出直してよ!障害者自立支援法(下) 障害者の自立は支援があって初めて実現する
みんなの力で少しずつでも世の中を動かそう
1万5000人が集まった10・31大フォーラムで。集会から1カ月後、政府は補正予算を組んだ(写真・民医連新聞)
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札幌市のNPO法人「自立生活センターさっぽろ」(代表・佐藤喜美代さん)を訪問。事務局長の岡本雅樹さん(29)に、話を聞きました。
自立生活センターでは、障害者の相談を受け、障害者が住み続けられる住宅の紹介や、住宅改造をするときのアドバイス、自立生活に必要な生活技術を身につ ける体験プログラムの実施などにとりくんでいます。スタッフは一四人。うち障害者は岡本さん含め三人です。
地域で自分らしく生きたい
岡本さんは、小学生のとき筋ジストロフィーを発症。中学一年から車イス生活とな り、病院付属の施設で生活していました。しかしやがて「このままだと、どこまでいっても施設から出られない」と悩み始めます。先輩には、人工呼吸器をつけ たまま施設を出て、周囲の協力を得ながら困難を一つひとつ乗り越えて自立生活をしている人もいました。相談を重ね、岡本さんも決心します。
自分と同じように多くの問題を抱えた仲間たちに役立つ仕事をして、地域で自立生活をしたい。こうして一〇年前、障害がある当事者三人で、「自立生活センター」を立ち上げたのです。
「障害者の多くは、できるなら病院や障害者施設、あるいは親元からでも離れて生活したいと考えています。ですから、国や自治体の介助制度について知りた い、自分の障害に対応できる介助者をどうやって見つけたらいいのかなど、不安をもっています。私自身もそうでした。そうした悩みを障害者の立場に立って解 決していく。それが、今の私の仕事です」
センターを紹介するリーフレットの表紙に活動の目標が掲げられています。「障害は個性」「どんなに障害が重くても地域で自分らしく生きていける社会を!」
日本社会も、その実現に向けて、一歩一歩、前進してきていました。
月2千円が3万7200円に
しかし、障害者自立支援法が施行されて、様相が一変しました。これまで障害者が必要とするサービスは福祉の制度としておこなわれ、障害者本人の収入に応じて、負担が決められていました。負担能力に応じての「応能負担」です。
ところが自立支援法では、サービスを利用するのだから、受けたサービスに応じて利用料を払えという「応益負担」が導入されたのです。岡本さんの収入は、 障害基礎年金と特別障害手当、センターでの賃金と合わせて十数万円。生活していくためには、炊事や洗濯、掃除などの家事援助、着替え、入浴、トイレ、外出 などへの身体介助が欠かせません。
自立支援法以前は、介助費用は月二〇〇〇円でした。その負担が、一挙に三万七二〇〇円に跳ね上がったのです。
「『応益負担』を適用すれば、障害が重い人ほど高い利用料を払わされることになります。障害者は、何もせずにじっとしていろというのでしょうか。それで は人間社会が築き上げてきた福祉制度を台無しにすることになってしまいます」
また自立支援法では、サービスの必要性を明らかにするためとして、新たに障害程度の区分をつくりました。これにより実態より低く障害を認定され、受けられるサービスが少なくなる例が続出。
自立支援法はさらに、サービスを提供する事業者や介助者の生活も脅かしています。新たに採用された単価制度では、介助者が同じサービス量をこなしても収入は一〇%減となってしまうのです。
岡本さんは続けます。「介護保険以来、『自立』という言葉が、誤って使われているように思えます。障害者の自立は、介助や支援があってはじめて実現して いるわけで、自立には支援が不可欠なのです。『介護も支援も不要』な状態を自立というのでは、障害者はもちろん、多くの高齢者も自立できないのではないで しょうか」
「障害があっても、他のみなさんと同じように生活したり、趣味を楽しんだりして、生きていきたいのです」
十分に介助を受けられるよう
自立生活センターは「事業体」であると同時に「障害者が十分に介助を受けられる世の中をめざす運動体」として、国や行政にねばり強く働きかけてきました。
たとえばALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者や人工呼吸器使用者は、二四時間の介助が必要なのに、使えるヘルパー派遣制度を全部使っても、一日一三時間 しか介助を受けられませんでした。それがようやく人工呼吸器装着者についてのみ二四時間派遣が認められました。また、人工呼吸器装着者には欠かせない吸痰 の手技も、自分専属の「自選登録ヘルパー」として認定させることができました。
「障害者自立支援法は直ちに見直してもらわなければなりません。国会への署名運動や昨年一〇月三一日の大フォーラムなど、全国の仲間の声で、政府は補正 予算を組みました。少しずつでも世の中を動かしていくのです」
文・矢作京介/写真・千葉茂
いつでも元気 2007.4 No.186