元気スペシャル 命湧く美ら海、ヤンバルの森 戦争の基地はいらない
森住卓(写真家)
2900日超すオジー、オバーの座り込み
辺野古 基地測量の杭、1本も打たせず
沖縄県名護市辺野古に基地建設計画がもちあがって一一年が過ぎた。一九九七年の名護市住民投票で「基地建設ノー」を突きつけ、地元辺野古のオジー、オバーたちが反対の座り込みを始めて九年、二九〇〇日(11月19日現在)がたつ。
「命湧く、ジュゴンの棲む美ら海を守れ」という非暴力の粘り強いたたかいは共感を広げ、この辺野古の海に測量の杭を一本も打ち込ませていない。
代替えではない新しい基地
「V字型の二本の一六〇〇神の滑走路」「垂直離発着機オスプレイの配備」「航空機弾薬搭載場」「揚陸艦が寄港できる岸壁(軍港化)」「塩害から航空機を 守るためのシャワー設備(三カ所)」「ジェット戦闘機のフック(ジェット戦闘機も離発着する)」「民間住宅地上空飛行」…。次々と新基地計画の中身が明ら かになるにつれ、「普天間基地の代替え施設などではない。まったく新しい基地を作る計画だ」「沖縄県民はだまされている」という声が広がっている。
辺野古に新基地を建設する計画は、ベトナム戦争真っ最中の一九六五年から米軍は持っていた―『沖縄はもうだまされない』(高文研)の著者の一人、真喜志 好一さんはそう指摘する。計画は、ベトナム戦争の敗北や冷戦の終結など、国際情勢の変化や経済的理由で陽の目を見なかった。ところが〇五年、米軍再編計画 が合意され、日本政府が建設費を負担してくれることになった。アメリカ側としては願ってもないことだったのだ。
ジュゴン裁判で明らかに
新基地の内容は、〇三年から始まったジュゴン裁判により米国防総省が提出した資料から明らかになる。秘密裏に日本政府も合意していた内容であった。
アメリカには、「他国で保護されている文化財については、当事国の法律に従い、保護しなければならない」という法律がある。この法律にもとづき、ジュゴ ン保護基金が「沖縄のジュゴンは日本において保護すべき天然記念物」と主張し、米国防省が辺野古基地建設に関与していることを裁判で認めさせたのだ。
現在、辺野古では防衛省による「事前環境調査」なるものがおこなわれている。法律で義務づけられた環境アセスメントを待っていたのでは計画の遂行が遅れると調査を強行している。
しかし調査とは名ばかりで「ジュゴン追い出し」だとジュゴン保護基金の東恩納琢磨さんは怒っている。
「水中カメラやジュゴンの監視に使うパッシブソナーをジュゴンの通り道に設置し、鉄筋にロープを巻き付けてジュゴンが食べた海草の食み跡調査をしている が、こんな事をすれば、警戒心の強いジュゴンは追い出されてしまう」
新たに配備される計画のオスプレイ垂直離発着機とはどんな航空機なのか? 現在、普天間基地に配備されている最大のヘリコプターCH-46と比較しても 航続距離は五倍、積載量は三倍、速度は二倍と、戦闘能力が飛躍的に高い。
しかし、同機は欠陥機といわれ、開発中にもたびたび墜落事故を起こした。〇七年九月、イラクに初めて実戦配備されたが、隣国ヨルダンからバグダッドに行く途中、二度も不時着している代物だ。
天気のいい日、辺野古の海はたとえようのないコバルトブルーに輝く。沖縄方言では青は「オールー」、「神がいる世界」も「オールー」だという。辺野古の海はまさに、神の世界の色なのだ。
高江 ヘリパット建設を中断
辺野古から車で一時間ほどで東村高江に着く。辺野古新基地と連動してヘリパット建設計画がすすめられている地区だ。いまも東村と国頭村にかけ、約七五〇〇ヘクタールもの米軍北部訓練場がある。
目の前にいきなりヘリが
ヤンバル(沖縄本島北部)には亜熱帯の森が広がり、絶滅危惧種のヤンバルクイナやノグチゲラなどの野鳥やヤンバルテナガコガネなどの昆虫、そのほか貴重 な生物が生息している。この森で、米軍はジャングル戦闘訓練をしているのだ。
新しいヘリパットは、高江区を取り囲むように設置される計画だ。人口一四〇人の小さな村は、いまでさえ、演習が始まると昼夜の別なく住宅の真上を旋回す るヘリの騒音に悩まされ、墜落の危険や米兵の犯罪におびえている。
那覇から引っ越してきて二年目の石原理絵さん(43)は米軍ヘリと遭遇した恐怖をこう語る。「子どもたちを乗せて県道を走っているとき真っ黒いヘリがフ ロントガラスからはみ出すぐらい目の前に迫ってきた。山の茂みからいきなり飛び出してきたようだった。真正面にホバリング(空中停止)して、パイロットの 顔が見えるくらい近い。ハンドルをぎゅっと握りしめ、急ブレーキを踏んでいた。ぶつかるかと思って本当に怖かった」
「サバイバル訓練で空腹だった数人の兵士が、民家に食べ物をねだりにきたことがあった」という住民もいた。
ヤンバルに基地は作れない
ヘリパット計画が明らかになったのは二〇〇六年。一九九六年、SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意によって「北部訓練場」の半分が返還され ることになった。訓練場内にある六カ所のヘリパットを移設することが条件だったが、ヤンバルの環境調査をおこなうたびに新たな基地建設はできないという結 果が出て、事実上、北部訓練場内では建設不可能になっていた。にもかかわらず防衛省は、ヘリパットを高江区に押しつけてきた。
建設予定地から一番近い森の中でコーヒーショップ「山甕」を経営している安次嶺源達さん(46)は嘉手納から数年前に移り住んだ。「亜熱帯の森の中で、 都会の人たちが心も体も癒される場に」と喫茶店をオープン。「自然の中で暮らすには最高です。ヘリの爆音や墜落の危険などにおびえたくない」と静かに語 る。
高江区は〇六年二月、「ヘリパット反対」を決議した。〇七年六月、地元で反対集会が開かれ、七月、「“ヘリパットいらない”住民の会」を結成。連日、 ゲート前に座り込んでいる。防衛省は七月に工事を強行しようとしたが、住民に阻止され中断したままだ。
罪のない人が殺され続けて
反対運動が始まった当初、たった一四〇人の集落の声をどうしたら日本中に届けられるかと真剣に悩んでいた。しかし、ゲート前での座り込みは五カ月を過 ぎ、反対の声は少しずつ広がった。一〇月には人気女性歌手のUAさんが、「すばらしい自然をいつまでも残して」と高江でミニコンサートを開いた。若い人に も反対運動は広がり始めている。
「辺野古に新基地が建設されると、ここでの訓練がさらに激しくなることは明らかだ。訓練して、どこを攻撃しに行くのか。イラクでもアフガンでも、罪のな い人が殺され続けている。たまらない。そんな基地や訓練所は、ここにも日本のどこにも作ってほしくない」と、住民の会共同代表の伊佐真次さん(45)はい う。
いつでも元気 2008.1 No.195
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