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いつでも元気

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「でも、私は彼らを敬いたい」 初めての報告会で高遠菜穂子さん

ファルージャの反米デモ、人質事件。その陰には…

 イラクで邦人人質事件が起きたのは四月八日。米軍によるファルージャ封鎖攻撃が激しくなったときでした。被害者のひとり高遠菜穂子さんは、七月二二日、東京で開かれた集会に出席し、帰国後はじめてイラクでの経験を報告しました。

 「ご心配をおかけしました」と深々と頭を下げた高遠さん。時折、涙で声をつまらせながらイラクの実情を語りました。

 一年前からイラクに行くようになり、最初に支援をしたのがファルージャ総合病院でした。都会の病院には何とか薬も届いていましたが、遠隔地にはほとんど届いていませんでした。

 何回もファルージャに足を運ぶことができたのは、非常に親日だったからです。バグダッドでも、ファルージャの人は実に温厚だと説明を受けました。

 その町で反米デモが大きくなったきっかけは、一八、九歳の米兵がおもしろ半分に、持ってきたポルノ写真を配ったんです。それが怒りをかった。イスラム教徒にとってはものすごい屈辱なのです。「これが自由なのか、これが民主主義なのか、解放なのか」と叫んでいました。

 米軍の包囲攻撃は、アメリカ人殺害の犯人を探すということで始まったのですが、道を封鎖して攻撃というのはほんとうにしょっちゅうありました。

検問など非常に乱暴で、車が渋滞しているときに米兵がマシンガンをもって、英語でゴーバック(戻れ)と怒鳴 る。マシンガンで車をガンガンたたくんです。ドライバーは英語がわからなくてスタートしようとする。まずいと思って走っていって、少し戻って、と車に手で 合図をすると、ドライバーが「ああ」と言って下がる。そういうトラブルがたくさんありました。

 夜は外出禁止です。けがをして救急病院に行きたいのに「家に帰って死ね」と言われ「復讐を誓った」と言う人もいた。夜明けを待てと言われたが、朝になったときはもう子どもは死んでいたという人もいる。そういう話は至る所にあるんです。

でも私は彼らに、アメリカが悪いとは言えなかった。アメリカが悪いと言えば、イラク人は「そうだろう」って もっと怒るような気がして…。彼らが怒れば報復の気持ちがもっと強くなって、それが現場にいる二○歳前後の米兵に伝わる。米兵は自分の身を守ることが精一 杯で、無差別に銃撃してしまう。

 だから私は、「お願いだからアメリカを悪く言わないで、建設的なことをして。戦乱のなかでは人道支援に入ろうと思っても入れない」と言い続けました。

 事件のとき手榴弾を突きつけられ、「これから我々はファルージャに行く。家族と同胞の仇をとる。アメリカ 人を殺して自分も死ぬ」と訴えられた。ニュースでよく自爆テロといいますが、こんな恐ろしい行為は、急に覚悟を決められるものではないんです。そんな彼ら に私は必死で「私たちを殺さないで」と言いました。複雑な思いです。

 イスラム教のことは私もよくわかりません。でも私は彼らを敬いたい。違うのは言語だけだということが、今回の事件を通じて痛いほど心にしみました。

対策本部つくったスレイマンさんは

事件が起きたとき、救出対策センターを立ち上げたイフサン・アリ・スレイマンさん(建築会社経営)も集会に参加。

 「以前からナオコの活動を手伝っていた。人質になったことを知り、すぐにバグダッドのインターネットカフェをセンターに、あちこちに働きかけた。カフェの経営者も、一週間、無償で使わせてくれた。イラク人はみんなナオコたちの無事救出を祈っていたのです」と語りました。

文 ・斉藤千穂記者
写真・酒井 猛

いつでも元気 2004.10 No.156

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