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いつでも元気

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元気スペシャル 白血病のアブドゥールくん 父は刑務所に 息子救いたい一心だった

写真家 森住 卓

「お父さんはいつ来てくれるの? お父さんに会いたいよ」と高熱にうなされながら、何度もお母さんに訴えるアブドゥール・ラフマンくん(5)。バグダッドのセントラル小児教育病院で、白血病治療のため、化学療法を受けていた。

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お母さんの実家で会ったアブドゥールくん。髪が抜けたのを気にしていた(04年3月)

治療費を捻出できずに

 彼の白血病は、昨年八月六日、突然の発熱で始まった。両親は息子をなんとしても助けたいと、親戚や友人からお金を借り家財道具を売り、治療費を捻出し た。しかし治療費を払い続けられず、お父さんのラフマン・バーセルさんは、武器の密売に手を出した。そして昨年一〇月二一日、バグダッドの北部の古都サマ ラで対戦車砲を運んでいる途中、米軍の検問に出くわしてしまったのだ。その場で逮捕され、行方不明になってしまった。
 家族が必死に捜した結果、バグダッド中央刑務所に二カ月間入れられた後、イラク最南端のオムカッスルの刑務所に入れられていることがわかった。家族は 「レジスタンスとは何の関係もない。ただの商売だった。アブドゥールのためにも早く返して欲しい」といっていた。
 三日後、また病院にいくと、アブドゥールくんはいなかった。病院でできる治療がすむとすぐに退院することはよくあることだ。アブドゥールくんはニューバグダッドの母親の実家に帰っていた。
 家を訪ねるとお母さんの弟のアブダルさん(34)が出迎えてくれた。その足にしがみつくようにアブドゥールくんが立っていた。クリクリした目をじっと私 に向けている。つい先日苦しそうにベッドの上でぐずっていたのが嘘のようだ。
 アブダルさんは、来週アブドゥールくんを連れて、オムカッスルの刑務所にお父さんに会いにいくという。私もいっしょに連れていってもらうことにした。

オムカッスル刑務所で

 オムカッスルはイラクで一カ所だけ海に面し、貿易港として有名だが、刑務所はクウェート国境に近い砂漠のなかにあった。当日アブドゥールくんは熱が出 て、面会にいけなくなってしまった。
 車はバスラから一時間ほどでオムカッスルに着いた。砂漠の街道から右に入ると電波塔の鉄柱が立ち、その下にテント群が見える。周囲を有刺鉄線で何重にも囲まれた急ごしらえの収容所だ。
 入り口には面会の家族が押し寄せていた。みな私に、身内が無実で入れられていると訴える(注)。バグダッドやティクリートから来たという人が多かった。
 クウェート兵が面会家族の名前を呼んだ。検問所で厳重な身体検査を受ける。
 虐待で問題になっているアブグレイブ刑務所は近くで写真を撮れなかった。ここも同じかと思ったが、思いきって米兵に撮影許可を求めた。米兵のいる方はだめだがイラク人家族はいいという。家族といっしょに面会したいというと、撮

(注)赤十字国際委員会はブッシュ大統領に、連合軍情報機関当局者の話として「イラクで自由を奪われた人のうち70~90%は誤って身柄を拘束された」という報告書を2月に提出している。

影はだめだがこれも許可された。
 所持品をビニール袋に入れさせられ、バスで刑務所内に入る。五分ほど走ると、鉄条網で二重に囲まれた五〇メートル四方の広場に着いた。なかに二つのテントがある。
 トラックが広場に入ってきた。荷台にオレンジ色のつなぎの囚人服を着たイラク人が乗っている。トラックが止まり、男たちはテントに押し込められた。囚人 服に混じって平服を着た男もいる。
 広場が面会場になっていた。面会に来た家族の名前が一人ひとりチェックされた。チェックをしていたのはエジプト兵で、私は国籍とフルネームを聞かれただけだった。レバノン兵も働いてる。

