• メールロゴ
  • Xロゴ
  • フェイスブックロゴ
  • 動画ロゴ
  • TikTokロゴ

いつでも元気

いつでも元気

元気スペシャル 新春対談 宇宙からみた地球は? 一人ひとりが大切にされる星に

 「これは百武すい星、九六年。これはヘールボップすい星、九七年」「よく撮れてますね。撮影はどこで?」「大台ガ原。あそこまでいくとよく見えます」…
 日本ウエルター級チャンピオンの小林秀一さんと大井通正医師はどちらも天文ファン。夜空を見上げて話題は大きくひろがって…。 (写真・若橋一三)

宇宙の魅力は

genki147_01_01
ヘールボップすい星(撮影・大井医師)

大井 (写真をさしだして)昨夏の火星大接近のときのものです。いつも星の写真を撮ったら病院の職員に配るんです。火星も配ろうと思って、「何だと思う」と聞いたら「眼底写真か」と。(笑い)
小林 僕はハレーすい星が地球に接近した小学校六年生くらいから天文ファンで、大学を出て、ボク シングをはじめたころからまた天体観測したいなと、ずっと思っていたんですが、望遠鏡を買うお金がない。チャンピオンになってお金が入ったので、新しいの を買ったところです。ちょうど火星大接近の前に届いて、週二回ぐらい観測しました。
 前回大接近した八八年ころは火星をけっこう見ていたんです。そのころはあまり細かいところまでわからなかったんですが、今回は望遠鏡の精度もよくなっ て、極冠とか見えてすごく感激しました。
大井 私が好きになったのは、小学校四年のとき。誕生日に望遠鏡を父親が買ってくれたんです。う れしくて毎晩見ていました。翌年は小林さんのいう火星大接近のもう二つ前の火星大接近(五六年)。よく見えるように京都郊外の親戚の家までいきました。極 冠がきれいに見えて、非常に印象的だった。それ以降はあまり見ていなかったんですが、結婚してから日本アルプスに行ったとき、星がきれいで、また望遠鏡欲 しいなあと。
 今使っている一五センチの屈折望遠鏡を買ったとき、嫁さんが「そんな高いものをなんで買うの。道楽?」と。「いや、社会教育のためや」というた手前、な んかしなければ(笑い)。そこで近所の子どもを集めて「なかよし天文台」をはじめました。院長になってからできなくなってしまったけど、四年ほどやりまし た。
小林 みんな星はけっこう好きですね。友だちを呼んで観測会をやったことがあるんですが、初めて見た人には、火星はただオレンジ色の丸にしか見えないんだけど、みんなすごく喜ぶんです。
大井 子どもは「テレビで観たことがある」といってあまり反応しない。おもしろかったのは、何年か前、土星の輪が消えるという直前に見たら「おっちゃん、お団子みたいやわ」。(笑い)
 星を見ているとき地球がここにあってその中に自分が住んでいて、こうして星を見ているというのが奇妙な気がして、不思議な感じになったことはないです か。
小林 あります。火星を見ると、南極みたいなのがありますよね。宇宙から地球を見ている感じなんです。小さいとき、宇宙から地球を見たらどうなのかといつも思ってました。月あたりから一回ぐらいは地球を見てみたいですね。
大井 なかよし天文台を自宅の屋上ではじめたのが九四年。中学生から三歳ぐらいの子まで、だんだん増えて三〇人ぐらいになりました。月一回、第二土曜に、「これは土星の輪」「これは月」と事前に話してから屋上に上がって見てました。
 その翌年一月に、阪神大震災が起きた。私も支援に入りましたが、二週間ぐらいたってから「一緒にボランティアしよう」と、子どもたちを連れて行ったんで す。文房具とかマンガ本とかもって、小学校に避難している子どもたちのところに。
小林 僕もそういうことをやりたいですね。ボクシングをやっていると、それ以外のことがなかなかできなくて。チャンピオンになって少し気持ちに余裕ができたので、もう一回天文をやってみたいし、近所の子どもたちも呼ぼうかな。
大井 一人でよりは、社会教育。(笑い)

離れてみてみえてきたことは…

大井 大学時代は?
小林 地球惑星科学科で隕石(いんせき)の研究をしました。卒業が宇宙開発ブームのころで、 ちょっと迷ったのですが、家業を手伝おうかと。ボクシングも高校時代からずっとファンでしたが、大学にボクシング部がなくてボート部に。体力も精神力もつ いたし今ならできると、二三歳でしたが豆腐屋とボクシングをはじめました。

genki147_01_02
火星(撮影・大井医師)

