産廃不法投棄事件に揺れた 香川県 豊島はいま…
「故郷の自然を子孫に残せた」
形の見えない島民の勝利
瀬戸内海に浮かぶ香川県豊島。日本最大の産業廃棄物不法投棄事件の舞台となったこの島には、一時は甲子園球場の容積のざっと五倍、五〇万禔もの産 廃が高さ二〇神まで積み上げられ、異臭を放ち、醜悪な姿をさらしていた。いまは分厚い保護シートが被せられ、汚染土壌を処理して隣の直島に運び、リサイク ルして資源化する「エコタウン事業」が、〇三年九月から始まっている。
豊島は周囲約二〇礰、人口一三〇〇人。島の半分が瀬戸内海国立公園で、生活・経済圏は向かいの岡山県玉野市に向いている。役場のある本島・小豆島は豊島の東五礰にあり、豊島は島のなかの離島だ。
29年もの長いたたかい
二九年に及ぶ住民の長いたたかいは、産廃の島外撤去を実現した。しかし島民が得たものは「産廃撤去」のほかには、業者が持っていた不法投棄現場の土地を損害賠償の代償で入手したことと、排出業者からの補償金数千万円だけ。このほとんどが公害調停などの費用で消えた。
「金で解決したわけでなく、自然に恵まれた故郷を子孫のために守り続けることができた。この充実感と喜び に代えられるものはない」と、廃棄物対策豊島住民会議の顧問、児島晴敏さん(66)はいう。同会議の主要メンバーの誰もがそんなことを話すとき、気取った ようすは毛ほどもない。
この「純朴な島の人情」が、問題解決のために世論を動かすより、行政観察局や香川県知事に訴えることを選び、その結果、何度かだまされるという皮肉な経験をする。
全面勝利を得たのは、強烈な個性を持つ中坊公平弁護士が熱情を傾けて島民を叱咤し、ともに怒り、涙しながら運動を指導したからだ。豊島住民会議の代表の一人、長坂三治さん(73)はこう話す。
「中坊弁護士が指導に入り、運動に筋が入った。私たちが運動を通じて思い知らされたのは、行政をあてにしては住民の願いが実現しないということでした」
全国の人に訴えることなど考えもしなかったが、その重要性も身にしみてわかるようになった。
島はいま、産廃問題の学習の場として脚光をあび、年間四千人を超える研究者や行政関係者、環境運動家らが訪れる。環境問題を考える「アースデイかがわインてしま」や「島の学校」のとりくみには全国から参加者が集まる。香川医療生協も健康調査に参加している。
ミミズ養殖を表向きに
産廃投棄現場は白いシートで覆われ、汚染された土砂をブルドーザーが採取している。左上に中間保管・梱包施設が見える |
発端は一九七五年にさかのぼる。豊島総合観光開発(以下、豊島開発)という業者が、島の西、海岸に面した はげ山に近い突端部で、土砂採取をしていた。所有地は広さ約三〇禛。その採取跡地に、有害産業廃棄物を投棄することを思いつく。豊島開発は、投棄場の建物 の建設申請を香川県に提出した。豊島住民は反対の陳情をしたが、県は「業者にも生活権がある。豊島には産廃投棄場所が必要」と、住民の訴えに耳を貸さな かった。
やがて豊島開発は「無害なゴミでミミズを養殖する」を表向きに、県の許可を取りつけ、兵庫などからチューブ片、シュレッダーダスト、有害な産業廃水などありとあらゆる産廃を専用フェリーやダンプで運び込み、野焼きを始めた。
その影響で豊島小学校では、全校生徒の九・六%がぜん息患者という事態まで起きた。全国平均の数倍の発生率だ。しかし野焼きとの因果関係を証明できず、泣き寝入りを余儀なくされた。
住民は県に何度となく訴えた。しかし島を訪れた担当者は産廃投棄現場に足を踏み入れることもなく、港の前の喫茶店で業者と談笑、「お茶を濁す」姿を島の人たちがしばしば目撃している。
九〇年、兵庫県警が豊島開発を産業廃棄物処理法違反で摘発。九三年、住民は、民事責任を追及したいと島出身者の縁をたどり大阪の弁護士に相談。この弁護士が、豊島開発経営者Mの産廃処理法違反事件の公判記録を入手した。
その一部、香川県環境自然保護課員が九一年二月二一日に兵庫県警に供述した内容は……。
「一九八三年初めごろ、豊島総合観光開発のMがシュレッダーダストを買い受けて自社の処分地で焼き、ダス トに含まれた金属類を回収するが廃棄物の許可が必要かと相談してきた。私はシュレッダーダストそのものは廃棄物だが、有償で買い受ければ廃棄物には当たら ないと答えた」
