特集1 「北」の戦争はぜったい止めてやる 大阪の青年座談会 楽しいよ、ぼくらの反戦運動
「戦争を止めよう」という動きが世界中に大きくひろがって、新しいパワーが地球を動かしだしたような予感も。とくにめざましいのは、フレッ シュな感性で創意あふれる行動をくりひろげる若い力です。かれらを動かしているものは何か。大阪で、イラク戦争に反対して元気に活動した若い人たちが話し 合います。
人文字、「戦争あかんで」署名・・・
――この間、どんな行動をした?
藤井 大阪府下の大学に通っています。三月三〇日に大阪城公園で、若者を中心に約二五〇〇人が、イラク戦争への怒りや平和の願いをこめて、「せんそうアカン」という人文字をつくったのですが、その実行委員長をしました。
人文字を考えたのは、アピール力があるなと思って。パレードしても、みんな見ているだけで入ってこうへんやんか。人文字は、気軽に立つだけで意思表示で きるし、一人ひとりの力がないと文字はつくれない。そこがすごい。宣伝してても若い子が「戦争あかんやんな」とめっちゃ署名してくれる。飛び入りで署名集 めてくれたりする。戦争はどうやったら止められるんやろうと思っていたけど、ウチらの声が絶対止める力になるんやと、めっちゃ確信になりました。
山口 高校生で、もうすぐ一七歳 になります。二月に、天王寺駅前を通ったら、「有事法制反対」の署名活動してたんですよ。ボーと歩いてたんですが、署名して、三〇分ほど話をしたんです。 それが始まりで活動するようになって、高校生三人で「イラク攻撃あかんで署名」というのを考えて、署名用紙つくって。
――自分でつくったの。すごいね。
山口 そう。僕は一年生やったけど、いま高三の女の子と三人で。「戦争はあかんでしょう」「あ、それでいいんちがう」というので「あかんで署名」になった。三月二〇日までに一万人分集めました。
みんな すごーい(拍手)
小山 大学生で、在日コリアンで す。大阪城で人文字つくることを新聞で知って参加しました。イラクが攻撃されたとき自分で何もできないってことが、めっちゃイヤやったし、コミュニケー ションしたかったんですよ。パソコンでチャットしても意見交換どまり。何か行動したいとピースウォークとか参加したけど、人文字のときは「こんな表現方法 もあるねんな」と思いました。
神野 東大阪生協病院の医事課で働いています。いつもは医療改悪反対などで行動しますが、イラク戦争のときはずっとイラクのことで駅頭宣伝をしていました。
携帯のメモリが50人増えた
――行動したのはどんな思いから?
藤井 私が行動するようになったのは、9・11のテロの後、アメリカがアフガニスタンを攻撃しはじめたころです。パレードとか参加したけど、でも、なんか戦争を身近に感じられへん自分がいて。
私だけではなく、学生集会でイラク問題を話し合ったときも、みんな「目の前で戦争が起きているのに行動できないのは、人間的な感情を奪われてるんじゃな いか」、そんなことを話していました。
真剣にやろうと思ったきっかけは、森住卓さん(フォトジャーナリスト)の写真集『イラク 湾岸戦争の子どもたち』を見たこと。劣化ウラン弾の影響で無脳 症や白血病になった子どもの写真は「ひどい」と思ったし、戦争は現実に起きてるんだ、ほんまになんとかせなあかんと思った。
――「結果的に戦争は防げなかったじゃないか」などといわれない?
藤井 マスコミの人にいわれました。
山口 僕は署名を集めていて、おとなに「こんなことに青春使うな」といわれた。
みんな えー、ひどい。
山口 そういわれて何も返答できず、くやしかった。でも、行動してすごい意味あると思ってる。人とつながりができた。
人生変わったと思う。それまではつながりとかぜんぜんなくて、自己中心やったんです。つながりが広がると、自分の考えがもてて、いっぱい人のおる前で意見 をいえるようになった。つながりの大事さに気がつくと、育ててくれた先生、両親も大事やったと気がついた。「やめとけ」という人は、そういうことがわかっ てないし、深い理論があっていうてるわけやない。そういうおとなはいややな、と思った。もっと勉強してほしい。
藤井 「勉強してほしい」というのは、自分が勉強したからそう思うの?
山口 それもあるけど、9・11 テロのとき、すごいショックやったんです。飛行機が突っ込んで、ビルには人もおるのにだれも助けられない。ビルから落ちる人を生放送で見ると、人間てもろ いもんやと、くやしくて泣きそうになった。それからです。世間をもっと知りたいと思って新聞を読むようになった。国際面なんかすごくおもしろい。世界は狭 い、みんなどこかでつながってると感じます。世界はつながってるし、人間関係もつながってる。いろんな人とつながりたい、孤独でいたら損や、と思ってる。
「あかんで署名」をして、仲間がいっぱい増えて、ぼくの携帯のメモリーは一カ月で五〇人くらい増えたんです。
みんな へーっ(どよめき)
日本に害なかったら北と南が殺しあってもええんか
反省が抜けている日本政府
――小山さん、在日コリアンから見て、日本のイラク対応はどう見える?
