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いつでも元気

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特集1 困難は、運動と連帯で乗りこえて 全日本民医連第37回総会─長瀬事務局長に聞く

  全日本民医連は三月二~四日、仙台市で第三七回定期総会を開き、今後二年間の運動方針を決めました。全日本民医連・長瀬文雄事務局長は「困難は運動と連帯で乗りこえる、歴史をつくるのは自分たちと確認しあった総会」だと話します。

 全日本民医連が総会で強調したポイントは、スローガンに凝縮されています。

民医連の歴史学びあう運動を

 まず、一つめのスローガンです。ことしは日本国憲法が公布されて六〇年です。また最初の民主診療所(病院)ができて六〇年の年でもあります。

 六〇年前は国民皆保険制度はなく、国民にとって医療は身近ではありませんでした。そんな時代に「医療を民衆の手に」と多くの医師や看護師たちが、地域の人たちとともに各地で民主診療所を設立しました。それらが一九五三年に合流して、全日本民医連ができたわけです。

 以来、どんなときにも命の平等という理念を投げ捨てないでがんばってきた民医連の歴史を、この困難なときだからこそ、いま一度、職員と共同組織でいっしょに学びあおうと確認しました。

 また、憲法の力で、いっさいの戦争を拒否してきました。戦前の大日本帝国憲法は五六年続きましたが、その間はずっと戦争に明け暮れていました。

 いま憲法を変えようという動きに対し「どっこい六〇年経っても生命力があるよ」と訴え、ますます日本国憲法が光り輝く時代にしたいということを一つめのスローガンは宣言しています。

 二年前の総会のとき、まだ「九条の会」は誕生していませんでした。それがいま、全国に四〇〇〇をこえる会 が生まれています。民医連でも、沖縄・辺野古の基地建設反対行動に参加した青年職員が「こんなきれいな海に基地をつくるなんておかしい」と、職場で九条の 会をつくるなど大きく広がっています。政治的なことはダサイ、友だちと話すと浮いてしまうというのでなく、自分の言葉で平和や憲法を守ろうと語るとりくみ が広がっています。二年前に比べ、職場でも地域でも、主体的な力が育っている。ここに憲法改悪を許さない展望があると感じます。

“ずっと応援しています”

 二つめのスローガンは、われわれがとりくむべき課題は何かということです。それぞれの事業所や地域で具体化し、鮮明にしてほしいと思います。

 民医連の医療活動には、収入にならないものもいっぱいあります。例えば北海道からの報告ですが、亡くなる 前に一度家に帰りたいという患者さんの願いを受け止め、何十キロも離れた自宅まで医師と看護師が付き添い、一時退院を実現した。「患者さんに徹底して向き 合おう」と職員同士で励まし合って実現したとりくみでした。患者さんは最期まで人工呼吸器をつけることを拒否したのですが、亡くなった後、遺書が出てきま した。遺書には「私は死にたくありません。でも機械はつけたくありません。みなさん本当にありがとう。ずっとみなさんを応援しています」と書かれていたそ うです。

 受療権を守るとりくみでも、国民健康保険証を取り上げられた人といっしょに役所にいき、「人の命を見捨てるのか」と迫って出させるという例がいくつも語られました。

 今回の総会は「民医連で働いていてよかった」という感想がたくさん寄せられました。目の前の患者さんに対 して最善をつくそうとする経験が共有されたからだと思います。オブザーバーとして参加した共同組織の人たちからも、地域の困難な人たちを民医連といっしょ にささえたい、民医連の事業所を守り発展させたいという思いが寄せられています。

 アスベストにも全力でとりくむことを確認しました。アスベストにさらされた人だけに発症するといわれる中皮腫(肺がんの一種)は、診たことがないという医師もたくさんいます。では診ないでよいのかというと、そうではないと思います。

 熊本の水俣病裁判でも、たたかった医師たちはもともと水俣病専門の医師ではありません。地域の要求を踏まえ、大学へ研修に行くなどして、専門性を身につけ、学んでたたかったわけです。

 アスベスト問題は、私たち民医連が、時代とどう向き合うのかが問われている課題だと思います。

力強いウエーブを地域から

 この四月の診療報酬、介護報酬のマイナス改定によって、民医連内でもいままで通りにやると、収入が二〇~ 三〇%も下がるところがたくさんあります。しかしこれだけ大きな困難は、小手先の対応ではどうにもならない。連帯の力とたたかいで突破する以外に道はない と、腹を決めた総会でした。ドクターウエーブとか、ナースウエーブ、利用者ウエーブ、患者ウエーブなど、力強い運動を地域から巻き起こそうと確認しまし た。

 また地域には、苦しんでいる人たちが大勢います。孤独で誰にも相談できず、介護を苦にした殺人も起き、孤独死しても誰も気がつかない。そういう状況だからこそ共同組織と手をつないで、地域に「人権のアンテナ」をはりめぐらせ、がんばることが大切だと思います。

