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いつでも元気

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特集1 おかげさまで『元気』200号! 全国1550カ所の販売所の奮闘が

 おかげさまで『元気』200号。全国に一五五〇カ所ある『元気』販売所が毎月、配達・集金をして支えています。そのひとつ、京都「中・右京健康友の会『いつでも元気』販売所」を訪問しました。

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手くばり訪問でいろいろお話が

 「中・右京健康友の会『元気』販売所」は、太子道診療所の友の会ルームにあります。中京区、右京区の地域健康友の会の中心的な販売所で、取り扱い部数は本部と一三の取扱所で一〇五〇部(二〇〇八年三月現在)を分担しています。
 この日は『いつでも元気』普及委員会の開催日。『元気』最新号が届く毎月一五日過ぎに、定例で開いています。各取扱所の所長と数名の委員が参加し、購読 状況(増減誌)の報告や『元気』の合評のほか、各地区でとりくんだ後期高齢者医療制度の公開講座のようすなどを報告しあっていました。取扱所が友の会の支 部センターともなっているわけです。
 「普及委員会」は一九九四年一一月、健康友の会・副会長の熊木利次さんを中心に発足。そのときの取り扱い部数は二三四部。現在、四・五倍にも増えました。

手渡しでつながり大切に

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「元気」の宣伝ポスターを毎月はりかえます

 「普及委員会」の代表を務める熊木さんはこういいます。
 「普及委員会ができる前は、受診時に友の会事務局にとりにきてもらうという読者が多く、受診されないと二、三カ月たまってしまうこともしばしばでした。これではいけない、と地区ごとに活動家に訴えて取扱所をつくったのです。
 配達は可能な限り手配りで。集金はほとんど配達のときですが、当会独自の制度として、年間前納制をすすめています。年間購読料を前納していただくと一カ月分(三八〇円)無料にしているんですよ。未収金を防ぐことにもなり、全取扱所がとりくんでいます」
 嵯峨地区担当の森田さんは「私の取扱所は七人で四二部を受け持っています。腰痛、膝が痛いなど、持病をかかえている読者も多く、私との会話を楽しみに待っている人がいると思うと、とてもポストに放って帰れません」といいます。
 太秦地区担当の川嵜さんも「日中独居の人も多く、楽しみにしてくれているからね。一人のお宅で一時間かかる時もあるけど、手渡しで配ると一人ひとりの顔がみえる。前納の人にも手渡しして『読者とのつながり』を大事にしていきたい」。
 「『もうちょっと、ゆっくり話しましょう』って、このごろ声をかけられるようになりました。自分ももっと読者の声を聞きたいから…」と、朱三地区担当の野上さん。

きれいな『元気』届けたい

 手配りに力をいれている、この販売所ならではの工夫も。「きれいな『元気』を読者に届けたい」と一冊ずつポリ袋に入れていること。配達の途中で大雨が 降って、『元気』をダメにしてしまった苦い経験から生まれたものです。一〇年ほど前から普及委員会のあと、全員の領収書点検、袋詰めと仕分け作業をすすめ ています。
 診療所の待合や廊下などには、『元気』の宣伝ビラやポスター、見本誌があちこちに置いてあり、診察室の横には健康のページがコピーしてはってありました。
 「知っている人が載ると話題になり盛り上がる」と、身近な出来事を通信したり、「ひとこと」や絵手紙、短歌・俳句の投稿をすすめたり。

読者が読者へ魅力語って

 読者を減らさず増やしていくには何が大事か、熊木さんにたずねると―
 「まず未配達をつくらないこと。代金の徴収漏れがほとんどないことには自信をもっています。読者の状況把握と管理の徹底が基本ですから、取扱所まかせに せず、友の会として『全購読者リスト』をつくっています。領収書や宣伝チラシなど、販売所独自のアイデアもあります。以前は、一度読者になって読んでもら えばゼッタイにやめない、といっていた(笑い)のですが、最近は、経済的な理由でやめる方が増えてきて…。この格差社会をうちやぶっていくためにも、もっ と『元気』を増やしたいですね。読者がまた読者へと、魅力を語ってつなげていく。つまり読者に依拠するところが一番大きいのではないでしょうか。『元気』 は、われわれ共同組織、そして職員が民医連を語るうえで欠かせません。一二〇〇部目標に、販売所の運営を実務的にも運動面でもしっかり整備していくことが ますます大切になってくると思います」
文・井ノ口創記者/写真・豆塚猛

