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いつでも元気

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元気スペシャル どんな医師になるのか?どんな医療したいのか? 語った、聞いた、交流した 熊本「医学生のつどい」に400人

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まずはクイズで打ち解けて

 八月一八日~二〇日、「第二七回民医連の医療と研修を考える医学生のつどい」(以下、つどい)が熊本県・阿蘇でおこなわれました。全国から医学生一五八人、共同組織三九人をふくむ四〇八人が集まりました。

「医療観」テーマに

 今回のつどいのテーマは「医療観」。そこには医学生なら必ず突き当たる問いがあります。「どんな医師になるのか」「どんな医療がしたいのか」
 実行委員会は医療観を考える上で、患者をとりまく社会や医療の状況にも目を向け、どんな立場で医療をおこなうのか考えようと訴え、「水俣病」「ハンセン 病」「慢性二硫化炭素中毒症」(注)の三つのフィールドワーク(実地調査)をおこないました。

(注)慢性二硫化炭素中毒症 工場から排出される二硫化炭素により、身体の血管や神経を侵される。労働者が卒倒して意識を失うなどの事故も起きた。

水俣病の証言聞き衝撃

 「水俣病は教科書でしか知らなかった。伝染病じゃないかといわれて、疎外されたことを知って衝撃を受けた」と話すのは、金沢医科大学一年生の井上悠希さん。
 水俣病のフィールドワークで体験を語ったのは、杉本栄子さんです。「『雨戸を閉めろ』といわれました。家は真夏で暑く、耐えられないほどでした。でも外 のようすを見ようと少しでも開けると、近所から『何で開けるんだ!』と石を投げられたのです」
 杉本さんの家は漁師で網元でした。一九六九年(昭和34)のある日。「家に帰ると母が居間の真ん中でプルプルと震えていた」といいます。父が病院に連れ て行ったところ、母のことが「マンガン病」と報道され、近所の態度が急変してしまいました。
 「奇病」「うつる病気」と噂され、保健所の職員が家の中を消毒して真っ白になったことや、「恥さらしが!」と近所の人に怒鳴られたことなどを、涙ながら に証言。自分も一時期は寝たきりとなり、奇跡的に回復したことを話し、「知ったかぶりをする先生にならないで」と訴えました。
 「困難を克服した人の言葉は重い。今医学生として何ができるか。勉強をするだけでは終わらせたくない」とつどいの事務局員、香川大学五年生の中島綾花さん。

医学生として何ができる? 勉強だけで終わりたくない

現実を目の当たりにして

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市立水俣病資料館(上)、水俣病の慰霊碑(下)も訪れた

 「ハンセン病」「慢性二硫化炭素中毒症」のフィールドワークでも、元患者や、被災者家族の証言などをきき、ハンセン病療養所の菊池恵楓園や、工場の現地調査などを訪れ、国や企業、医師としてのあり方を考えさせられました。
「『らい予防法』を存続させていたのが科学を学んでいた医師であることが印象的だった」(ハンセン病)、「工場から流れ出す排水、吐き出される排煙を目の 当たりにし、この現状は絶対に改善すべきだと素直に思った」(慢性二硫化炭素中毒症)などの感想が。
 このほか、「格差社会に立ち向かう民医連」と題して民医連の歴史を語った全日本民医連・藤末衛副会長の講演、奨学生活動を紹介したポスターのコンテス ト、民医連に入職する決意を確認しあった「六年生企画」、大交流会では「失笑点」がおこなわれ、会場を笑いの渦に巻き込みました。

“気づき”を大事に

 つどいの三日間で、「医療観は生き方そのものに関わってくるものだと思った。社会状況をどの立場に立って どうとらえるかで、やりたい医療、できる医療は変わってくると思う」「『患者さんを医学だけでなく、社会的にも考えて診る』って、すごい難しいとあらため て思った」など、刺激を受けた学生も多かったようす。つどい実行委員会はつどいは三日間だけのものではなく、つどいで得たものを各県での活動にいかし、 「自分のさらなる成長につなげていきましょう」と呼びかけています。
 「三年生になって専門の講義が増えて、どんな医師をめざすべきかなど、考えるようになった」という岡山大学三年生の佐藤航さん。「同じように医師を目指 す学生との出会いや、医療に携わる職員の話を聞くと、自分だけでは思いつかない気づきがある。そういう気づきを大事にしたい。来年もつどいに参加したい」 と。岡山民医連の奨学生会議では、旧日本軍の中国・遺棄毒ガス問題のドキュメンタリー映画「にがい涙の大地から」の監督・海南友子さんを呼ぼうと計画中で す。
 昭和大学二年生の徳増卓宏さんは「診療報酬や医療費の負担増、生活保護の削減などを学んでいきたい」と、今後の抱負を語ってくれました。
 岐阜・西濃医療生協組合員、正岡礼子さんは、「今日集まった医学生は、どんな医者になろうかと一生懸命考えている人たちでうれしい。安心を与えられる医者になってもらいたい」と。
 医療生協さいたまの組合員、間仁田一恵さんも「共同組織といっしょに育ちあい、思いを共有し、地域の健康をまるごと話し合える。そんな民医連で、医師と して働く人が増えれば」と期待を寄せていました。

文・多田重正記者
写真・酒井猛

いつでも元気 2006.11 No.181