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いつでも元気

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村民三千人を日本軍が… 中国・平頂山事件

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下側の人を守るように重なり合った2体の遺骸。親子あるいは夫婦だったのか

森 高志(全日本民医連事務局)

 二〇〇三年六月に創立五〇周年を迎えた全日本民医連は、〇四年秋、「平和と医療・福祉を学ぶアジアへの 旅」を主催。共同組織の方がたと民医連職員が参加しました。ベトナム(9月16~21日)、中国(9月18~22日)、そして韓国(10月10~15日) の三カ国を訪れました。

「加害」の事実を学んだ旅

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平頂山事件の犠牲となった村の模型を前に、事件の概要の説明を受ける

 中国コース(団長・肥田全日本民医連会長)は、24歳から32歳までの若手職員五人をふくむ総勢二三人。 中国東北部の三都市=遼寧省の瀋陽と大連、吉林省の哈爾浜を巡り、戦争の歴史を伝える三つの資料館=平頂山惨案遺跡、「九・一八」歴史博物館、侵華日軍第 七三一部隊罪陳館と、衛生局や病院など四つの医療関連機関を中心に訪問しました。
 今回の旅で私たちは、発展途上にある中国医療事情を学んだり、あってないような中国の交通ルールや東京をしのぐ街の活気に驚かされたり、と色々な中国の姿を目にすることができました。
 しかし、この旅を一言で表わすなら、やはり、「日本の近現代における『加害』の事実を学ぶ」ではなかったかと思います。そしてこの加害の側面を、私たち 青年はあまりにも知らなさ過ぎたように思います――何が起きていたのか、また、加害を受けた側の人たちはどう受け止めてきたのか、ということを。
 その思いを強く感じさせられたのは、「平頂山惨案遺跡」を訪れたときでした。

私たちはあまりにも知らなさ過ぎた

土砂で村ごと覆い隠す

 「平頂山惨案遺跡」は、私たち一行が最初の訪問地として訪ねた場所です。一九三二年(昭和7)九月一六日に起きた日本軍の村民惨殺事件――「平頂山事件」の事実を今に伝える施設です。みなさんは、「平頂山事件」をご存じでしょうか。
 中国へ侵略の手を伸ばしつつあった日本が本格的な中国侵略・植民地化を進めることになった三一年九月一八日の満州事変(中国では九・一八事変と呼ばれ る)から間もなく一年を迎えるこの日、満州事変の起きた瀋陽市の隣の市、撫順にある平頂山の麓の小さな村を、日本軍が襲撃する事件が起こりました。
 軍に抵抗する中国人(蕫匪族﨟と呼ばれた)に手を焼いていた日本軍は、村民たちが匪族に加勢しているとして、赤ん坊から年寄りにいたるまで村民三千人あ まりを一カ所に集めて銃や刀で殺し、その後、事件を闇に葬るため、死体に火を放ち、さらには土砂で村ごと覆い隠すという蛮行をはたらいたのです。
 事件現場は戦後になって掘り起こされ施設も建てられ、平頂山惨案遺跡として、当時のままで残されています。幅数神、長さ百神足らずの敷地には、おびただ しい数の遺骸が無残に転がっています。
 これらは、どこか別の場所から持ってきて「展示」されたのではなく、事件当時のままで残されているのです。
 銃弾が貫通した跡と思われる穴の開いた頭蓋骨、真正面から銃弾を受けたのか、両腕を広げた格好で仰向けになり口を大きく開いている骸骨、子どもと思われ る小さな骸骨を守るように上に覆いかぶっている骸骨……、今では骨でしかありませんが、そこに肉が付き、服があり、顔には恐怖や痛みに苦悶する、あるいは 残忍な日本軍の行為への怒りの表情があったことが想像できます。
 同じような残虐な事件が中国各地で行なわれていたことは知識としてはある程度知っていたし、写真などを見たことはありました。しかしそうした虐殺の現場 を前にすると、顔は向けても、目の焦点を合わせて直視し続けるに耐えません。
 衝撃的な光景に追い討ちをかけるように私たちの目に迫ってきたのが、事件現場に掲げられている「屠殺」という言葉です。村人たちは日本軍に、人としてで はなく、牛や豚など動物同然に殺された、そうした思いをこの言葉によって伝えようとしているのです。

痛切な思いを体現した憲法

 加害の事実を前にして私は、日本の戦争被害・悲劇の訴えは世界、特にアジアの人びとにどれくらい受け入れられるのだろうか、と思わざるをえませんでした。
 もちろん、戦争で被害を負い、悲劇を味わった日本の人たちの辛い悲しい思いは、現に体験をしていない私たちの想像を超えるものがあると思います。被害を 言う前に加害はどうなのか、という問いかけは、実体験をしていない私たちが言ってはいけない言葉だとも思います。
 だからこそ、私たち日本人が歴史から受け継ぎ、学ばなければいけないのは、戦争で被害・悲劇を被るのも嫌、他人に被害を負わせるのも嫌だ、ということ、 そして、そうした被害者にも加害者の立場にも二度と立たないように努力することではないでしょうか。
 そうしたことを考えさせられるとともに、この気持ちを体現したのが日本国憲法前文と九条であることに、あらためて気づかされる旅となりました。

いつでも元気 2005.1 No.159