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いつでも元気

いつでも元気

「私たちはモルモットではない」 旧日本軍毒ガスの「亡霊」ヒ素に襲われた茨城・神栖町

「国は責任認め補償を」住民いらだち
戦争犯罪の免罪とひきかえに、米軍が毒ガスの情報を

 まるで、戦争の亡霊がとつぜんよみがえったよう。旧日本軍の毒ガスの分解物質であるヒ素をふくむ井戸水をのんで、子どもは睡眠時けいれんに苦し み、寝返りがうてず、ことばの発達も遅れ、お母さんは眠れなかったといいます。事件の舞台となった茨城県神栖町を訪ねると、「敗戦から五八年たっても戦争 は終わっていない」――そんな思いにかられます。

 最初に異変を告げたのは犬たちでした。「その年の夏は暑かった。犬が暑い縁側からドッグハウスへいこうとするが、たった三?ほどが歩けない。めしも食えない。六月から七月にかけて五頭いたうち四頭がバタバタと死んでいきました」

 語るのは萩原勇次さん(52歳)。壁には、ドッグショーにも出た名犬ローリー(アフガンハウンド)などの 写真が飾られ、仏壇には愛犬の位牌も。「犬は家族と同じだった。自分が元気なら病院へ連れていったが、私らが動けないので見殺しにしてしまった」とつらそ うに話します。

 二〇〇〇年当時、萩原さんが住んでいたのは神栖町木崎にある民間アパート。のちに明らかになる原因の井戸 は、八戸ある平屋の裏手にあり、そこから各家庭に給水されていました。約一〇年この水を飲んでいた萩原さんの家では、犬たちと前後して妻の孝子さん(50 歳)に手足のふるえが始まり、字も書けなくなり、勤め先でレジも打てなくなりました。「更年期障害じゃないかといわれ、点滴しながら働きました。やめると 暮らしが大変だからがんばりましたが、とうとう退職。包丁も握れず食事はコンビニ弁当になりました」

 つづいて勇次さんも発病。民生委員の通知で病院にかつぎこまれます。先に入院していた妻は、顔が腫れあ がった夫を見てだれだかわからないほどだったといいます。「三日遅れていたら命を失っていた」といわれました。勇次さんは釣具店を開業しようとしていた矢 先でしたが、開業を断念。生活設計は崩れました。

多くの被害者をだしたA地点のアパート。井戸はこの奥にあった
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 異常は住民に次つぎとひろがりました。ろれつがまわらない、立っていられない、歩けない、頭痛、めまい、手のしびれ…。

 とくに症状が重いのは、一日家にいて井戸の水をのむ主婦と子どもたちでした。幼児は眠るとき上下肢全体がふるえ、全身の皮膚が荒れ、運動の発達が遅れました。

 青塚美幸さん(26歳)の家では小学校入学を控えた長女が、移ってきて三カ月目には食事時にはしをもてな くなりました。生後二カ月から井戸水を使ったミルクを飲んだ長男は、睡眠中にけいれんをくりかえし、生後半年で発育の遅れが現れ、一時は脳性マヒと診断さ れましたが、じつは井戸水にふくまれた有機ヒ素が原因でした。

軍以外につくったものはいない

 神栖町(人口四万九千)は茨城県の東南部、常陸利根川、利根川と鹿島灘にはさまれた平坦な低地にあり、サッカーの鹿島スタジアムもすぐ近く。

 のどかなこの町でことし三月二〇日、問題の井戸から水質基準の四五〇倍という、ものすごい高濃度のヒ素が検出されました。ヒ素は、毒入りカレー事件にも登場した毒薬で、体内に長期間蓄積されるとがんを引き起こすといわれます。

 四月一四日、事態はまた一転。ジフェニルアルシン酸の存在が確認されます。自然界にはない有機ヒ素で、旧 日本軍がつくった毒ガス「あか剤」(嘔吐剤、くしゃみ剤)の分解生成物と考えられる、と。「あか剤」は水で分解しやすいことから、過去にこの毒ガスが存在 し、それが地下水などで分解して井戸に入った――そんな推定がされることになったのです。

 県は、「他の化学物質から由来した可能性も否定できない」としながらも「専門委員会の先生方のご意見を聴 いている範囲では、まず、他の所で人為的にも(こういう物質を)造っているということは考えられないということです」(橋本まさる知事)。原因が旧日本軍 の毒ガスであることは明らかで、原因物はまだ出てきていないものの、状況は「限りなくクロ」です。

協力金受ければ生保停止?

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8倍のヒ素が出た大野原小学校のプール
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環境省のボーリング調査(A地点)
 

 四五〇倍濃度のヒ素が出た井戸(A地点)を使っていたのは、転居者をふくめ一二世帯の三三人。一八人が体調不良を訴えていました。被害はさらに広がり、 四月二二日には、A井戸から西二百?にある学習塾の井戸(B地点)から四三倍のヒ素を検出。小中学校のプールからも一・四倍~八倍のヒ素が出ました。

 B地点で学習塾を経営する池田三富郎さん(58歳)は「四三倍の分析結果を知ったときはびっくりしました。あわてて水道を引きました。でも結局水道水は、塩素のにおいがひどく飲めません。しかたなく、スーパーで水を買っています」。

 こうした被害にたいし、環境省は六月四日、「緊急処置」として、汚染された井戸水を飲んで毛髪・尿からヒ 素が検出された人を対象に医療手帳を交付し、?健康診断の実施や医療費・医療手当ての支給、?健康管理調査協力費(入院七〇万円、通院三〇万円)を初年度 に限り支給―などの支援策を発表。七月末現在一〇世帯三〇人に協力金が支払われています。