『元気』200号記念座談会

民医連と共同組織を結ぶきずな

いまこそ出番! 大きな飛躍を

 『いつでも元気』が二〇〇号を迎えました。共同組織の編集委員、高橋孝治さん・今井初枝さん、創刊時の事務局長の八田英之さん、現事務局長の長瀬文雄さんが、創刊の経緯から今後の展望など、話し合いました。 (司会・編集部) 

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長瀬文雄さん
全日本民医連事務局長
(株)保健医療研究所代表取締役
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今井初枝さん
『いつでも元気』編集委員
医療生協さいたま常務理事
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高橋孝治さん
『いつでも元気』編集委員
千葉県健康友の会連合会会長
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八田英之さん
全日本民医連顧問
千葉勤医協副理事長
全日本民医連顧問
千葉勤医協副理事長

 ――二〇〇号を迎えての感想は? 高橋さんには発行の準備段階からずっと、ご尽力いただいていますが。
高橋 本当に、よく続いたなと思います。初めのころは、一〇万部をめざすようになるとは、考えませんでしたね。
八田  あれ、もう二〇〇号という感じです。発刊のきっかけは、一九八九年二月の評議員会の際の顧問会議で、元全日本民医連事務局長の戎博信さんから「地域の組合 員や友の会員に民医連から情報提供する機関誌が必要ではないか」と提起されたことでした。全国で共同組織を増やそうととりくんでいるときでね、あ、これ だ、とひらめいたのですよ。
 八三年に山梨勤医協の倒産が起きました。その教訓から、民医連の病院・診療所は地域の財産であり、住民に支えられて成り立っていることが改めて確認され て、強大な共同組織(当初は「基盤となる組織」といってましたけど)をつくろうという方針が八五年に出たのです。
 九〇年の二九回総会で機関誌を発行することが決まり、九一年二月に第一回の共同組織の全国交流会が開かれて、一一月に創刊号の発行となりました。

自覚的な住民運動へ

高橋  私のところは友の会型ですが、友の会型の組織にとっては全国交流会ができたことで、自覚的な前進に大きく踏み出せました。医療生協は全国的な運動のノウハ ウを蓄積しているけれど、友の会は全国のつながりもなく、住民運動という自覚もあまりなかったからね。ですから『元気』の発行は大きな喜びでした。
八田  『元気』は民医連と共同組織を結ぶきずな。この位置づけは一貫していますね。印象深いのは、千葉から高橋さん、東京から松尾泉さん、小山正助さん、埼玉か ら岩本孝子さんなど共同組織の方が編集にずっと携わってくださったこと。編集会議そのものが、読者を代表する人たちと一緒におこなわれてきたからこそ、読 者の声が生きいきと反映され、生命力を発揮したのではないかと思います。
今井 私は埼玉から五代目の編集委員で、読み始めて一〇年くらいですが、今回改めて、医療改悪の激動の時代に発行してきた雑誌なんだな、と思いました。写真がきれいで読みやすいというのは定評がありますが、社会的な側面も強いですよね。
長瀬  そうですね。国民生活の激動の時代に、民医連と、住民組織である共同組織を結ぶ機関誌を、こういう見やすい形で誕生させ、続けてきた意味は大きい。振り 返ってみると、時代時代を切り取っている、時代に対していろいろ提起していると実感します。始めた方の発想、努力というのはすごいなと思います。
 巻末についてる読者カードね、あれがいま毎月七五〇通くらい返っています。
八田 七〇〇! すごいね。
長瀬 しかも、びっしり書き込んであるのが多い。それだけやはり読まれていて、またその読者の声が編集に反映する。読者参加の紙面になってるんですね。