 豆腐屋は朝早くて、夜も七時ぐらいまでお客さんが来ますから、親父は一日一五、六時間ずっと働いてるわけです。僕が朝から午前中やれば少しは楽になるか と思って…。最初は夜中の一時から朝一〇時ぐらいまでかかっていましたが、いまは八時ぐらいまでに終わります。そのあとランニングして食事して、昼寝して 一二時ぐらいに起きて練習に行く。五時ぐらいまで練習して、帰ってきて食事して七時、八時には寝る。仕事と寝ることと練習で一日終わっちゃうんです。友だ ちに飯食いに行こうといわれても、ずっと断ってきたんです。減量もあって、毎日が追われているような感じでした。
 最近、ケガをして一週間ぐらい入院しました。練習も仕事もしなくていい。病院のベッドにいることにすごい安心感があって。よほど俺はストレスが溜まって いたんだなと思いました。ボクシングをやっていなかったら、もっといろんなことができたんじゃないかと思ったり…。それでもやめたいと思わないのは結局ボ クシングが好きなんでしょうね。
大井 チャンピオンになるには仕事と練習に明け暮れるという生活でないとできなかっただろうし、チャンピオンになって、ボクシングから離れたことが、一つふっきれるようなきっかけになったと。
小林 はい。天体観測も、自分の中で余裕ができたからでしょうね。友だちともご飯を食べにいくようになりました。
大井 チャンピオンになって「終わり」ではなく、ボクサーとしてその次を狙うわけだから、もうちょっと余裕をもった生き方をしなければと。
小林 はい。ボクシングだけに集中していると、どんどん回りが見えなくなってしまう。ふだんの生活あってのボクシングだと思うんです。どのスポーツもそうかも知れないですが、ある程度視野を広げて生活していると、ボクシングも幅が広がってくるのかなと思います。

日本国憲法の理念は

大井 私は生まれが昭和二〇年、終戦の年です。小学校に入ったとき、先生が、新しい憲法のこ とを教えてくれた。その熱意が、子ども心にも感じられました。覚えているのは、「日本は戦争をしない国になりました」「一人ひとりを大切にしましょう」そ して「大事なことはみんなで決めましょう」ということです。まさに憲法の理念ですね。
 医者になって、とくに私の場合はリハビリテーションが専門ですから、病気、障害、高齢、それに加えて貧困という、四重にも五重にも苦難を背負った人たち に多く携わります。そういう中で一人ひとり大切にされているかというと、そうでないことにいっぱいぶつかるわけです。
 在宅の患者さんで、脳卒中になり、それをきっかけに失職した人がいます。家のローンを抱えて、同居人がいるのですが、その方も病弱。家は犬の糞(ふん) やゴミだらけ。冷蔵庫の扉が外れて中のものが腐って臭う。ヘルパー派遣も利用料が払えないので断ってしまう。みかねて私の病院のケースワーカーや看護師が 「東大阪マザーテレサ隊」なんていって、三人で二時間かけて掃除したんですけど、とてもきれいにならない。結局、ローンが返せないから家を売り、生活保護 申請ということになるでしょう。障害を身に受けることで、生活の基盤そのものが崩れてしまったケースです。
小林 (うなずく)
大井 在宅医療では最期を自宅で看取ってあげたいということもあります。家を新築する計画をした 矢先にご主人が倒れ、入院中に家ができた。亡くなるまでいっぺんでもお父ちゃんに新しい家を見てほしい、なんとかならんかということで、入院先の病院に私 も面会に行って、主治医の先生と相談し、在宅酸素の用意もして家に寝台車で帰ってきた。結局、二日後に亡くなられましたが、家族の方からは本当にうれし かったと感謝されました。それはわずかな期間だとしても、ご本人とご家族が望むような場所で最期を送らせてあげたい。人間らしく生きるために必要な援助が リハビリテーションの目的ですから。終末期におけるリハビリテーションも大事なものだと思っています。

負担増で生活を切りつめて

小林 僕は店でいろいろなお客さんと話をしますが、不景気で消費税があがって、生活費を切り詰めているのが本当によくわかるんです。前は豆腐や油揚げ、がんもどきとかいろいろ買ってくれていたのに、最近は油揚げ一枚だけとか…。
大井 くらしもですが医療や介護を切り詰めることもおきてます。薬なんか典型的で、間引いて飲ん で「まだあります」という患者さんが増えています。介護保険で、訪問看護を入れましょうかといっても利用料が一〇パーセントかかりますから、「もういいで すわ」と。われわれからしたら必要と思う介護、医療を切り詰める。
 介護、医療を切り詰めざるをえない状況は、一人ひとりが大切にされるという理念からほど遠いですね。
小林 僕は三月にケガをして、四月から医療費の自己負担が二割から三割に上がった。一・五倍ですからけっこうな負担ですよね。僕は治さなければいけないと思うから、ちゃんと通ってますけど。
大井 とくに生活習慣病、高血圧とか糖尿病、高脂血症とかの患者さんは自覚症状がないので、治療を続けてもらうには、経済的状況とかも含めて心を配る必要があります。患者さんと悩みを共有しつつ、制度そのものをいっしょにかえていく努力をしなくては。