 しかし、救済されるのは被害のごく一部。それどころか、ヒ素被害のため就労できず生活保護を受けている萩原勇次さんは、一時、「協力金は収入として算定され、生保を打ち切られる可能性」が指摘されました。

 怒りの声があがり、収入と算定されないことになりましたが、「協力金なんか手もつけていません。一番の心 配は今後のことです。現在の『緊急措置』はあくまで医療の範囲でしかありません。私は就労不能なのですが、生活をふくめた補償はいったいどうなるのか。そ の見通しが示されず、このままでは生活ができません」と萩原さんはいいます。

 夫婦とも、八~一〇種類の薬をのみ、町や県、国の調査・検査にも協力してきましたが、結果は知らされず、「まるでモルモットじゃないかと思う。病気が将来どうなるのか見通しを与えてほしい」。

ひっこしたくても家が売れない

 B地点は当初、何の補償もありませんでしたが、同地区「住民の会」(旧日本軍毒ガス汚染被害者協議会)の 強い要望もあり、一七人に医療手帳が交付されました。しかし、前出の池田さんは二五年前、「砂、砂利を採っていない所で、おいしい水が飲めると思って土地 を買ったのに、買った意味がなくなった」といいます。この地を去りたい人も風評被害で家や土地は売れず、融資を受けている人は担保価値の減価に見舞われて います。

 B地区住民の会代表をつとめる池田さんは、地下水の水流予想図をつくり、旧日本軍の毒ガスがどのような形で地域にひろがったかを研究しています。

 それによると、最初にヒ素の被害が出たのはA・B地点の中間にある運輸会社の社員寮の井戸で、九九年一月 のこと。定期検査で四四倍のヒ素が出ましたが、このときは自然界のものと思われました。二〇〇〇年、A地点の萩原さんらに異常が出たころ、B地点では主婦 四人が相次いでがんで亡くなっています。

 これらの地点はすべて一直線上。環境省などは、A井戸の近くに原因物があると想定して調査をつづけていま すが、池田さんは「地下水は逆にB地点からA地点に向けて流れているのです。Aに原因があるとすると中間点やB地点でなぜヒ素が出るのか、説明がつかな い」といいます。

 この説は、ただしければ、汚染の始まった時期、主婦たちの死因や補償など、大きな影響が出る問題をはらんでいます。しかし、環境省などはこの説に何のコメントもしていません。

相当量の毒ガスが行方不明に

 太平洋戦争中、旧日本軍は広島県大久野島で大量の毒ガスを製造。それが各地に運ばれて弾丸に詰められるな どして、中国大陸などで実戦に使われたほか、多くの部隊に配備されました。その実態がよくわからないのは、終戦後、米占領軍と日本軍の手で「処理」され、 資料が残っていないためです。このとき、米軍は戦争犯罪の免罪と引き換えに資料を入手したといわれており、現に戦後の「東京裁判」では日本軍の毒ガス戦関 係者はいっさい訴追されていません。

 七三年、国が行なった全国調査では、旧日本軍が終戦当時貯蔵していた毒ガスは一八カ所・約三九〇〇?、終戦後八カ所の海域に投棄したとされましたが、行方不明の毒ガスも相当量ありました。

 このときの調査報告に神栖はふくまれていません。しかし、太平洋戦争当時、この土地には旧日本軍の中央航 空研究所や神の池飛行場があり、特攻機「桜花」の訓練などが行なわれていました。戦争末期には「本土決戦」にそなえて米軍上陸が予想される九十九里から鹿 島灘にかけて大量の部隊が配置されています。

 事件の後、「隣の波崎町で毒ガス発射実験」があったという新聞報道もあり、七月には、「木崎地区に一五~二〇人程度の『ガス班』と呼ばれる部隊がいた。この班がもっていた武器は沼に捨てたのではないか」という証言も現れました。

 もし旧日本軍の毒ガス兵器が汚染の原因であれば、その被害を補償する責任が国にあることになります。しかし、中国に遺棄した毒ガス被害の補償を求める中国人の裁判などでも、国は「戦後補償」をいっさい拒否。今回の神栖町の救済策もあくまで「緊急処置」にすぎません。

吸い上げるほど濃くなる濃度

 七月二九日、環境省は住民説明会でこれまでの調査結果を発表。四五〇倍をさらに超える五三六倍の濃度が新しく検出されたことなどから、近くに原因物がある可能性が強まったとして、ひきつづき原因究明の調査を強めると報告しました。

 報告会の会場では住民から「吸い上げるほど濃度が濃くなるのにショックを受けた」という声とともに、「原 因究明も大事だが、国の責任と補償はどうなるのか。物がみつからないと国は責任を認めないのか」「私たちはまるでモルモットだ。国はもっと住民の声を聞い てください」といういらだちの声があがっていました。

 茨城県の橋本まさる知事は、この問題では「時効とかそんなわけにはいかないでしょう。それはもう、原因者というか、やはり日本政府の責任で処理すべきものだと思います」(四月一五日の県政記者クラブとの臨時記者会見で)とのべています。

 国の責任で始めた戦争による国民の被害を補償することは、国がふたたび戦争をしないことの証。神栖町は国の姿勢を問いかける町ともなっています。

文・中西英治記者/写真・若橋一三

いつでも元気 2003.10 No.144