特集2 「児童虐待」とは 「貧困」や「孤立」が要因に
家族全体へのサポートが必要
正木公子 福岡・千鳥橋病院小児科(ふくおか・こどもの虐待防止センター運営委員、 福岡県中央児童相談所事例検討委員) |
新聞やテレビでは、毎日のように児童虐待の事件が報じられ、児童相談所に相談された件数は、いまでは年間3万件を超えています。99年と比較して3倍、90年と比較して30倍以上です。
一見児童虐待が急増しているかに見えますが、児童虐待が社会問題として認知され、子どもにかかわる専門職や市民の間に通告の義務(注)が行き渡ってきた こと、児童相談所が虐待事例として介入するようになってきたことなどが件数増加の要因としてあります。
昔から子どもへの虐待やドメスティックバイオレンス(DV。配偶者間暴力)、高齢者への虐待などの家庭内での暴力や虐待は存在していました。力の弱いも のが力の強いものから虐げられるという構造は、社会の中でもよくみられます。
(注)児童虐待の防止等に関する法律 第6条
児童虐待を受けたと思われる児童を発見したものは、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所もしくは児童相談所または児童委員を介して市 町村、都道府県の設置する福祉事務所もしくは児童相談所に通告しなければならない。
子どもが傷ついていれば
しつけで子どもに体罰した、罰として戸外に締め出したり食事を食べさせない、幼い子どもたちだけで留守番をさせる、子どもが見ているところで父親が母親 に暴力をふるう、季節にそぐわない服装や不潔な身なりをさせる、お前は何をやってもダメだ、あんたのために離婚できないなどと子どもにいう、子どもの目に つくところにポルノ雑誌を置くなど、これらはすべて児童虐待です。
わが子に身体的虐待や心理的虐待をしている親のほとんどが、「しつけのため」と自分の行為を正当化します。自分自身が体罰を受けて育った親の生育環境に よることもありますし、逆に放任状態で育った親が、厳しくしないと子どもが育ちそこなうと思い込んでいることもあります。子どものためと思っていても、親 の言動により子どもが深く傷ついていれば、虐待とみなされます。
どんなことが児童虐待になる?(例) |
虐待に関する相談対応件数は増えている 2007年『厚生労働白書』 |
子どもの生き方にも悪影響
「しつけ」のつもりでも、子どもが深く傷ついていれば虐待です |
児童虐待とは、「養育者が、何らかの行為をするか、必要な行為をしないために起きた子どもの健康障害のすべて」です。子どもの人権の重大な侵害であり、子どもの発育や発達に障害を残すだけでなく、子どものその後の生き方に悪影響を及ぼします。
日本子ども家庭総合研究所の高橋重宏氏、庄司順一氏は「18歳未満の子どもに対する、おとなあるいは行為の適否に関する判断可能な年齢の子どもによる、 身体的暴力、不当な扱い、明らかに不適切な養育、事故防止への配慮の欠如、言葉による脅かし、性的行為の強要などによって、明らかに危険が予測されたり、 子どもが苦痛を受けたり、明らかに心身に問題が生じている様な状態」と定義しています。
児童虐待は身体的虐待、ネグレクト(養育の怠慢、拒否)、心理的虐待、性的虐待に分類され、それぞれに重症度の分類があります。生命の危険がある重度の ものから、家庭に重荷となるリスクを多数抱えたハイリスクグループ、「虐待してしまうかもしれない、虐待しているかもしれない」などの育児不安までさまざ まです。
虐待する親も苦しんでいる
一方、「子どもをうまく育てることができていないのではないか」「子どもを虐待しているのではないか」「子どもといることが苦しくて仕方がない」などの悩みを抱えたお母さんも多いのも現状です。
自分が親になるまで乳幼児と接した経験がなく、また育児のモデルとなる人が身近にいなくて困惑してしまうとか、気軽に相談できる相手がいない、父親が育 児に無関心であったり長時間労働だったりして家庭にかかわれないことなどが背景にあると思われます。
とくに自分の親との関係に問題を抱えている場合は、適切なサポート(支え)がないと育児不安が高じて子どもを無視したり、逆に干渉しすぎるなど、不適切な育児にいたることがあります。
重度の虐待では、「かわいそうな子どもと、虐待をする鬼のような親」という図式でとらえがちです。しかし虐待をする親自身も、うまくいかない育児や家族 との関係で悩んだり苦しんだりしており、親自身の生育歴に大きな問題を抱えていることが多いのです。虐待をする親へのサポートをおこなわなければ、家族の 絆を修復することはできません。
児童虐待は家族関係の問題(病理)です。直接の被害者である子ども、直接虐待は受けていなくても兄弟が虐待される家庭で育つ子ども、直接の加害者である 親、手を下していなくても我が子を守ることのできない親、それぞれに適切なかかわりが必要であり、援助者は家族全体を支える姿勢を必要とされます。
子どもの命が最優先
身近な人に相談できず「孤立」してしまうことも虐待の要因に |
ただし、最優先されるのは子どもの命です。子どもの安全を守るためにやむなく親子分離をせざるをえないこともよくあります。
保護された子どもは児童相談所が管轄している一時保護所で過ごしたり、「一時保護委託」という制度で乳児院や病院で過ごすこともありますが、これは一時 的な措置です。その後、児童養護施設で親と離れて生活をする子もいれば、家庭に帰る子もいます。
在宅でようすを見る場合、子どもに虐待が繰り返されたり、家族にトラブルがあった時に、すかさず状況をキャッチして介入するために、地域での注意深い見 守りや支援のためのネットワークが必要です。しかし保健師さんや民生児童委員さんなどがこまめに家庭訪問をおこなうにも限界があり、「児童相談所がかか わっていたにもかかわらず」不幸な結果となるのは、このような事例です。
