• メールロゴ
  • Xロゴ
  • フェイスブックロゴ
  • 動画ロゴ
  • TikTokロゴ

いつでも元気

いつでも元気

シリーズ被爆60年 海外に広島・長崎の被爆者が5000人 健康不安かかえ「国内なみ援護」の願い切実

genki164_04_01
ブラジル移民記念碑の前で、在ブラジル被爆者の皆さんと
(サントス市、04年3月)

ブラジルの高校生に被爆体験を語る姿も

 広島・長崎で被爆した後、海外に渡った人が大勢います。在外被爆者の現状と望みはなにか。支援を続けている広島共立病院院長の青木克明さんの報告です

広島共立病院院長 青木克明

被爆者だといえなかった

 在外被爆者は現在約五千人。山口県の被爆者とほぼ同じ数です。
 韓国にいる方がもっとも多く、二一〇〇人。つてを頼って広島にきていた方や、徴用で長崎・広島の造船所に連れてこられた方が被爆したのです。敗戦後、 「朝鮮人は皆殺しにされる」との噂が流れ、機雷の浮かぶ玄海灘を命がけで渡って帰りました。
 米国にいる千人は、戦前に移住した人の子弟が就学のため帰国しているとき原爆にぶつかった、あるいは被爆し戦後になって移住した、などという方です。
 南米の一八〇人は、戦後の移民政策に応じて新天地をめざした方たちです。
 いずれの国でも、被爆者とわかると就職や結婚、保険の加入などで支障があるため、被爆者であることを表に出さず、健康上の不安に耐えてきました。北朝鮮 にも約九百人の被爆者がいるとされていますが詳しいことはわかりません。
 在外被爆者の方たちは以前から国内なみの援護を嘆願してきましたが、国は被爆者援護は社会保障の一環であり、その適応は国内在住者に限るという姿勢に固 執してきました。多くの在外被爆者がなんの援護も受けることなく、亡くなりました。

在韓被爆者を受入れて15年

 韓国では一九八〇年から日韓政府合意による「渡日治療」が始まり、三四九人が広島・長崎原爆病院に入院しました。しかし八六年、韓国での治療体制が確立したとして中止になりました。
 このとき広島では、民間の「渡日治療委員会」が結成され、韓国原爆被害者協会からの紹介患者の入院治療の受け入れを始めました。河村病院が最大の受け入 れ先ですが、当院も九〇年からお手伝いをしています。受け入れ病院は最高時九病院、受け入れ総数は五百人をこえています。
九〇年に四〇億円の在韓被爆者支援特別基金が設置され、医療費自己負担分の支給などが行なわれていますが、これも枯渇し、歯科治療費やMRIなどの特殊検査の自己負担分は支給されません。
 〇二年に、郭貴勲さんが大阪高裁で勝訴。日本にきて健康管理手当を申請すれば、韓国に帰ってからも継続して支給されるようになりました。その後は、引率 者とともに四~五人で外来受診することが多くなりました。
 国外からの申請は認められないため、百歳をこえた方や膀胱に管の入った方が、車いすで受診されることもありました。こうした危険をともなう来日を強いるのは、人道上からも改善すべきです。

ブラジルから24時間以上かけ

 〇二年以降は、当院でもブラジル、米国、英国、メキシコの被爆者の受入れも行なうようになり、三月末で総計二七〇人に達しました。胃、大腸、甲状腺などの手術をされた方もあります。
 近距離被爆でがん治療を受けている方四人に原爆症の申請を行ない、一人が認定され、三人が結果まちです。
 在ブラジル被爆者は一三四人中四〇人が当院にこられ、主に短期入院による全身検査と治療を受けています。ブラジルからは二四時間以上の過酷な旅であり、 機内で意識消失した方もありました。病気のため、日本まで来れない被爆者が、なお三〇人おられます。
 昨年三月には、在外被爆者訴訟の代理人足立修一弁護士とともにブラジルを訪問。患者さんに再会し、在ブラジル被爆者の皆さんと交流してきました。会長の 森田隆さんがブラジルの高校生たちに原爆の話をされているのが印象的でした。

一刻も早く援護を確立して

 被爆者援護法の適応は長らく国内にかぎられ、被爆者手帳の取得、健康管理手当ての支給は、いずれも国を相手どった裁判によって切り開かれてきました。い まも広島地裁では在ブラジル、在米、在韓被爆者による三つの訴訟が行なわれており、私たちは支援活動をしています。
 在外被爆者の望みは「高齢や病気のため、日本に帰国するのは不可能な被爆者がたくさんいる。現地で、被爆者手帳や健康管理手当ての申請ができるようにし てほしい」「国内と同様に医療費の自己負担分を補助してほしい」という、ごく当たり前のことです。
 ブラジル被爆者協会の森田隆会長は、今回一八度目の陳情のため帰国されました。心筋梗塞がありながら、いつも数人の被爆者を引率してこられます。お元気 なうちに、国内なみの援護が一刻も早く実現することを願ってやみません。

いつでも元気 2005.6 No.164