〝被害国にも加害国にもならないための平和〟を/全日本民医連第1期平和学校 韓国平和ツアーで学んだこと
江口 献(全日本民医連事務局)
全日本民医連は通年の平和学校を開校し、昨年六月から、全国の職員六二人が通信教育やスクーリング、辺野古連帯行動などで平和について学んできました。修了式を兼ね、三月二七~三〇日、韓国平和ツアーをおこないました。
緑色病院
労働者のたたかいから生まれた
まず訪問したのが源進総合医療センター・緑色病院(四〇〇床)です。正面にある六九枚のパネルでできた塔が目を引きます。やかんや鍋などの廃品も使われて いて、廃品が立派な芸術作品になるように、「人間は働けなくなっても廃品のように扱われるのではなく、人間として生きていくことが保障されなければならな い」ことを象徴しているのだそうです。
緑色病院玄関前には歓迎の横断幕が。右はやかんや鍋も使われているパネルの塔 |
梁吉承院長の講演も感動的でした。梁院長は一九八〇年代の韓国民主化闘争をたたかった医師の一人。軍事政権に抗して韓国の民主化を進めてきた医師や事務幹部が、病院設立に参加したのです。
緑色病院は労災職業病のたたかいから生まれました。一九六六年、源進レーヨン株式会社が日本の東洋レーヨン(現「東レ」)から輸入した生産機器が二硫化 炭素を発生。多大な健康被害をもたらしました。長い裁判闘争を経て、裁判の解決基金をもとに、労働者が中心となって緑色病院がつくられたのです。
講演を聴いた参加者からは、「緑色病院がとても身近に感じられた」「民医連と同じ理念をもつ病院が韓国にもあることを知り、驚いたけど勇気が湧いてきた」などの感想が寄せられました。
ナヌムの家
緊張した私たちを温かい笑顔で
ナヌムの家では、3人のハルモニが話を聞かせてくれた |
ナヌムの家は、太平洋戦争末期、元日本軍「慰安婦」として性的犠牲を強いられた被害女性(ハル モニ=おばあさん)たちが集まり生活している場です。ハルモニたちは、毎週開かれる絵画教室で自らの体験を絵で表現し、国内外で展示会を開き、日本軍の蛮 行の真相を歴史に残す活動をしてきました。毎週水曜日には、日本大使館前で「水曜集会」を開き、日本が過去の歴史に対して誠意を持って謝罪するよう抗議を 続けています。
ナヌムの家に付設されている歴史館には、ハルモニたちが描き残した絵が展示されています。ハルモニが初めて被害を受けたときの場面が描かれた一枚に大変衝撃を受けました。
当時、「慰安婦」として働かされていた人たちにはまったく人権がありませんでした。貧困者が多く、何をさせられるのかも聞かされないまま慰安所に連れて こられ、外出も許されませんでした。健康診断という名の下に性病に罹患していないか定期的に調べられ、性奴隷として働かされたのです。終戦後、多くの方が 殺されたり置き去りにされたりしました。
韓国社会のなかでは、〇七年度現在、二三四人が過去の被害を名乗り出て、一〇六人が生存しています。しかし、証言できる方はごく一部です。多くの被害者 は家族に知られることを恐れ、名乗り出ることができず、精神的苦痛を一人で抱えたまま暮らしています。ナヌムの家に暮らすハルモニにも、「私は汚い人間 だ」と自分自身を責め、いまも一日に何回も手を洗う方がおられると聞いて、苦痛の深さを感じました。
このように被害女性が数多くいて、日本軍の蛮行の証拠資料もたくさんあるにも関わらず、日本政府は、国としての賠償を拒否。民間(財団法人)からの寄附でごまかしているのが実態です。
歴史館を見学した後、ナヌムの家で暮らす三人のハルモニにお会いしました。日本人に厳しい目が向けられるのではないかと緊張しましたが、ハルモニは私たちを、温かい笑顔で迎えてくれました。
「辛すぎる事実を知った」「同じ日本人として恥ずかしくなった」「悲しい事実と向き合いながら私たち日本人に明るく手を振って見送ってくださったハルモニの強さに感謝したい」参加者の感想です。
西大門刑務所歴史館
独立運動家に過酷な拷問を
西大門刑務所は、抗日義兵を投獄するために鐘路にあった監獄を一九〇八年に新築して移転したのが始まりです。この刑務所では数多くの独立運動家が残酷な拷問を受け、苦痛の中で殉国しました。
同歴史館はこのような歴史を引き継ぐ教育の場として開館。追悼、歴史、体験などのテーマで資料が展示されていますが、蝋人形で再現された拷問シーンは女性の絶叫が響き、ショッキングでした。
歴史展示館から少し離れたところに死刑場があり、死刑を執行した後、遺体を刑務所の後ろにある共同墓地に捨てるための秘密通路も復元されていました。
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歴史を学ぶとき、日本の被害は教わりますが、加害はほとんど教わりませんでした。日本が起こした戦争と植民地支配が多くの犠牲者をつくり出した真実を しっかり受け止め「被害国にも加害国にもならないための平和」について考えること。韓国では、その大切さを実感しました。
いつでも元気 2008.7 No.201