変わってはいけない大切なもの

小林 以前、新聞に憲法九条にノーベル平和賞を、という話が出ていました。日本国憲法は世界 に誇れる憲法です。今の日本の現状は九条にまったく反している。自衛隊があって、それが海外に出ていってすでに実質、戦争に協力している。黙っていたらど んどん悪いほうに行ってしまう。僕らで声をあげていかないと。
大井 日本国憲法の本質、そんなにむずかしいことではありませんね。民主主義の本質だと思うんです。時代が複雑になってそんなに単純なものではないといわれるけれども、決してそうじゃない。
 日本国憲法の精神は社会進歩、人類の進歩に沿った、わかりやすいものなんだ、ということを強調しなければと思います。そういうことを認めたくない人たち が問題を複雑にして、見えなくしているように思います。
小林 確かに経済とか、一昔前より複雑になってきましたが、平和とか民主主義の重要性は変わらない。どんなに社会が変わっても、そこは変わっちゃいけない。
大井 そういうふうに思える若い人たちがふえてほしいですね。
 私はいまの社会の中で一人ひとりが自分らしさを大切にするということがとても大事だと思うのです。自分を大切にしながら、医療でいえば「医療や介護がお 金で差別されてはならない。そういうことがない医療をつくろう」という高い志を共有しあって、実現のためにどう力を尽くすかを考えていける、そんな集団づ くりが大事だと思っています。それは職員でもそうだし、医療生協や友の会の班づくり、ひいては民主主義のまちづくり、国づくりにつながっていくんじゃない かと思うんです。

やるべきことはすべてやって

大井 試合前は怖くないですか?
小林 ボクシングで一番怖いのは、負けることです。殴られるのは怖くないんです。ボクシングは一 対一でどっちが強いか、友だちとか大勢の人の前で決めなければいけない。そこで負けるというのは、ボクシングの技術や体力で負けたというより、人間的に負 けたように思えちゃう。僕にとってはそれが怖いですね。
大井 格が上の人間とやると、剣道だったら構えただけで負けてしまうとかいいますが。
小林 僕は短期間にランクが上がってきたので、いつも自分より格上とでした。前回も相手はチャンピオンですから。練習で克服するしかない。死ぬほど練習して、自分でできることはすべてやる。そうすると自信ができるんです。
大井 やるべきことはやったという。
小林 そうです。そのやり方でずっと勝ってきました。練習をさぼるのが怖いです。もっとやらなければいけないんじゃないかといつも思っています。大事なのは練習も自分が勝つという気持ちでする。ボクシングは気持ちの部分が大事です。
大井 やるべきことはやったと言い切れることは、なかなかいさぎよい。
小林 ふだんの練習では、いつもまだ足りないんじゃないかと半信半疑なんですよ。でも二日前に最後の練習を終えたとき、ずいぶんやってきたなと思えるのが大事です。これで試合に臨める。
大井 食生活も気を配るわけですか。
小林 ええ。一日一日エネルギーをとるために、練習前は炭水化物、練習後は身体の回復というか、 筋肉のためタンパク質をとる。ビタミン剤も飲みます。とくに減量中は食事を減らすので、栄養素にすごく気を使います。減量中は食べ物を食べているというよ り、栄養素を食べている感じです。肉があっても、これならタンパク質が二〇グラムぐらいかなとか。
大井 それはちょっと味けないね。
小林 一日に一〇回ぐらい体重計に乗っています。女の子みたいです。(笑い)

ことしの抱負は

小林 ことしは、防衛戦を三月ぐらいに予定しています。チャンスがあれば、一個上の東洋太平洋タイトルも狙いたいと思います。今、東洋ランキング三位なので。一応世界とかも。
大井 日本と東洋、世界とでは、かなりギャップはあるんですか。
小林 いや、そんなことはないです。東洋まではいけると思ってます。世界はその先ですけど。
大井 がんばってほしいな。応援します。
 うちの病院では、一昨年回復期リハビリテーション病棟をつくったんです。ことしはできたら、健康増進・疾患予防から終末期までの、総合的なリハビリテー ションのセンターといったものをつくってみたいと思っています。

いつでも元気 2004.1 No.147