プライバシーに配慮しながらさりげなく家族を見守る、大変な時にはすぐお手伝いする、気になる子どもがいたら周りのおとなで支えあうといったことは、高 齢者やハンディキャップのある方が地域で安心して生活できるための手立てと同じです。
一見平穏な家庭でも
高度経済成長期以後、地域社会崩壊や核家族化、長時間労働などがすすみ、母親のみに育児の負担がかかることが多く、子どもに何かあると母親の責任とされる風潮があります。家事や育児、介護を女性の役割とする「性別役割分担」もまだまだ日本にはびこっています。
世界的にみても、日本の男性が家事をおこなう時間は先進国中最低です。育児も同様です(下図)。「密室の育児」は、母親にも子どもにも大変なストレスとなります。
児童虐待はあらゆる階層に起こりうるとされますが、大きな要因は経済的貧困です。家庭の基盤が不安定なため、親の病気や失業などがあればあっという間に家 庭が崩壊します。子どもの自立に必要な教育を受けさせることができず、子どもが成人しても安定した職業や収入が得にくくなり、貧困の連鎖が起こります。
人間関係の貧困(社会的孤立)も大きな要因です。虐待する親は自己評価が低く、うまく人と接することができず、職場や親族、地域からも孤立する傾向にあ ります。アルコールやギャンブルに依存していたり、仕事が長続きしない、すぐ暴力をふるうなど、問題が明らかな場合もありますが、一見平穏な家庭のようで も、妻が苦しんでいることにまったく無関心で気づかない夫、寂しさをひたすらメールを打つことで紛らわしたり、子どもの「早期教育」にのめりこんでいく母 親など、夫婦の関係が希薄な例もよく見られます。
最近ワーキングプアが問題となっていますが、若い世代の貧困と格差、社会的孤立の問題は、彼らの人間としての尊厳を奪うだけでなく、次の世代の子どもたちへ深刻な影響を及ぼすことが懸念されます。
6歳未満児のいる男女の育児、家事関連時間 2007年『少子化社会白書』 |
子どもの自立ささえる活動も
1990年代に医療、保健、福祉、司法、心理などの専門職が中心となって大阪、東京をはじめ全 国各地に「こどもの虐待防止センター」が結成されました。児童相談所に対して専門職として助言する、育児に悩む親を対象に電話相談をおこなう、死亡事例の 検討をはじめ研究活動をおこなう、また弁護士は司法の専門家として児童相談所をサポートしながら被害者である子どもの代理人となるなど、民間団体ならでは のフットワークの良さを生かしてさまざまな活動をおこなっています。
福岡市でも北九州市、久留米市に続いて1999年に「ふくおか・こどもの虐待防止センター(F・CAP・C)」が活動を始めました。
虐待防止のとりくみは、地域でかなり温度差があります。広域を管轄する児童相談所と、より地域に密着した保健所や福祉事務所との連携もまだ十分とはいえません。
児童相談所や児童養護施設への人の配置や予算の配分など不十分なことだらけですが、私が一番気になっているのは、子どもたちの自立へむけて活用できる制度 や施設などがあまりにも少ないことです。児童相談所がかかわれるのは18歳までです。養護施設にいる子どもたちは高校卒業と同時に家族の支えなしで社会に 出ていきます。高校に進学しない場合や中退した場合は、その時点で自立を迫られます。身元保証人もおぼつかず、就職や家探しは大変困難です。
いま子どもたちの社会的養護をめざして各地で小規模なグループホームをつくったり、「養育里親」を増やすとりくみが始まっています。
医療従事者にできること
私が当院で小児科医として仕事を始めて約30年ですが、当初は福岡市の小児救急医療はいまよりずっと不十分で、当院の救急外来には急性硬膜下血腫や、ネ グレクトのため餓死寸前までやせ細った子など、虐待を受けた子が次々に来院していました。退院後どうするかをめぐって親元に帰す、帰せないと児童相談所と やりとりしているうちに、児童相談所の相談を受けるようになりました。いまでは児童相談所の事例検討員会に出席したり、児童相談所の委託を受けて入院とい う形で子どもを保護したりしています。
親に対して「これは児童虐待にあたり、児童相談所に通告するので、今後は児童相談所と子どものことを相談するように」といった虐待告知を、弁護士さんと 協力しておこなうこともあります。児童相談所が親とできるだけ敵対しない形で、かかわっていくようにするためです。
虐待の心理的治療にとりくむ精神科医や臨床心理士も増えてきましたが、そのような専門家でなくても、地域の小児科医として虐待防止のためにできることは多々あります。
妊娠中から困難のある家庭に気を配る、どのような親子でもまず受け止めてきちんと話を聞く、問題のある家庭には医療相談員と一緒に利用できる制度を探 す、虐待が潜んでいてそのための症状かもしれないと疑って援助につなげる、などです。
電話相談も活用して
当院では、国民健康保険証の取り上げ、生活保護の申請拒否や打ち切り、ホームレスやアルコール 依存へのとりくみ、経済的な貧困を抱えて出産にいたる妊婦さんなど、さまざまな困難を抱える人々の問題にとりくんでおり、福祉事務所や保健所、児童相談所 などから、「最後の砦」としての役割を非常に期待されています。
医療や福祉がどんどん削減されているからこそ、それを阻む運動が必要です。人と人とのつながりによる新たなセーフティネットワークづくりが必要だと考えています。
「育児がうまくいかず、苦しい、イライラする」など悩んでいる人は、児童相談所や子どもの虐待防止センターの電話相談なども活用しましょう。
イラスト・いわまみどり
いつでも元気 2008.7 No.201