ヘルパー日誌(2) きいてください 私たちの仕事のこと
北海道・協立いつくしみの会ケアセンター
かりぷ・もみじ台 笹原祐美
ほっと介護(75)
事例
腐った食料を「捨てる援助」から始めて
ヘルパーといっしょに食器洗い。かりぷ・もみじ台デイサービスにて(記事とは関係ありません) |
「男子厨房に入るべからず」が信条だったAさん(80代男性)の場合です。
ひとり暮らしになって一年。利用していた配食弁当がどうしても口に合わず、好きな惣菜ばかり買い続けるうちに、食欲をなくしていきました。衰弱して持病 の腰痛も悪化、立っていることも困難になり、介護保険を申請。要介護1と認定されました。調理などの生活援助で、ヘルパーが入りました。
訪問初日、床にはいつのものか分からない買い物袋がいくつもあり、冷蔵庫は賞味期限切れの食材であふれていました。私たちの「食べる援助」は、まず腐っ た食べ物を「捨てる援助」から入ることが多いのです。心情に寄り添いながら片付けていきます。
少し買い足し、あるもので調理しては食べてもらい、少しずつ作り置きを増やして、自分で取り出せるように援助していきました。順調に体力がつき、馴染み の店までどうにか買物にも行けるようになってきた頃、認定の更新で要支援2と判定され、〇六年四月から導入された「予防給付」にかわりました。
「自立支援」は制約だらけ
「予防」の方への援助は「自立支援」です。要支援2で多くて週三回まで、さらに三カ月ごとに援助の必要性を見直し、自立度に応じサービスが減らされま す。「過剰なサービスは自立を阻害する」との考えから「ヘルパー任せにせず一緒に家事をしながら、できることは自分でしなさい」と強調されています。
Aさんへの介入時間は、週に三回二時間ずつだったのが、週に二回一時間三〇分に短くなり計画も変更されました。自立に向け、最初はヘルパーの横に座り、ご飯をラップに包む、電子レンジでチンをして解凍する、鍋の温め直し…とすすめていきました。
Aさんは大変がんばりました。ヘルパーも短くなった時間内で、一緒に掃除や調理など以前と同じサービスをこなさなければならず、会話もそこそこに必死でした。そしてAさんは、ご飯を炊くことや、ガスの使い方、魚を焼くことまでマスターされました。
しかし、Aさんはその間、援助が切られた後の生活が不安で不安で、不眠になっていました。睡眠薬を飲みながら、必死の努力をしていたのです。初めての調理にやりがいを感じつつ、「いつまで続けられるだろう?」と、不安もどんどんつのらせていたのです。
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「自立」とは「援助を受けないこと」ではありません。私たちがおこなった予防訪問介護のアンケート調査でも「これ以上何をすれ(しろ)というのか?」とひとり暮らしの九〇代の方から声が出て、胸が痛みました。毎日二四時間がんばりつづけることはできません。
ヘルパーの自立支援は、老化や病気とともに起きる日常生活のしづらさに対し、ともに生活の建て直しの糸口を見つけていくことです。いまのような制約つきの予防訪問介護では、私たちは十分力を発揮できません。
いつでも元気 2008.2 No.196
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