独自のヒットがいっぱい

高橋 記事の内容については、私はむしろ健康雑誌でいこうという考えだったんだけど、松尾くんなんかは「それは違う、民医連がつくるんだから機関誌なんだよ」と。この矛盾をどう統一するかというところで苦労してきたというかな。
八田 それは『元気』の宿命ですね。
高橋 ただ、民医連の医療というものをしっかり紹介していこうと。患者と共同の営みの医療、無差別平等の医療など理念をふくめてね。そういうことをしてきたから、医療攻撃のなかで民医連に対する攻撃が集中したときもたたかってはね返せたんじゃないかと思っています。
八田 九三年に北海道の奥尻で地震と火事があったでしょう、あのとき急きょトップの見開きページを奥尻に差し替えたのね。阪神大震災のときもやりましたね。国民的に重要で、とくに医療にかかわったときは、最大限、力を集中するというのはやってきましたね。
今井 臨機応変な編集ですね。
高橋 うん、あんまりやるとペースが狂ってしまうけどね。逆に、何カ月か遅れて出るというのは月刊誌の宿命だから、大事な問題はしばらく時間がたったところで掘り下げてやる。これも大事です。
八田 そう、独自のヒット、いっぱいありますね。きんさんぎんさんが亡くなったあと、担当した病理医が「ぎんさんの若さの秘密」という記事を書いていたでしょう。それからドクさんの結婚も単なるおめでとう記事じゃなかったし。
高橋 「えひめ丸」もよかった。事件の一年半後に遺族の思いを伝えた。いい執筆協力陣を獲得してきたといえますね。

多彩な巻頭エッセイが魅力

長瀬 いつも真っ先に読むのは、巻頭エッセイです。書き手が非常に多彩で、短い文章の中に思いが凝縮されているでしょ。日本の民主主義とか平和を願う幅広い人たちが登場して巻頭を飾る。『元気』が訴えようとしていることの基本がよく出るページだと思います。
今井 新年号のピーコさん、私は大ファンで、うれしかったですね。ほんとに幅広くて、よくこんな方たちを見つけてくるなあと、いつも感心しています。
高橋 編集部の突撃精神だよ。最近は非常に若いエッセイストがどんどん出てきて、これがまたいいエッセイなんだね。
長瀬  仲間うちでしか読めない雑誌ではないですね。いまの住民の知りたいこと関心のあることに対して、ぴたっと応えている。イラク戦争が始まって丸五年が過ぎま したが、平和の問題は一貫して重視しています。とくに劣化ウラン弾の放射能汚染については、カメラマンの森住卓さんとの連携で連打してきました。
 また民医連を知ってもらうということでは創立五〇年のとき、「民医連半世紀」という連載を二年間やりました。離島医療、水俣病の検診など、民医連はこう いうことをしてきたという連載です。あれで民医連がよくわかったと。個々の病院とか診療所は知っているけど、民医連というのはよくわからなかった。それが 理解できたという声が多いですね。その連載をまとめて別冊にして販売していますけど、いまも注文が多いのです。

「民医連の雑誌」いまチャンス

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まちづくり、平和の問題を一貫して追求。劣化ウラン弾告発の最初のリポート、ドクさんの結婚式。緊急に差し替えた奥尻の被害記事。表紙も好評です

 ――これからの課題という点では?
長瀬  『元気』を健康雑誌というジャンルで位置づけた場合、日本で一番出ている雑誌がNHKの『きょうの健康』で最新の発行部数が二七万部です。そのほかいろい ろありますが、実数で五万四〇〇〇部が読者に毎月渡っている雑誌というのはそうはない。『元気』は一〇本の指に入るのではないでしょうか。そういう規模に 成長しています。さらに誌面を充実し、読者層を広げたい。
八田  最近、民医連が世の中に認知されて、マスコミにも地域でもいろいろな形で登場する場が増えたでしょう。いま、「その民医連の雑誌です」ということで売り出 せるのではないか。運動の力を強めるということとセットで『元気』は進んでいくべきものだと思います。受け入れる要素も広がっているのです。
 千葉民医連のある医師が、今度、医師会の理事に推薦されたときの話ですが、先生が医師会の方に、「僕でよろしいんですか」と聞いたら、「いや、この情勢ではたたかわなくちゃいけない。だからぜひ、お願いしたい」と、こういう話だったそうです(笑い)。
 潮目が変わったというのはあちこちでいわれているけれども、医療のなかでも間違いなくあらわれています。そういう情勢をおさえて、わかりやすく伝えていくことが大事になってきますね。

記事で運動を起こしていく

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前列左から、八田さん、高橋さん、今井さん、長瀬さん。後列は現在の編集部。左から西原、多田、井ノ口、木下

