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いつでも元気

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特集1 憲法25条に新たな蕫金字塔﨟 学資保険裁判が全面勝訴

全国生活と健康を守る会連合会会長
島田 務

父母の願いをひきついで…

 〇四年三月一六日は、社会保障・教育要求運動に、歴史的な金字塔が新たにうち立てられる日となりました。一四年にわたって争われた「学資保険裁判」が、全面勝訴したのです。

 「生活保護費を切りつめて積み立てた学資保険金を資産とみなし、福祉事務所が保護費を減額したのは違法」だとの福岡高裁判決を、最高裁が確定しました。

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勝利判決を喜ぶ支援の人たち。右から3人目が筆者の島田務さん(3月16日、最高裁前)

進学させたいと命縮めて

 福岡市に住んでいた中嶋さん一家は、豊治・紀子さん夫妻と長男、明子・知子さん姉妹の五人世帯でした。大工だった豊治さんは交通事故の後遺症に糖尿病、肝臓病もあって入退院をくり返し、紀子さんも貧血、神経性胃炎、慢性気管支炎などの持病があって就労は困難でした。

 断続的な仕事による労賃だけでは生活ができなくなり、一九七五年から生活保護を受けることになります。

 しかし、生活保護では高校進学の費用が出ないことを心配し、両親は、明子さんが三歳の一九七六年に郵便局の学資保険に加入。毎月わずかな保護費のなかか ら三千円の保険料を積み立てました。

 八八年には、学資保険を担保に三〇万円の貸付を受けて明子さんの高校入学金にあて、その後も知子さんの進学に備えて保険料を一四年間支払い続けました。 明子さんは「毎月後半はモヤシなどのおかずがめだった」とふり返っています。

 ところが保険の満期がきた九〇年、福祉事務所はその四五万円を資産と見なし収入認定して、保護費を半年間半分に減額する行政処分を強行したのです。二女 の知子さんの高校進学が間近でした。

 「一四年間、苦しいやりくりでためてきたお金を取り上げられたのはどうしても悔しい。そのお金だけは返してほしい」

…その思いで紀子さんが「福岡県・生活と健康を守る会」に相談。不服審査請求が棄却された九一年、紀子さんは四九歳の若さで病死してしまいました。

 同年一二月、豊治さんと明子・知子さん姉妹が原告となって福岡地裁に提訴。しかし豊治さんも九三年に、六二歳で病死してしまいます。人間らしく暮らすに はほど遠い保護費から、育ち盛りの子どもを抱え保険料を捻出したことが、命を縮めなかったと、誰がいえるでしょう。

 両親がなくなった後、明子さんが訴訟をひきつぎ、「制度を変えるためにも、私ががんばらねば」との思いを強めながらたたかってきたのです。

保護費の使途は原則自由

 福岡高裁は六年前、この違法処分の取り消しを求める判決を下していました。

 高裁判決は「憲法25条の生存権保障の目的である人間の尊厳にふさわしい生活を送るためには、被保護者が自らの生き方や生活を自ら決する必要があり、 いったん支給された保護費の使途は、原則として自由である」としています。

 さらに高校進学は今日では「一般家庭における生活の一部を構成して」おり、生活保護世帯の高校進学は「本 人の自立にとどまらず、その世帯の自立更正のためにも役立つものであり」「子どもの高校進学費用に充てる目的で保護費等を学資保険の預貯金として積み立て ることは、生活保護法の趣旨目的に」合っていると断じていたのです。

 この確定に六年もかかったことは問題ですが、最高裁判決にはきわめて重要な意義があります。生保世帯のみならず、国民全体の生活を向上させる抜本的な改 善の展望をあきらかにしているのです。

 第一に、憲法25条がうたっている人問の尊厳にふさわしい生存権とは何かについて、「自らの生き方を自ら決めるという自己決定権は、国民誰もが行使できる権利である」と述べたことです。

 生活保護についていえば、自動車や住宅ローン、生命保険など生活用資産の保有権拡大の道につながっています。

生活保護法第1条 「この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」

高校を義務教育並みに

 第二は、憲法25条が保障している「健康で文化的な最低限度の生活」水準は、時代とともに変化発展するものであり、今日では高校教育は、実質的に義務教育に含まれると判断したことです。

 現行の生活保護法は、義務教育の学費しか認めていません。行政の指導は、中学を卒業したら働け、ということです。これまでの運動で、学費は奨学金とアル バイトなど本人の努力を前提に、生活費は親と同一世帯で給付させ、進学を認めさせてきたのです。

 しかし、もともと生活保護法には「その自立を助長することを目的とする」とあります。法に照らせば自立を助ける高校教育は、認められるべきものです。

 判決は、生活保護世帯の子どもたちの高校進学の有用性を積極的に認めたのですから、高校修学費を教育扶助に組み込めという要求は当然のものといえます。

 同時に、すべての子どもの教育を受ける権利の機会均等を求め、高校教育を義務教育なみにする国民的な運動、世論づくりが大事になってきます。

国民生活の最低保障基準を

 第三に、「健康で文化的な最低限度の生活水準」とは何か、が改めて問われたことです。

 生保世帯に対してだけでなく、国は、生存権に反する悪政を広く一般国民に押しつけてきました。劣悪な地域別の最低賃金、自家労賃さえ認めない業者や農漁民の所得、生活費に食い込む所得課税や消費税、社会保険料・医療費・教育費…。

 これらが、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活水準」か。人問の尊厳にふさわしい生存権を保障しているといえるか。判決は国民生活の最低保障 基準(ナショナル・ミニマム)の確立が緊急課題であることを示唆しています。

 大企業には、もうけのために各種の規制を緩和・廃止する一方、国民にはリストラや制度改悪、行政のしめつけなど「痛み」を押しつけている小泉自公政権。判決は、悪政を跳ね返すたたかいに、あらたな展望を与えるものとなりました。

 憲法25条をはじめ、憲法13条の「個人の尊重・幸福追求権」、同14条の「法の下の平等」など、憲法はまさに国民要求実現の根拠となる大切な宝です。 この憲法を邪魔もの扱いする勢力に、参院選で審判を下しましょう。

いつでも元気 2004.7 No.153