特集1 医療 誰でも いつでも どこでも フツーに受けたい! シッコ 【マイケル・ムーア監督】 この映画を“明日の日本”の姿にしてはいけない
たいへんな映画が公開された。米社会を告発する映画を発表してきたマイケル・ムーア監督の 「シッコ(=ビョーキ)」だ。負傷した膝を自ら縫い合わせる男性を映し出し、映画は始まる。処置の場はリビング、傍らに猫。彼は医師ではない。無保険のた め病院に行けないのだ。映画は国民皆保険制度がないアメリカで、危機にさらされる命を描き、事態の打開を呼びかけた。アメリカ人じゃなくて良かった…でも まてよ、これは日本への警告でもあるんじゃないか? 話しあった。
「命は金次第」の社会に言葉もなく
大間知 医療費が払えない患者を病院が捨てるという話が ショックで。医療費の未収金には私たちもどう解決しようかと悩んでいますが、放り出すなんて考えません。交通事故にあった女性に、保険会社が「事前に申請 しなかったから」と救急車の使用料を出さない、という事例にも仰天しました。恐ろしい社会ですね。
長瀬 医療がカネのある人には買えるが、無い人には買えない「商品」に成り下がると、ここまでくるかと。まさに「シッコ(ビョーキ)」です。
監督は「これはアメリカの無保険者四七〇〇万人の話でなく、二億五〇〇〇万人の保険加入者の話だ」といいました。勤め先などで保険に入れる条件があって も、痩せすぎ・太りすぎ、持病がある、といった理由で保険会社から加入を拒否される人たちもいる。保険に入れた幸運な人たちでさえ、保険会社に医師の診断 や治療内容を否認されて検査や治療のチャンスもない、という目にあう。投薬や手術を否認され、手をつくせないまま命を落とした患者も。医療にかかれず亡く なる方が毎年一万八〇〇〇人。
住江 世界の富の集中する大国だというのに、健康保険充実度の順位は三七位(WHO調査)、先進国の中では最下位。国民皆保険制度がないからです。
政治家と業界の癒着が改善阻む
住江 アメリカではこの現状を誰も改善しようとはしないの か? と疑問がわきますが、そういう声が出ても実現は難しい。最近、州としての皆保険制度の創設がマサチューセッツ議会で決まったくらいです。ヒラリー・ クリントンが国民皆保険制度を提唱したが潰された話は映画でも紹介されました。
そういう動きがあると、業界から議員たちに莫大な献金がおこなわれ、抑え込
まれます。保険業は、
軍需・製薬産業とともに、アメリカの三大産業の一つだからなんです。
長瀬 社会保障と軍事費は成り立たない、と痛感しまし た。スウェーデンの社会保障を視察した時、現地の研究者が「我が国は二〇〇年以上戦争をしていないので、福祉や医療にお金がまわせるんだ」と話していまし た。アメリカでは国家予算の四割超が軍事費に使われ、医療は最大の儲けの対象ですから、改善は相当難しいでしょう。
住江 そして、支配層は国民の皆保険制度への要求を「そ んな制度を導入すればアメリカは社会主義国になるぞ」と宣伝して蹴散らします。論理のない反共教育で世論をコントロールしようとしているんですね。ムーア 監督は、「そんな論法で通用するのか」と、カナダ、イギリス、フランス、キューバの医療制度を取材し対比してつきつけました。
「医療問題はアメリカの全国民を脅かす、テロよりひどい問題だ」という危機感で映画をつくったんだと思います。
大間知 保団連では、医療人や国会議員向けの試写会を企画するなど、この映画の宣伝に力を入れておられますよね。
住江 ええ。アメリカの問題をとりあげた映画ですが、日本の医療はいま、そのアメリカをお手本に変えられようとしている。「これは明日の日本の姿。私たちへの警告だ」と、思うからです。
長瀬 日本医師会でも「保険証一枚で、『誰もが、いつでも、 どこでも』安心して医療を受けることができる日本の国民皆保険を堅持するために、アメリカ医療を対岸の火事でなく、他山の石に」とこの映画を推薦していま す。全日本民医連も評議員会で試写し、全国で上映運動をよびかけています。
国保証のとりあげ、後期高齢者医療制度―
日本版「シッコ」ができる
長瀬 職員からは「『日本版シッコ』がつくれるんじゃないか?」という声もあります。確かに、いまほど国民の生きる権利や医療を受ける権利が侵害されている時期はない、と感じます。
大間知 先日、資格書の方が入院しました。資格書は国保 料を滞納した方に発行され、医療費一〇割を患者が負担しなければなりません。医療費は三カ月で三二〇万円になりました。当然払えません。重症で「特別事 情」にあたるので、保険証を遡り発行するよう区と交渉し、障害者手帳もとり、何とか解決したのですが。