長瀬  そうですね。いま毎日のようにテレビや新聞から取材の電話が入ります。きのう(四月七日)も「朝日」が差額問題の特集を組んで、私が取材を受けたのです が、国立病院で二割、民間病院で三割以上が差額をとっている。だけどとっていない病院がある、それは全日本民医連だというような形でサラッと出る。『週刊 ポスト』でも、後期高齢者医療制度を撤回しろという声を紹介して、全日本民医連の調査では昨年一年間で「保険証取り上げ」で三一人が死亡、と出てくる。認 知度が高まってきたのは事実です。そういう意味で、より開かれた誌面、記事の内容で運動を起こすような、社会に提起するような記事の充実が求められます。
今井 医療問題とか社会問題でおかしいなと思う方、最近とくに増えていますから。そういう方たちを読者にと考えればずいぶんターゲットが広がりますね。
高橋 年金者組合とか新婦人とかいっしょに運動をすすめようというところに読んでもらおうというのはだいぶやっています。『元気』は三八〇円で安いしね。
 それから出版事業というのは不思議なものでね、雑誌は単独では増えないんだ。たとえば少年誌で「あしたのジョー」の人気が沸騰する、単行本を出してヒッ トして、それでまた少年誌自体の部数が伸びる。そういうものなんだよ。
 『元気』も介護保険のときタミさんというキャラクターを生み出して、あれから「タミさんパンフ」を四種類かな、出したでしょう。一番売れたのは二三万部 以上です。あれですごく確信を持てたんだよ。我々には二三万部を普及する力があるんだって。後期高齢者医療制度では、民医連のビラが大活躍してるけど、 『元気』とセットでというのはぜひ考えてほしい。
長瀬 なるほど。広くということと、やっぱり職員にもっと読んでほしいので、記事の内容とともに、学習会で使うなど活用のしかたも工夫して、と思います。
――話は尽きませんが、きょうはありがとうございました。 (写真・酒井猛)

ジャーナリストからのメッセージ

200号を祝して、ジャーナリストのおふたりからメッセージをいただきました。

あきらめない羽ばたきから生まれる言葉を

genki200_03_09堤 未果さん

 『いつでも元気』を読むたびに、かつて南風について語った一人の医師を思い出す。四八歳のティモシー・ヘイズ。医療現場に導入された競争原理に腹を立てる内科医だ。
 効率と利益重視システムがもたらす過剰労働は医師たちの肉体を、質のよい治療を提供できない罪悪感は精神を直撃し、力つきた医師たちがつぎつぎと辞める なかでティムは必死で考え、決断した。アメリカ国内にいる一六万人の退職した医師と三五万人の看護師に声をかけ、自分たち現役の医者とともにいのちの現場 から真実を発信し始めることを。
 誰もが健康な生活を営むために存在する医師。彼らが誇りを持っていのちのために力を尽くせるように守ることが、国家の核である生存権維持に不可欠だとい う真実は、まず弱っていた医師たちの心を動かし、次に有権者である市民に、現政府への疑問を湧きあがらせた。
 全米で国民皆保険制度導入を支持する医師は六割に上昇したのだと、ティムはうれしそうにいう。「渡り鳥が一心に南を目指すように、僕たち医師も最後まで翼を動かし続けます」
 彼の言葉を、海の向こうで同じように空気を震わせ風を起こし続けている『いつでも元気』に届けたい。いのちを尊ぶ医師たちは、南風に乗ることを知ってい る。決してあきらめないそのはばたきから生まれる言葉が、伝えられるべき場所へと必ずや届けられることを、私は信じている。

絶妙のバランス感覚で時代に斬り込む

genki200_03_10斎藤貴男さん

 人の命や尊厳がこれほど軽く扱われている時代も珍しいと、時に絶望的な気持ちに陥りがちな今日この頃。自称ジャーナリストごときにいったい何ができようかと悩んでしまう日々である。
 でも、『いつでも元気』を読むと、それこそ“いつでも”励まされるのだ。必ずしも医療のテーマだけに囚われず、といって本筋を外すこともなく、要は絶妙 のバランス感覚で時代状況に鋭く斬り込んで、その実態をわかりやすく提示してくれる。
 たとえば三月号には、原子力空母の就航が予定される米軍横須賀基地(神奈川県)の周辺で大量発生した奇形ハゼに関する報告が載っている。医療や介護制度 の充実が、戦争の準備と引き換えにされかねない現実にどう抗うかを論じた記事も読み応えがあった。
 多くのマスコミがこんなふうなら、世の中はきっと、もっともっとマシになっているはずなのに。――なんて、いつまでも他人事にしているようではいけない。俺もがんばらねば!

 いつでも元気 2008.6 No.200