 民医連は何よりも目の前の患者さんを守ることを大事にします。同時に国民みんなが安心してよい医療が受けられるよう、社会保障の充実めざして奮闘する医療・福祉の機関です。差額ベッド代も一切とらず地域の財産である民医連の事業所を守る点でもがんばっています。

 その原動力はどこから生まれるのか。それは自分たちの組織は何を大事にしてきた組織かを確認するところから生まれていると思います。ここでも民医連の歴史を学ぶことが大事です。

 今回の総会では医療を受ける権利をどう守るのかなど、民医連の存在意義にかかわる議論ができて、よかったと思います。民医連は何をめざす組織か、誰と連帯するのかを、今日の情勢から見つめ直す議論のスタートとなった総会といえると思います。 (聞き手・多田重正記者)

総会スローガン
●憲法公布・民主診療所開設60年、「いのちの平等」の歴史を受けつぎ、平和と憲法、人権と民主主義を守る民医連の新たな歴史をつくりあげよう
●いま、民医連の出番! アスベスト問題はじめ「人権のアンテナ」の感度を高め、医療・福祉を受ける権利を守り、保健・医療・介護の事業と運動を前進させよう
●あらゆる活動に「共同組織とともに」を貫き、管理運営の改善をはかり、いっそう誇りと確信が持てる組織へと成長しよう
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看護師増員を求めて2月19日、福岡・天神の大宣伝に集まった鹿児島医療生協の人たち

受療権まもれ

深刻な事態が全国で

 全国からの報告で、医療を受けたくても受けられない、深刻な事態が進んでいることが明らかになりました。その一方、他団体とも協力し、受療権(医療を受ける権利)を守れと奮闘する職員・共同組織の姿も浮き彫りになりました。

生健会や社保協と協力して

 青森の佐藤武則代議員は深刻な事例と、中部クリニックのとりくみを報告。

 「生活と健康を守る会」(生健会)の依頼でAさん宅を訪問すると、Aさんはほとんど骨と皮だけの状態でした。会社の役員をしていましたが、倒産して無保険に。開業医への通院も中断していました。

 「すぐ入院を」と判断し、Aさんの妻が国保証の発行を求めて市役所へ。しかし六万円の支払いと診断書が必要といわれます。再度、生健会と診療所が同行して市と交渉。看護師長が「人の命を見捨てるのか」とせまり、国保証を発行させたものの、一〇日後に亡くなりました。

 また、連絡が取れなくなった往診患者さんの対応を市に依頼すると、市の職員は「鍵がかかっていて家に入れ ない」と引き返してしまいました。再度市の職員を呼び出して窓ガラスを破って入ると、患者さんは動けず失禁した状態で倒れていました。一~二日遅れていれ ば、命も危ないケースでした。

 「医療相談員もいない小さな診療所だが、生健会や社保協と協力し、あの診療所へいけば何とかなると地域からいわれるようにがんばりたい」と佐藤代議員。

“サラ金より国保料が先だ”

 鳥取・倉吉市では運動の成果で〇三年から二年連続で国保料値下げが実現。しかしそれでも厳しい不況で、国 保加入二万三八〇〇世帯のうち、二四〇〇世帯が滞納になっています。滞納が続くと国保料が借金の扱いとなり、自治体から「中部ふるさと広域連合」という組 織にまわることがわかりました。「サラ金より、こっちが先だ」と脅し、財産の差し押さえもするといいます。

 金田靖典代議員は二月二六日に民主商工会とおこなった納税相談会に、国保料の滞納で広域連合から督促を受 けた人が「死のうと考えていたが、このチラシをみてすがる思いできた」ことを紹介。すぐ本人と広域連合を訪ね、国保証を自治体に戻させ、国保料を分納にす ることで短期保険証を発行させたと報告しました。

生保の面接官が警察官

 香川の服部啓吾代議員は、高松市の生活保護(生保)行政について発言。

 高松市では生保申請の面接官に警察官・刑務官が休職して着任。暴力団による生保不正受給をなくすためにはじまった動きですが、本当に生保が必要な人も締め出す事態になっています。同席は民生委員と親族だけしか認められず、医療相談員の同席は認められません。

 「面接官の対応に取り調べのような威圧感を感じて帰ってしまった人や、『お前はうそをついているだろう』と怒鳴られた患者さんもいる。他の自治体から見学にきており広がると大変」と服部代議員。市に改善を求めていくと話しました。

看護師ふやして

医療の安全を守るために

 入院日数の制限が強まり、看護業務が大変になっています。欧米よりも極端に少ない看護人員で、病棟勤務の新卒看護師の九・三%が一年以内に退職しています(日本看護協会調べ)。看護問題の解決にむけたとりくみが始まっています。

“世間の人にも知ってもらわな”

 「一人の看護師がタイマーを二つも三つもかけながら処置をこなしている状態です。病棟を一周して体位交換 をしたら、もう次の体位交換の時間になっていることもたびたび。一〇年前は“こんな日もあった”でしたが、いまは毎日がこの連続です」と、北海道・一条通 病院の加藤真澄代議員。