横浜市は資格書の発行数が三万五〇〇〇世帯と全国最悪なんです。しかもそこには、小・中学生のいる三六〇〇世帯も入っています。最低でも子どもたちに保 険証を出すよう求めていますが、行政は「適法だ」と。国保はこの二十数年で、窓口でおこなわれていた違法を法律が追認する形で改悪されてきました。資格書 の発行も「特別な理由がない悪質な滞納者には出す」に変わり、さらに「原則滞納者には出す」と改悪されました。
住江 滞納が増えるのは、国保料が重すぎるからでしょう。例えば、大阪の守口市は年収二〇〇万円の四人家族で保険料が四三万円。払えますか? その近くの門真市では加入世帯の約四割が滞納という事態に陥っています。
日本版 シッコ 使えない保険「国保」…失明寸前で来院した患者さんがいた。目を負傷したが、資格書だったため受診をガマンしていたのだ。医師から失明の恐れがあるときいても最低限の治療しか望まなかった。やはり治療費が心配だったからだ。 日本版 シッコ 民間保険でも…治療費を給付しない、アメリカの医療保険会社には驚かされた。でも同様の話は、日 本でもある。民間の生・損保の給付を受ける際、保険会社は主治医に「所見」を求める。骨折の場合、骨粗鬆症の既往歴と、それが骨折に与えた%(医師の主観 的判断)をきき、給付額を満額でなく、割引いて支払っているというのだ。 |
医の倫理上許せない発想です
長瀬 来年四月に政府が導入しようとしている「後期高齢者 医療制度」も、国保に輪をかけた、地獄のようなしくみです。加入者は一人平均三つも四つも病気をお持ちの七五歳以上の方、多くが年金暮らし。医療費はかか るが、保険料を捻出する余裕のない人ばかりを集めて…。破たんは眼に見えています。
大間知 そうなれば「普通の医療を受けたければ、保険料を上げるか、保険料を上げたくなければ粗療で済ませるか」と、加入者は二択を迫られますね。
長瀬 制度をつくった思想が「金のない高齢者は長生きするな」なんですよ。
住江 医療人として、認めるわけにいかん発想です。同じ患者を目の前にして、年齢で医療に差をつけろなんて、医療人の倫理に反します。民医連が「後期高齢者医療制度は撤回を」と掲げる理由はそこでしょう。日本の国民皆保険制度はホネ抜きにされつつあります。
また、痛感するのは、国民生活全体が悪化する中で、地域の隅々に社保協など、私たちの姿をもっと見せたいということです。数年前、ローンを苦にしたお年 寄り三人の心中事件がありました。借金は一万五〇〇〇円、悔やし涙が出ました。 厳しい状況の方ほど暮らしに精一杯で、地域社会に参加できない、私たちと つながる機会が少ないんですよね。
大間知 私たちも「地域の最後のよりどころ」として民医連らしいことをやろう、とロビーで毎月生活相談を始めました。開業医さんのところからも、生活の苦しい患者さんを事務長さんが連れてみえました。「汐田総合病院に行けば、なんとかなる」と地域で認知されたいです。
長瀬 住江先生のおっしゃるように、タテ・ヨコ・ナナメ地域 ぐるみのネットワークが力を発揮します。今年、何日間も食うや食わずだった人が、民医連の「なんでも相談」の看板をみて駆け込み、命拾いしています。神戸 では六月、住民税や介護保険・国保料の通知時期に全区役所周辺で相談活動をした。相談者五九二人のうち四割に減免などの救済ができました。
「医療は民主主義」だ
映画のメッセージを受け止めたい
国民の苦難は政治が作り出した
長瀬 「医療保障は、社会主義でなく、民主主義のレベルの問題だ」というイギリスの政治家の言葉が印象的でした。命の平等は、国が責任を持つべき基本的人権だと。
私たちは明日の食べ物にも困っている人の生きる権利を守ろう、と奮闘していますが、国民の苦難は自然現象ではなく、政治が作りだしたものだと忘れてはい けない。映画では、在仏アメリカ人が、フランスの医療や教育、育児支援など制度の充実の理由を、「フランス政府が国民を恐れているからだ、アメリカは逆 で、国民が政府を恐れている」と話しましたね。国民の運動が政府をつくるんだ、と。
住江 日本でも、参院選で与党が大敗、中でも医療系の自民党 候補が全員落選しました。「今の医療改革路線には納得できない」という医療人の意思の反映だと思います。そして医療供給体制の崩壊、医師・看護師の絶対的 不足を、社会問題にまでおしあげてきたのは、私たちの力だといっていいと思います。
私はこの映画に「日本には憲法九条、一三条、二五条があり、一九六一年に皆保険制度を成立させた歴史があるじゃないか。その偉業を、アメリカ型医療の追 求で、かなぐり捨てていいのか?」といわれた気がしました。年末にかけての予算編成で、医療費総枠拡大、診療報酬引き上げ、医師・看護師増員の実行と、世 界一過酷な患者さんの窓口負担の軽減、そういう道筋をつけるためにも、さらに世論を盛り上げたいです。
大間知 多くの人に映画をみてもらい、「いっしょに考えよう」と話したいです
いつでも元気 2007.11 No.193