原爆症認定集団訴訟 被爆者はもう待てない 国は全面解決の決断を
折り鶴パレード先頭の遺影。裁判途中で亡くなった原告のものだ |
遺影を先頭に国会に向かう列、被爆者たちの「折り鶴パレード」です。原爆症の認定を政府に求める集団訴訟を起こして五年、状況は大きく動いています。
2高裁で再び原告が勝つ
五月末、仙台と大阪の二高裁で原爆症認定集団訴訟の判決が出ました。ともに〇六年に、各地裁が出した原告勝訴の判決を支持する内容です。国は上告を断念、原告の勝利が確定しました。
仙台の判決には、一審の判決を不服として控訴し、裁判を長引かせた国への批判も入りました。大阪では、四月から新しくなった認定基準では対象外になる原 告もいましたが、全員勝訴となりました。新認定基準の不十分さを示す判決でした。
「厚労省は申請された疾病が、被爆したことによるものではない、と証明できない限り、原爆症と認めるべき」というコメントも。
裁判の早期決着を求める被爆者たちは、厚労省前での座り込みなどをおこない、早期解決を訴えました。これまで厳しい基準をしいて原爆症認定の扉を閉ざし てきた行政を、高齢をおし命がけで立ち上がった被爆者たちが動かしたかたちです。
◆
新しく導入された認定基準では、問題だった「原因確率」という方法をやめましたが、爆心地からの距離や時間、対象疾病など新たな線引きを持ち込む不十分な内容です。
それでも原爆症認定された人は四月以降で四〇〇人を超えました。年間一〇〇人~二〇〇人台だった数年前と比べると格段の前進です。いま審査中の案件のう ち認定されていない分も保留扱いで、却下はゼロ。四月から新たに認定申請をおこなった被爆者も三〇〇〇人を超えました(弁護団調べ)。
もうひと押しの運動を
しかし、被爆者が納得できる解決には至っていません。国が上告を断念したのは大阪・仙台高裁だけ。他の裁判は依然続けています。
裁判開始後三〇五人の原告のうち、五〇人が亡くなりました。被爆者には時間がありません。国が裁判を終わらせ、すべての原告の原爆症を認める決断をおこな うこと、認定制度を被爆者救済の理念に合った内容に改めることが、一刻も早く求められています。
◆
民医連も医師団統一意見書の作成、原告の個別意見書の作成、法廷での証言、支援行動などで裁判をささえ続けてきました。
全日本民医連被ばく問題委員会・聞間元委員長は、二つの高裁判決を評価、「今後も全国の認定訴訟の支援と、日常的な被爆者医療の充実、認定申請の相談にこたえていきたい」と語っています。
文・木下直子記者/写真・五味明憲
原爆症認定集団訴訟
原爆手帳を持つ25万人のうち、原爆症認定された人は2000人。被爆者100人中1人にもならない。厚労省は松谷訴訟などの裁判で負け続けたが、認定方 法を改めなかった。そこで被爆者たちは集団訴訟という「最後のたたかい」を決断。認定申請し、却下された人たちが2003年から各地で提訴(15地裁6高 裁で原告305人 7月1日現在)、判決が出た7地裁すべてで勝利している。
いつでも元気 2008.8 No.202
- 記事関連ワード