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いつでも元気

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元気スペシャル 「ナオコを助けて!」イラクの子らは泣いて訴えた 人質の高遠菜穂子さんらを救った<人間の絆>

イラクで拘束された日本人五人が解放されました。その一人、高遠菜穂子さん(34)は、昨年ボランティアとしてイラクに渡り、バグダッドなどで住む家が ない子どもたちに食べ物やシャワーを浴びる場所を提供し、働き口を探し、シンナーなどに依存しない生活に戻そうと、活動をつづけていました。その高遠さん とイラクの人びとの深い絆について、友人で写真家の森住卓さんが語ります。

「ナオコはいつくるんだ」

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ストリートチルドレンの子どもを世話する高遠菜穂子さん(バグダッド、2003年12月)。子どもが真っ黒に汚れた指でジャムをすくい、彼女の口元に食べろともっていくと、高遠さんはためらいもせず、なめていた。こうして一つずつ絆をつくっていった

高遠菜穂子様

 お疲れさま。お帰りなさい。ゆっくりお休みください。
 私はあなたをバグダッドのホテルで待っていました。四月八日の朝になってもあなたは姿を見せませんでした。到着予定時間を四〇時間以上過ぎていました。
 私はもう帰国をのばすことができず、八日朝バグダッドを離れました。イラク国境を越えるとき衛星携帯電話が鳴り、あなたと今井紀明さん、郡山総一郎さん が誘拐されたと知り身震いしました。後ろ髪を引かれる思いで帰国したのです。
 私はバグダッドで、あなたが世話をしているストリートチルドレン(路上生活をする子どもたち)にあいました。彼らは「ナオコはいつ来るんだ、おれたちは ナオコを待っているんだ」と胸のポケットから写真をだして自慢げに見せてくれました。あなたと子どもたちのツーショットです。しわだらけになりながらも、 写真は大切にしまわれていました。
 左耳のたれた茶色い犬も彼らといっしょにいました。一月、あなたが帰国する朝、子どもたちがホテルにお別れをいいにきましたね。あのとき連れてきた子犬 です。あれから三カ月。子犬は大きくなったけど、子どもたちと同じように薄よごれ、やせ細っていました。しかし、あなたがいない間、子犬は彼らの心をいや してくれる存在だったのです。

米軍による虐殺をとめてほしい

 あなたのいない短い間に、イラクは大変な混乱におちいりました。夜になれば銃声や戦車砲の音が響き、イラク全土がまた戦争状態になってしまったのです。
 三月下旬、シーア派サドル師の出す新聞が発行禁止処分にされ、それをきっかけにして、シーア派の人びとの抗議行動が米軍との衝突に発展していきました。
 バグダッド市内のシーア派の人びとがたくさん住むサドルシティでも、連日米軍と住民の衝突がくり返されました。
 イラク市民が一番心配していたのは、バグダッド西部のファルージャです。あなたが拘束された場所もこの近くでしょう。四月になると米軍がこの街に通じる 道路を封鎖し、猛攻撃を始めたのです。ファルージャに親戚や友人がいるバグダッド市民はすごく心配していました。
 「モスクで礼拝中に米軍のミサイル攻撃を受け四〇人が亡くなった。病院に米軍が来て、負傷者を全員逮捕していった」など悲惨なニュースが次つぎとイラク 人から伝えられました。彼らは、米軍の虐殺を何とか止めて欲しいと、私たち外国人やジャーナリストに訴えました。
 ファルージャの惨状は、中東のテレビ局アルジャジーラだけが映像を伝えていました。罪もない子どもや市民の累々たる死体。まさに大量虐殺です。「掃討作 戦」の死者は七〇〇人をこえました。
 「ファルージャを救え」という声が宗派をこえて一つにまとまり、占領軍への抵抗が全土に広がりました。一年間の経験でイラクの人びとは知りました。「自 由と民主主義、平和をもたらすといっていたアメリカは、まったく逆の抑圧者だ」と。これ以上、米軍の占領を許さないという激しいたたかいになったのです。

「僕が身代わりになってもいい」

 あなたたちが抵抗組織に捕まってしまった(四月七日)のはそんなときです。同じ時期にイタリア、中国、韓 国、ロシア、英国、フランスなど外国人の誘拐があいついでいました。誘拐人質事件は卑劣な犯罪ですが、抵抗勢力にとってはファルージャに世界の目を向けさ せ虐殺をやめさせる唯一の手段だったのです。
 ストリートチルドレンたちは、ニュースを聞いて「ナオコを助けるために僕が身代わりになってもいい」と泣きながら救出を訴えました。日本とイラクの多く の人びとは寝食を忘れて動いたのです。
 解放に立ち会ったクベイシ師がいっていましたね。「あなたには感心している。バグダッドでは、多くの人があなたを知っていた」と。あなた自身がつちかっ てきた人の絆が、三人を救ったのです。

占領軍がいなくなれば

 それにしても、日本政府の対応は冷たいものでした。事件後すぐ、「自衛隊を撤退する理由がない」と拘束側の要求を拒否。人質の身を危険にさらし、その後もイラクの人びとの心を逆なでするようなことばかりしてきました。
 そもそも、今回の事件がおきたのは、日本政府がアメリカの大義なき戦争を支持し、自衛隊を派兵して、イラクの人びとの敵になってしまったからではありま せんか。事件の原因をつくった政府への責任追及をかわすため政府は率先して人質の「自己責任」をいいだし、あなたたちを非難の矢面に立たせたのです。
 あなたがいった「イラク人を嫌いになれない」という言葉がとても印象に残っています。信義を守り、正直で、懐の深いイラク人を嫌いになれないのは私も同 じです。こんどの人質解放をめぐるイラクの人びとの対応も、紳士的で、理性的だと私は感じました。占領軍がいなくなれば、きっとイラク人自身の手で立派に イラクを再建すると思います。そのとき、あなたが育てた子どもたちも、国づくりに大きな力を発揮することでしょう。

いつでも元気 2004.6 No.152