三重・津生協病院でも、どうしたらいいか頭を抱えていると二年目の看護師が「私たちだけで考え込んでいてもあかん。世間の人に現状を知ってもらわな」と発 言。「これで目の前が明るくなり、さっそくこの看護師が三月、三重県の国際婦人デーで看護問題を訴えることになりました。県民医連と県看護協会の懇談もは じめて実現しました」と渡辺栄代代議員は語りました。

 北海道でも、看護師増員を求めて街頭宣伝をおこなったところ、「たいへんなお仕事ですよね。母が入院しているのでわかります」などの反応があり、励まされたことが紹介されました。

看護改善求め550人が大宣伝

 福岡の谷口路代代議員は、福岡民医連として看護改善の大運動推進本部を設置したことを報告。県内四六〇の 病院へ案内を出し、マスコミへも看護の実態を手紙にして送付。民医連外からも呼びかけ人をつのり、民医連九州・沖縄地域協議会としてもとりくんで、二月一 九日、福岡市の繁華街・天神に九州各地から五五〇人が集まり、宣伝をおこないました。

民医連の医師養成

奨学生の獲得を最重点課題に

 〇四年度より医師の臨床研修指定病院での研修が義務化されました。医師研修や医学生対策について報告されました。

“熱心な指導に感謝”

 奈良の水野渉代議員は、二年間の初期研修を終える立場から発言。土庫病院に入職した六人の研修医全員が民医連に引き続き残ることを表明しました。

 医師不足もあり、研修指導やカリキュラムの不備はあったが、指導医や事務職員と話し合い、改善をはかってきたと語った水野代議員。「熱心に指導してもらったことに感謝している。後期研修を充実させ、後輩の育成のため医学生対策も引っ張っていきたい」と決意を述べました。

人間として成長できたと決意

 福井は小病院しかないため臨床研修指定がとれません。「うちの病院で研修を」と訴えられず悩みながらも、民医連の医師として働きたいという奨学生の獲得を県連の最重点課題としてとりくんだ経験を、奥出春行代議員が報告しました。

 強い分野を生かし、「平和・社会保障」の学習を年間を通して企画しました。高校生一日医師体験で奨学生に なったAさんを中心に医学生によびかけ、靖国神社や立命館大学国際平和ミュージアムの見学、七三一部隊や第五福竜丸のビデオなどを鑑賞し、意見を交流。侵 略戦争美化の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書で模擬授業もしました。

 その後、NPT再検討会議に向けたニューヨーク集会に代表として参加した医学生が「みんなといろんなことを学び、人間として成長できることを実感した」と奨学生を決意。さらにAさんは共に研修する仲間をふやしたい、と他の医学生に働きかけているといいます。

 「医学生に、患者や住民を守りたいと率直に訴えた。“この病院のみんなといっしょに医療をしたい”という思いを共有できたことが大きい」と奥出代議員。

共同組織連絡会からの参加者のひとこと

品川良一さん(京都)

 平和で安心して暮らせることを望み、九条の会をつくって活動しています。共同組織はいま三一五万。その一人が次の一人と対話して理解を深め、その人がまた次の人へと広がれば、大きな力になると思います。くじけることなく訴え、手をたずさえて行動していきたいと思います。

橋口隆吉さん(大分)

 医療改悪がすすみ、介護報酬・診療報酬の史上最悪の切り下げがおこなわれるなかで、その不安を跳ね返すような総会に圧倒され、感動を覚えました。

 保険証一枚がないために命を落とすような現状。民医連が求められていると思います。全国の職員と共同組織が一丸となってたたかいに立ち上がることを期待します。私も力添えしたいと思います。

友成光吉さん(兵庫)

 医療改悪は小泉政権が全力を挙げて押しつけようとしているもので す。経営困難の原因はここにあり、努力だけでは解決できません。ウエーブを起こすという提起に賛同します。ドクター、ナース、ホスピタル、クリニック、患 者、高齢者、組合員・友の会のウエーブを広げましょう。

韓国・緑色病院

梁吉承院長

あいさつ

 しっかりした組織を持ち、活発な活動をしている民医連は「巨木」、大きな木です。

 総会のテーマが、平和憲法を守ること、医療福祉を民衆の手にということだとうかがい、驚きました。海をへだて、つらい歴史を抱える私たちがともに同じテーマを持ち、努力していることは感動的です。

 「医療福祉を民衆の手に」というのは、胸をふるわせ、心に響くスローガンです。韓国でも過去30年間、民主化運動の目標でした。独裁が倒れ、軍部が政権から退場しても、医療はまだ民衆のものになってはいません。

 緑色病院は育ち始めたばかりでその芽は愛らしく、茎は生き生きと見えるでしょう。民医連は50年を超え、年齢にふさわしい深さがあります。民医連が緑色病院に経験と知恵を分け、緑色病院がその志を花開かせ、韓国で医療の新しい希望として育つようご支援をお願いします。

 みなさんとともに、アジアの平和と民衆の健康のためにたたかうことを誓います。

いつでも元気 2006.5 No.175