬間でした。
命にまで格差が
格差社会がすすみ、雇用条件も厳しくなっています。低所得者や、住む家がないという人が増えて います。年収三〇〇万円以下の低所得者の四割が、具合が悪くても医療機関を受診しなかったことがあるとの調査(〇七年、日本医療政策機構)もあります。A さんも体の異変に気づいていましたが、病院にかかる時間もお金もありませんでした。
厚生労働省の調査(〇七年)によれば、「ネットカフェ難民」は全国で五四〇〇人いるといわれています。半数が非正規雇用者。収入が不安定で保険料が払えず、受診が遅れて亡くなる人も。さらにいま、大きな解雇の波が襲っています。
日本には生存権を保障する憲法第二五条があります。誰でも平等に医療を受ける権利があるはず。しかしいまの社会保障制度はそうなっていません。健康、さらには命にまで格差が生まれています。
私たち看護師は、患者の背景にある現在の社会情勢の厳しさを認識し、気持ちによりそったケアをおこなうこと、すべての人が必要な医療を受けられるように社会保障制度の充実をもとめていかなればならないと感じた事例でした。
いつでも元気 2009.2 No.208