阪神淡路大震災から10年 深まる傷跡
“なんでここまで辛抱しとったんや”
午前だけの相談では処理しきれないほどの人が訪れた。中央が大橋さん |
人間を復興させてこそ災害からの復興
度重なる台風と新潟県中越大震災に襲われ、甚大な被害を被った2004年。「災害列島・日本」をまざまざと見せつけられた。
ことし1月17日は、あの阪神・淡路大震災からちょうど10年になる。神戸を訪ね、被災者の「いま」を追った。
昨年一一月下旬、HAT神戸・脇の浜にある団地集会所で、ひょうご福祉ネットワークの被災者相談会が開かれた。震災から半年後の九五年七月に仮設住宅で始め、この日は一〇三回目。
いまは、市内四カ所の災害復興公営住宅などで、毎月一回開いている。相談に応じた人は一七〇〇人にのぼる。
「一〇年もやることになろうとは思ってもいませんでしたよ」と、ネットワークの大橋豊さん(74)はいう。弁護士、税理士、ケースワーカー、看護師らが 毎回無料で相談にあたり、ボランティアが炊き出しを準備する。この日も定刻前から、一〇人以上の人が待っていた。
「なんでこんな状態になるまで辛抱しとったんや」。バッグから差し出される家賃の督促状、裁判所の判決、預金通帳、年金手帳…。大橋さんは電卓をたたき ながら、「こんな少ない年金でどうやって生活しとったん? そしたらな、すぐ生活保護を申請しよう。足が悪うて障害者やろ。障害加給もつくはずや。福祉事 務所へいっしょに行こ。ええな」。相談者の表情に、やっと安堵の色が浮かぶ。
この団地は、兵庫県、神戸市、都市基盤整備公団の共同プロジェクトで建設された災害復興のモデル住宅。この高層住宅を見ていると、震災の傷跡などもうどこにもないかのように思える。
だが「震災は、一〇年できれいに片づいたなんて大間違いや」とボランティアの一人、小野明さん(68)=仮名。彼も、この団地の住人だ。立派なハコモノ の中で、生活がますます深刻になっている人も少なくないという。
傷の深さを象徴するのが、家賃滞納。神戸市から強制退去を迫られるケースが続出している。「私も危ういとこを相談会で助けられたのです」と小野さん。
自宅も車もつぶれ借金だけが
小野さんは震災前、灘区で個人運送業をしていた。震災で自宅は全壊、車もつぶれた。新車の購入と自宅のローン残額で負債は一千万円にのぼった。
六回も落選した末やっと仮設住宅に入れたが、市街地からはるか離れた六甲山の裏側。「一〇分内外で、さっと駆けつけることで商売が成り立っていた」運送 業は、一年足らずで得意先を失くし、失業。月に五万円程度の被災者向け仕事が頼りとなった。
九九年三月、現在の災害復興住宅に入居。だが、負債が追いかけてくる。心労も重なって体をこわし、「看護婦さんが走り回ってくれて」、二〇〇〇年夏やっ と生活保護を受けた。それでも払いきれず、一二月、自己破産。しかし、残債六五五万円のうち、三三五万円は免責されたが、連帯保証人になっていた長女の分 の二二〇万円は、借金として残った。
二〇〇二年、被災者向けの仕事が打ち切りとなる。そのころから、二万九三〇〇円の家賃が払えなくなった。家賃分として支給される生活保護費も、借金返済に回さざるをえなくなったのだ。
滞納が続くと、市は実行不可能な分納誓約書を提出させ、払えないと容赦なく立ち退きを求め裁判に訴える。神戸地裁は、昨年七月、滞納した九カ月分二九万 四千円に家賃相当損害金約四一万円を加えた七〇万円を支払うよう、小野さんに命じた。裁判官は「本人が希望するように分割納入できないか」といったが、市 は「一括納入か退去しかない」と突っぱねた。
小野さんが相談会のチラシを見たのは、地裁判決の直前だった。「退去命令が出てしまったらどうしようもない。何とか滞納分の支払いを工面できへんか」とアドバイスを受ける。
小野さんは知人に「わしが死んだ思って香典の先払いを」と頼み込み、とりあえず滞納分の支払いに当て、強制退去を免れたのだ。
市は家賃の延滞金まで請求
「被災者が家賃を払いきれなくなると、市は、家賃の減額措置をやめ、三倍の本来家賃に引き上げたうえ、一 〇・九五%の延滞金までつけて請求する。生活保護をもらっておきながら悪質滞納だとレッテルをはる。しかし実際は、震災で背負った借金にいまも苦しんでい る人たちなのです」と大橋さん。
小野さんも、震災で家が全壊した直後に、生活保護を受けていれば、借金は増えずにすんだ。残った借金を借り換えるとき、兵庫県災害復興資金という名にご まかされて銀行から借りたため、負債が不良債権として債権回収会社に回り、二一・九%の高利の上に厳しい取り立てにあうことになった。市の災害援護資金な らこうはならなかったと、今はわかる。
必死で、自助努力で、なんとかしようとがんばったあげく、「家賃滞納」というところまで追いつめられたのだ。
神戸市は〇三年度、二二二件の明け渡し請求訴訟を起こし、一二九件が強制退去となっている。福祉ネットでは神戸市に対して、▽滞納家賃の分納を認める、 ▽延滞金利をとらない、など六項目の要望を出し、交渉を続けている。
福祉ネットの活動に参加するようになって、「やっと生きるハリがもてた」と小野さんはいう。借金には追われているが、娘とも相談しながらがんばってい る。自分のことだけでなく、困っている人の役にたちたいと思うようになった。
被災者の運動が実現させた「個人補償」
道がせり上がり、家が傾いた。新潟県中越地震(小千谷市。04年10月29日) |
「不良債権」とされて破産に
被災地の「不良債権」には、小野さんのようなケースが少なくない。
「個人資産への公的資金の投入は憲法違反だ」といい、何が違反か答えられないまま、国は個人補償を拒んだ。