悲しみが憎しみへ

 収容されている男たちが、待ちきれずにテントの隙間から家族に手を振る。
 面会者のチェックが終わると、テントから男たちが出てきた。家族がお互いを見つけ、夢中で抱きあい、大声で泣いている。面会時間はたった一時間。地べたに座りこんで近況を伝えあう。
 ラフマンさんは身長一六五センチほど。中肉中背で精悍な顔をしていた。アブドゥールくんが来られなかったことをきき、がっかりしたようだった。アブダル さんが、差し入れの新しいサンダルと歯ブラシ、練り歯磨きを渡した。
 ラフマンさんは「ここには約二千人が収容されている。二カ月前に一七〇人が釈放された。サッカーや読書で毎日を過ごしている。食事は朝と昼の二回。少し 肉の入ったスープとライス、パン。卵がときどき出る。食物のなかに髪の毛や石が混ざったりして衛生的ではない。体重が一二キロ減った。いま下痢をしてい る。テント内は地べたにカーペットが敷かれている。アブグレイブ刑務所よりましだ」といっていた。
 面会は毎月一回許可されている。三カ月前にアブドゥールくんに会ったときは髪の毛がなくなっていて自分の息子だとすぐには気づかなかったという。白血病 の治療薬の副作用で髪の毛が抜けたことを知らなかったからだ。
 「私は子どもの健康がとても心配です。ここにいては何もしてあげられない。しかし神は、私を守ってくれるでしょう」
 面会時間はあっという間に過ぎた。別れを惜しみ、夫にいつまでもしがみつく妻と子ども。息子を抱き、泣きじゃくる年老いた父親…それは無実の罪で引き離 された多くの家族が、米軍への憎しみを募らせる姿でもあった。

「白血病の原因は…」と

 アブドゥールくんが白血病になってから両親は、戦前から住んでいたアル・ナクワ地区の家から、ニューバグ ダッドの母親の実家に引っ越した。戦争中アル・ナクワ地区にはたくさんの爆弾が投下された。その爆弾に劣化ウランや有毒物質が含まれていたのではないか。 そのために、アブドゥールくんが白血病になったのではないか。そう思ったからだ。
 アル・ナクワ地区に連れていってもらうと、そこはバグダッド国際空港に近く、サダム・フセインの宮殿や息子クサイの軍事組織の戦闘司令部があったところ にも近い地域だった。米軍が徹底的に破壊し空港を占拠して、いまは占領支配の拠点にしている。
 その一角にイラクでは珍しいアパート群が建ち並んでいた。六〇~七〇年代に建てられた日本の集合住宅に似ている。元内務省や大統領警護隊などの職員住宅 で、国が与えたものらしい。アブドゥールくん一家もそこに住んでいた。
 母親のアハラムさんにせがまれて、持参した放射線測定器であたりを測ってみたが異常値は出なかった。アハラムさんに「大丈夫、汚染はされていないよ」と いっても不安そうな目つきだった。わが子の病気の原因をはっきりさせたいと思う親心が切々と伝わってくる。

軍隊を送った日本は

 帰国する前日アブドゥールくんを訪ねた。いつもの母方の家にはおらず、近所のおじさんの家にみんな集まっ ていた。アブドゥールくんは機嫌が悪く、体調もよくないようだった。おじいさんから日本に連れていってくれないか、と頼まれたがそれはできないと断らざる をえなかった。日本にいけば適切な医療が受けられるだろうとはわかっているが、引き受けるとなると大変なことだ。実現できるかわからないのに期待をもたせ ては、かえって信頼関係をそぐことになってしまう。
 刑務所でアブドゥールくんのお父さんは、「日本を私はとても好きです。しかし、米軍に協力する軍隊を送った日本は好きになれません」といった。そのきび しい顔がいつまでも頭を離れなかった。

いつでも元気 2004.7 No.153