課員は「Mが乱暴者で機嫌をそこねるとなにをしですかわからない印象を持っていた。このため詳しい内容を聞いて指導することを怠った」と述べている。
調書を島に持ち帰って議論するうち、これが小豆島選出の県議や香川県幹部の耳にも入った。県議にコピーが 渡り、県議が「悪いようにはしないから」と住民に自重を呼びかけ、無駄な時間が過ぎた。弁護士は愛想をつかして任を辞したが、困った住民に泣きつかれ、同 じビルに事務所を構える中坊弁護士を紹介した。
九一年七月、産業廃棄物処理法違反で、Mに懲役七月、執行猶予五年、罰金五万円の判決が出た。
国の財政で大企業に新たなもうけ保障
判決後も県は謝罪せず
しかしこの判決後も、香川県は頑固に行政責任を認めようとしなかった。住民への損害賠償と撤去の責任が発生するのを恐れたからだ。このため住民の運動は、残された産廃を撤去するため香川県という大きなカベに立ち向かうことになる。
中坊弁護士は九三年一一月、香川県と豊島開発、そして兵庫などにある廃棄物排出会社二一社を相手に強力な 弁護団を組み、ボランティアで、住民五四九人の代理人となって公害調停を申請した。以後、東京での調停審理は三六回にわたる。豊島住民は交通費や滞在費だ けで、毎回五〇万円もの出費があった。財源はすべて借金だった。
調停に併せて香川県庁で、始業時から終業時まで抗議行動をした。「豊かな島を返せ」の幟を手に、年寄りを含めて全島民参加の「立ちん坊作戦」を五カ月続けた。若者が香川県内五市三一町をタスキリレーしたこともある。その成果が、九七年、調停の中間合意となった。
しかし香川県の謝罪はなく、島民の要求とはかけ離れていた。住民はこれを受け入れるかどうか悩みに悩んだ。その結果、さらに合意内容の充実を目指して、県内百カ所で座談会を開くなどの運動を展開。東京・銀座で都民への訴えもした。
香川県との最終合意は、二〇〇〇年六月に実現した。県は謝罪を明記した。しかし、損害賠償は一切しない。廃棄物は豊島の隣の香川県直島・三菱マテリアルに運んで焼却、溶融処理して副成物を再生利用する、という内容だった。
産廃による環境汚染などでハマチ養殖や養鶏を廃業せざるをえなかった住民もいるが、一銭の補償金も要求できない。
産廃処理に、島から島へ
いま、瀬戸内海に流出していた産廃現場の廃液は遮蔽壁によって防止され、ドス黒く汚れていた付近の海面に、藻やシオマネキなどの生き物がよみがえった。地下にたまった汚水はポンプアップして高度廃水処理施設で洗浄後、放流される。
産廃投棄現場には、巨大な中間保管・梱包施設が建つ。ここで、汚染した産廃土壌からコンクリート片や岩石を取り除いて洗浄し、タイヤなどは細かく切断、有蓋ダンプトラックに積み込み、フェリー型専用船(九九四禔)で約五礰離れた直島に運ぶ。
香川県環境センター中間処理施設は、三菱マテリアルの直島精錬所内にある。ここで一三〇〇度の高温で焼却、溶融処理し、できた飛灰(燃えかすの一種。形状、色はコーヒークリープに似る)を水と混ぜ、泥状にしてパイプラインでつながる精錬所の鋼精錬工程で回収する。
この事業は、国のエコタウン事業として〇二年三月に承認された。
香川県がこれまでに投じた事業費は約二三〇億円。さらに毎年二七億円前後の操業費がいる。〇四年度に香川県が組んだ豊島対策予算は二八億円。うち国からの補助金は一二億三三九七万円。産廃撤去は二〇一六年までかかり、必要な費用は、合計五百億円といわれる。
この事業に従事する約七〇人のうち、豊島住民はわずか一〇人ほど。豊島住民が手に入れた成果は、精神的な充実感以外にはないといって差しつかえない。
香川県では担当職員二人が、調停成立前に訓告を受け一人は退職。だが兵庫県警が豊島開発を摘発した当時の環境保健部次長は、〇一年に環境大臣から「地域環境保全事業功労者」として表彰された。
事件は悪質な産廃業者の不法行為によるものだったが、根底にあるのは、消費された後の「商品」に責任を負わない日本経済の利潤至上主義である。その尻ぬぐいに国が膨大な財政を支出し、大企業に新しいもうけを保証するのが「エコタウン事業」の本質とみた。
犠牲となった豊島住民にはなにひとつ見返りのないことがその証明だ。
文 ・中庭克之(フリーライター)
写真・大野智久(岡山民報編集長)
いつでも元気 2004.12 No.158