「自分の財産は自分で守りなさい。天災はだれの罪でもない。そういう時のために損害保険会社がある」(村山内閣・武村蔵相)といった政府は、ずさんな経 営によって生まれた住専(住宅金融専門会社)の負債の尻拭いに、公的資金を六八五〇億円も注ぎ込んだ。九九年、政府の肝いりで、不良債権回収専門の(株) 整理回収機構ができ、小泉内閣が「不良債権の処理」を最優先課題にしたことで取り立てはいっそう厳しくなった。
相談にきた一人に、〇二年に自己破産した男性(82)がいた。経営していた賃貸マンションが半壊、複数の金融機関から借入れた一億円を超える負債が残 り、跡地は競売にかけられたが、落札価格は負債の六割程度にとどまった。負債は「不良債権」として整理回収機構に買い取られ、後は破産するしか道がなかっ た。
消費者金融から年金を担保に金を借りた人もいる。震災でアパートが倒壊、夫に先立たれて独り暮らしの女性(74)は、当座の金に困って消費者金融に手を 出したのをきっかけに多重債務に陥った。あちこち合わせて一二〇万円以上に。
国民年金法は税金を滞納した場合を除き、年金を担保に取ることを禁じているが、業者は罰則がないのをいいことに、これをやるのだ。女性は「借金が全部な くなるまで、年金手帳は返してもらえない」と嘆く。
大橋さんは「震災が起きた直後、行政が、家が全壊した人に一律五百万円保障していれば、今日の深刻さはなかった」という。これは被災者と被災者を支援する人々の共通の思いである。
「いま、京都の水害や新潟の震災では個人に補償してはるやないですか。私らもいうてたんです。長田でささやかでも商売ができるようにしてほしいと。でも 個人にはでけへんといわれたので、自分でプレハブ建ててやり始めたけど、最後は借金で首が回らんようになった」
この女性は、夫が経営していたケミカルシューズの工場が壊れ、住宅もビルの下敷きになった。暮らしていたこの街で暮らせるようしてほしいというのは住民 の切実な要求だったが、行政は拒んだ。
小野さんが被災時にもらった現金は、義援金の二〇万円だけ。「あの時せめて百万円の援助があれば住まいの近くで商売でき、破産しないですんだだろう」
病気やけがをしたとき、どれだけ早く手当てができるかが、回復を早め後遺症をなくすカギだ。震災も同じ。定年まで、民医連の病院で専務を務めていた大橋さんにはそれが痛いほどわかる。
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行政の大きな初動ミスが
「個人補償」の厚い壁にようやく穴を開けたのが、「被災者生活再建支援法」である。阪神・淡路大震災から三年半を経た九八年五月に成立。〇四年三月改正され、「居住安定支援制度」がスタートして、最高二百万円(生活再建支援とあわせて三百万円)の支給が法制化された。
「内容はまだ不十分ですが、それでも、被災者が自立した生活を開始するための支援金として『個人補償』を明確にしたこと、『住宅再建支援制度』に道を開 いたことは、一歩前進でした。これは文字通り、被災者自身の運動の成果です」と自然災害の被災者支援を政策面から調査・研究してきた兵庫県震災復興研究セ ンターの出口俊一事務局長は語る。
県も市も、国と同じく「個人補償はできない」と繰り返す一方、「創造的復興」の名のもとに、神戸空港や高規格港湾の建設に復興事業費をつぎ込んだ。
これは、初動における行政の大きなミスだったと出口さんは指摘する。
「そのミスを、被災者と被災者を支援する全国各地の人たちが、本当にねばり強く、運動をし、是正してきた。肝心の阪神・淡路の被災者には遡って適用には ならないことが問題ですが、その後の災害では曲がりなりにも役だっています」
震災直後から始まった阪神・淡路大震災救援・復興兵庫県民会議を中心とした地元の運動に加え、九九年、全国的な運動体として「災害被災者と災害対策改善 を求める全国連絡会」(全国災対連)が発足。各分野の専門家や研究者を含めて運動を継続してきたことも大きいという。
救済に必要なのは迅速性
こうした運動が、国の制度に加え、地方自治体によっては、さらに上乗せをする施策の採用へと結実している。
「画期となったのは、二〇〇〇年一〇月、鳥取県西部地震直後の片山善博知事の対応です」と出口さん。「被災から一一日目に、地元で住宅再建する人には一 律三百万円の補助金を出すと県が発表した。いち早い対応が被災者に希望を与え、一人の自殺者も出しませんでした」
「人間を復興させてこそ、災害からの復興といえます。創造力を働かせて、『人間復興』の制度をつくっていかなくては」と出口さんは強調する。緊急に必要 な法改正は、▽居宅支援制度を住宅本体の再建費用を支援する制度にし、五百万円まで引き上げる、▽生活支援金も、限度額を三五〇万円まで増額することだ。
「都道府県レベルでは、自然災害後に直接支援をするのが一つの流れになってきています。中越地震が起き、三宅島の住民帰島がはじまるいま、国レベルでも 早急な法改正が必要だと痛感します」
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一二月三日、NHK朝のニュースは兵庫県警の調べとして、県内の復興公営住宅での孤独死が仮設住宅廃止 (二〇〇〇年)以降、三一六人に達したと報道した。仮設住宅での孤独死を八六人も上回っている。被災者救済にあたっての迅速性がどれほど重要か、神戸の癒 えない傷跡が示している。
阿部芳郎(司法ジャーナリスト)
いつでも元気 2005.2 No.160