絶て!薬害の連鎖〈8〉「イレッサ」問題を再検証する
-副作用被害の拡大はふせげなかったか 矢吹紀人(ルポライター)
治験段階から情報開示のしくみを
新薬は経験豊富な専門医が十分に注意して
社会問題となった抗がん剤「イレッサ」の副作用。厚労省の発表では、五月二日までに二四六人の死亡例が報告されています。しかし一方、イレッサの服用に よって劇的な効果があらわれ、「いのちを永らえた」という患者たちも確実に存在します。イレッサの、どこに問題があったのかを、もう一度検証します。
時間切れ寸前にイレッサが
東京都台東区の盛岡秀夫さん(71歳)は、区の老人健診で二年前に右肺に陰が見つかりました。東京健生病院で精密検査を受け、肺がんと判明。しかし以前から腎臓が悪く、大きな手術や抗がん剤、放射線治療に耐えられないからだでした。
手術はしましたががん病巣はとりきれず、半年もしないうちに胸水がたまるようになりました。
「去年の三月ごろは、苦しくて階段もあがれなかった。八月には在宅酸素療法に。右の胸はパンパンにふくらみ、下半身もむくんでくる。ささえてもらわなきゃ歩けないほどだったんですよ」
主治医の高岡和彦医師にとっても、進行する盛岡さんのがんには打つ手なし。「ひょっとしたら、あと一、二か月のいのちかもしれない」と苦悩していたところに、「八月末、イレッサが保険適用に」というニュースが入ったのです。
使用基準をきちんと決めて
九月中旬からイレッサを飲み始めた盛岡さん。一週間後には下半身のむくみがとれ、レントゲンでも肺の陰が縮小するのが確認されました。二週間後に退院したときには、ひとりで近所の薬局に歩いていけるほど。予想以上の効果でした。
「私は仏壇をつくる職人なんですが、帰ってすぐに仕事場にすわりました。うれしかったねえ。好きな詩吟の大会にも出てます。みんなから、あんたほんとうに肺がんだったのかって驚かれますよ」
高岡医師はこういいます。
「使用経験が少なく情報が不足している薬の場合、とくに厳重な注意が必要です。イレッサなら、肺がん治療 に慣れ、緊急対応ができる病院で、専門医が副作用を十分チェックしながら使うということです。イレッサは外来でも使用できましたが、当院ではイレッサ採用 時に、使うときは二週間の入院でという基準を決めました。薬は何でもそうですが、さじ加減ひとつで毒にも薬にもなるのです」
もしイレッサの承認が半年遅れていたら、盛岡さんのいのちは危なかった。盛岡さんにとってはまさに救いの神でした。
「それだけに副作用被害の報道にはとまどいました。その後、厚労省から、入院四週間で経過観察するようにという指導が入りました。当初からこうした指導があれば、被害はあれほど広がらなかったと思います」と高岡医師。
もうからない薬は申請しない
がんの患者や家族でつくる「日本がん患者団体協議会」は、一昨年の結成以前から「世界標準のがん治療薬の早期承認を」と厚労省などに訴えてきました。
世界標準のがん治療薬とは、すでに一〇年も二〇年も欧米で使われていて、科学的根拠にもとづいた評価が確立している薬です。ところが、そのような抗がん剤の多くがいまだに日本では未認可なのだと、山崎文昭理事長は語ります。
「そうした薬はパテント(特許権)が切れているため、認可されても製薬会社はあまりもうからない。だか ら、承認申請しない。一方で厚労省は、申請がないから認可しないと突っぱねる。患者が望む薬を入手できないのは、そうした背景からです。行政が国民に目を 向けてくれれば、ありえない話なのですけどね」
昨年四月、団体のメンバーと懇談した坂口厚労大臣は、「これからは優秀な薬は半年ぐらいで認可する」と発言。その数か月後に、半年の審査で認可されたのがイレッサでした。
しかしイレッサは、まだ世界中のどこでも認可されていない新薬でした。がん患者の要求に応えた形でイレッサを早期承認したのだとすれば、厚労省は問題をすりかえたのだということになります。
薬の適応を厳格に限定すれば
兵庫・東神戸病院では昨年から三人の患者がイレッサを服用し、いずれも著明な効果がありました。呼吸器内科の三宅弘之医師は、「イレッサは使い方に何の制限もなかったことが一番の問題。適応外の使用が被害を拡大した」といいます。
「イレッサは、がん細胞をねらい撃ちする初の分子標的薬ということで患者の期待も大きく、爆発的に服用さ れることもわかっていました。でも治験の症例も少なく、どのように効くのかという作用機序もまだ解明されていない部分が多い。国は適応をきっちり限定し、 使用する医療機関に追跡調査を義務づけるなど、もう少し慎重に扱うべきだったのではないかと思いますね」
実際、「夢の新薬」という前評判が大きく、保険適用と同時に多くの医療機関で投与がはじまりました。全日本民医連理事で薬剤師の東久保隆さんはいいます。
「薬剤師としては、製薬会社からの情報しかない状態でスタートせざるをえなかったのが実状です。しかしそ の情報は、発売二日後には副作用死が出ていたことなど都合の悪い部分は隠したものだったわけです。厚労省もマイナス情報は出さなかった。企業主導、もうけ 優先の新薬販売では、今後も副作用や薬害の問題がおこります。治験段階から第三者や専門家が入って、情報を開示するしくみが必要だと思います」
イレッサ問題は、新薬を採用するにあたっての医療側の問題と同時に、治験、承認、販売の各段階での情報の集約・公開、行政の指導責任という課題を浮き彫りにしています。
いつでも元気 2003.10 No.144