元気スペシャル カニュールはピアス “ベッドにしばられた人生はイヤ”
自立生活センターで仕事中の花田貴博さん。喉についているのがカニューレ |
人工呼吸器使用者の自立生活
人工呼吸器(ベンチレーター)は、人間の肺に空気を送り込む医療機器です。「カニューレ」は、その空気を取り入れるため、のどにつける器具。
人工呼吸というと、一般的には、重い病態で病院のベッドに寝たきりの患者さんを連想する方が多いでしょう。しかし、人工呼吸器は、自発呼吸の困難な ALS(筋萎縮側索硬化症)や筋ジストロフィー、ポリオ後遺症などの人たちにとっては、呼吸活動を支えてくれる大切な機器なのです。
札幌市に住む花田貴博さんやその仲間たちは、公的な介助者の援助を受けながら、人工呼吸器を車いすに積んで日常生活をおくり、仕事をこなし、自立生活を 切り開いています。
花田さんはいいます。
「目や耳の悪い人は眼鏡や補聴器、足の悪い人は車いす、みんな、身体的に弱い部分を道具で補っています。呼吸活動が困難な人は、それをカバーするためにベ ンチレーターを使っています。
確かにベンチレーターは、直接的に生命を支える道具です。だからといって、私たちの人生が、施設と機器につながれたままでいいでしょうか。ベンチレー ターは、私たちが人生をよりよく生きるためのサポーターなのです」と。
3歳のとき進行性の難病に
花田さんは一九七五年(昭和50)生まれ、現在二九歳です。三歳のときに、次第に筋力が失われていく難病・進行性筋ジストロフィーと診断されました。
小学四年生までは、普通の小学校でしたが、車いす生活となり養護学校へ。やがて家族の介助がむずかしくなり、一四歳から国立療養所の施設に入所(学校併 設)となりました。花田さんはいいます。
「勉強に追われていた高校時代まではそれほど気にならなかったのですが、大学の通信講座を受け始めたころから、私の世界はこれだけなのかと思うようになり ました。障害は病院にいても進行するのですから、療養所にいて、管理されることが、はたして本当に必要なのか、と思ったのです」
そのころたまたま「ベンチレーター使用者ネットワークJVUN」(注)の活動を知りました。代表の佐藤きみよさんは「進行性脊髄性筋萎縮症」のため、一 九七四年、一二歳のときからベンチレーターを使用。九〇年から自立生活をスタートさせ、当時、公的な介助制度がないなか、ボランティアさんに介助してもら いながら、病院のベッドを離れ、自由に活動していたのです。
その姿が大きな刺激となりました。
次第に呼吸が苦しくなった
花田さんは、八年前、国立療養所を退所してアパートを借り、車いすの自立生活に踏み切りました。そして「自立生活センターさっぽろ」を佐藤さんとともに立ち上げたのです。二一歳でした。
自立生活となった花田さんは、それでも、いずれ自分自身がベンチレーターの使用者となることは自覚していました。
四年目ころから、ときどき呼吸が苦しい感じがあり、そのたびに病院で検査をしましたが、呼吸器が必要というほどではありませんでした。
二年前、いままでにない呼吸困難がありました。主治医と相談し動脈血の検査をしたところ、二酸化炭素の濃度が65%と、かなり高く(正常は 30~40%)、いよいよ人工呼吸器が必要ということになりました。
ベンチレーターの使用には、鼻マスクと気管切開とがあります。
試しにマスクをつけてみました。鼻マスクは通常夜間のみの使用で、はずしている日中はやはり苦しいのです。マスクをしたまま二四時間生活することはでき ません。これでは仕事が続けられない。気管切開をしてカニューレを装着することに決めました。
一般に気管切開によるカニューレ装着は、緊急の場合、本人の意思とは関係なく、準備もないまま行なわれることが多く、従って介助者も確保できず、在宅生 活に戻れない場合が多いのです。
障害重くても地域で暮らす
自分の姿〝発信〟に大きな意味
計画的に気管切開できた
「私の場合、事前に仲間から情報や援助や励ましを受けることができ、計画的な気管切開ができました」と花田さん。
介助者に、ベンチレーターの操作や、不具合でアラームがなったらどうするかなどにも、慣れてもらいました。のどに穴を開ける手術なので、直後は声が出せ ません。意思疎通のために透明文字盤を使用するなど、介助者といっしょに準備を整えることができました。
〇二年七月、北海道大学医学部附属病院で手術。局所麻酔から手術・カニューレの装着まで一時間ほどですみました。
「ベンチレーターを装着した途端、呼吸がとても楽になりました。それに、カフ付きカニューレを使うから声が出ないといわれていましたが、口パクで意思疎通ができたんです。うれしかった」
術後は少し熱が出たし、頭痛や吐き気もありましたが、ベンチレーターの設定を調整しただけで治りました。すぐ食事もとれ、術後二日目にはもうベッドの上に座っていました。
五日目には看護師立ち会いのもとに、花田さんの介助者が、たんの吸引を行ないました。花田さんの方もドキドキで、介助者もおぼつかない手つきでしたが、みるみる上達。
病院としては、術後一カ月程度の入院を予定していましたが、介助者に、たんの吸引やアンビューバック(手動式人工呼吸器)の操作などを覚えてもらい、三 週間で退院となりました。
日々、パソコンに向かって
ベンチレーターをつけて二年半。
花田さんは、JVUN(会員七百人、うちベンチレーター使用者二百人)の事務局次長として、会の運営にあたるとともに、札幌にある事務所でパソコンに向 かい、全国のベンチレーター使用者から寄せられるメールや電話での相談に応じています。また、会の機関誌「アナザボイス」(季刊)の編集や、ベンチレー ターの講習会なども行なっています。
スタッフは専従者が六人いますが、うち三人はベンチレーターの使用者。「自立生活センターさっぽろ」とともに、障害者の自立生活へのサポート事業にとりくんでいます。
JVUNは、昨年六月に、札幌・東京・大阪の三会場で「ベンチレーター国際シンポジウム」を開きました。シンポジウムにはスウェーデン、カナダ、アメリ カの海外代表も参加し、ベンチレーター使用者の社会参加の現状などについて報告・討論を行ないました。
「障害者の自立とは、介助者なしで生活することではない。人間生活のどのような場面でも、自己決定を保持することです。ハンディキャップのある人は、介 助者や、自立を支える道具があって初めて自己決定ができるのです。それが当たり前の社会になるよう、私も力を尽くしたい、と思いました」(花田さん)
命ささえる大切な器具
「まだまだ、ベンチレーターに対する情報は乏しく、病院や施設でなければ生きていけないという誤解や恐怖感があります。だから私自身や仲間たちのベンチレーター生活をお知らせすることに、大きな意味があるのだと思います」
花田さんに、こんな質問が寄せられることもあります。「気管切開をしてベンチレーターを使うのは大変じゃないですか」
花田さんはいいます。
「身体に穴を開けてピアスをはめ込んでいる人がいるじゃないですか。あれはオシャレのためですが、カニューレは私の命を支える大切な器具です。ピアスと 同じくらい当たり前で、積極的なものとしてアピールしたい。ベンチレーターは生活を快適に、楽しくするための人生のパートナーなのですから」
「カニューレはピアス」―花田さんは計画的気管切開の体験を仲間とともにまとめたパンフレットに、こうタイトルをつけました。
文 ・矢作京介(やはぎ・きょうすけ)
写真・千葉 茂
■「カニューレはピアス」(500円)の問い合わせはJVUNへ。
いつでも元気 2005.2 No.160
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