小山 僕は、教師になりたいと思って勉強しているんですね。
じつは、イラク攻撃のとき、「このままじゃあかん」と思ったきっかけは、日本の政府がめっちゃ情けなく思えたことなんです。日本は侵略をやったやないで すか。それもついこの間で、うちのおとん(父)は覚えていて、僕は中学や高校のころいつも「ちょっとこい」といって戦争の話を聞かされた。なんで日本は、 自分が謝罪や反省もしないで、イラクは悪やから排除するという考えが出るのか。自分の過去をぜんぜん見てない。日本帝国の時代がなくなってるんです。だか ら、僕がかけ橋になるというのでもないけど、教育の役割がすごく大事やと思う。
藤井 ほんまに日本政府は反省してないね。小学校の道徳教育の時間、在日コリアンのこういう差別あるんだよと教えられたけど、ただのお話なんやね。朝鮮人強制連行の歴史があって、国家としてこう反省したということが抜けている。そんな道徳教育のやり方、いやだった。
――戦争責任認めてない政府が何が道徳教育や、あんたが認めろよ、と思うね。
小山 いまも「イラクの次は北朝鮮が悪やから有事法制」というけど、この考えの底には差別があると僕は思う。
イラクとアメリカの関係は、「悪いやつは殺していい」という関係ですよね。個人と個人の関係では人を殺してはいけないのに、どうして戦争なら殺してもい いのか。相手を、殺していいやつだと思ってないと戦争は起きない。僕にはブッシュ大統領とフセイン大統領が同じに見えるんですよ。二人とも同じこといって る。
だから、戦争だけ見ててもだめなんで、僕は戦争といじめは同じと思ってる。「イラクの次は北朝鮮」というけど、自分が攻められる戦争はあかんが、隣で北 と南が殺しあっても、害がおよばなければいいのか。戦争そのものが起きないように努力するのがほんとうじゃないのか。
僕は北朝鮮には、イラクのようなことを起こしてほしくないんですよ。イラク戦争は結果として止められなかったという事実はあるけど、「北朝鮮はぜったい に止めてやる」という意識はあります。
神野 北のテポドン・ミサイルが飛んできたとき、在日の子がチマチョゴリを切られる事件があったね。日本人として情けないと思うし、自民党なんかが北の悪いところを最大限利用して有事法制やるのはせこいと思う。差別といえば政府自身が在日を差別してきたわけでしょう。
小山 僕、外国人登録証明書を持ってるんですよ。いつも持っていないと警察につかまります。家に置いてきたといってもだめで持っていないといけない。
――両親ともコリアンですか。
小山 韓国と朝鮮です。じつは 僕、知らなかったんです。学校も民族学校に行ってないし、家では全部日本語やったし。中学に入るころ知って、正直ショックだった。アイデンティティーの危 機というとおおげさやけど、僕は日本人やないし、韓国人でもない、「自分はナニジンなんやろ」と一〇代のころは悩みました。
でもあるとき、「別に、どうでもいいやん」と思ったんですね。話を戦争に戻すと、日本人やから戦争していい、韓国人ならあかん、ということでもないわけ や。違いがあるから戦争が生まれるんやったら、違いをなくせばいい。今の日本を見ると、北が日本に危害を加えるから有事法制、戦争準備だって、まるで意識 が変わってないと思うんですよ。
青春をふみにじる戦争許さない
――神野さんは医療人として命にかかわる仕事をしてるわけだね。
神野 去年、大阪民医連で沖縄平 和ツアーをして、沖縄戦のとき負傷兵や住民が逃げ込んだというガマ(洞窟)を見たんです。そこで働いた医師や看護師は、治療というには程遠いんだけど、一 応手当てをして兵士をまたたたかえるように再生産して戦場に送り出した。これは医療とはとうてい呼べないですね。
僕自身は事務職ですが、看護師のなかには「小さいころ看護師の姿を見て感動してこの道を選んだ」という人もけっこういます。やはり、医師や看護師は、元 気になった患者さんの笑顔を見るのが生きがいだと思うんですよ。
だけど、有事法制でアメリカが起こす戦争に日本の医療人が強制的に参加させられると、ガマの歴史をくりかえすことになってしまう。山口くんは「そんなこ とに青春使うな」といわれたそうやけど、有事法制はその逆で、それこそ貴重な青春をふみにじるものだと思うんですよ。
山口 そうですね。僕の一七歳といういまの時間を、そういう戦争とかに使ってほしくないな。
SMAPを歌いながら
――若い人の反戦行動で歌われたSMAPの「世界に一つだけの花」、戦争のセの字もないけど、いい歌だね。オジサン世代からみると平和運動も変わってき た。
藤井 人文字のあとのパレードに、東京で「よさこい」パレードをしている人たちがきてくれて、SMAPの歌とか流しながら好きなこといってる。「きょうはすっごいおもしろかった」と喜ばれました。
人を殺されるのはイヤ、平和な世界にしたいからやってるんであって、むずかしい顔してやらんでもいいと思う。学生のピースムーブメントでは、「学問と戦 争は相容れへん」というのを前面に出してやったけど、自分らの生活と結びつけてメッセージをいうのが、道歩いてる人にも伝わるし、やってて自分でも楽しい んとちゃうかな。
青年は、未来をつくる立場やし、いまボーッとしてたらあかんと思う。歴史的な目でみることが大事で、いままで積み上げられてきた「戦争は違法や」という ルールをアメリカは壊そうとしている。いまこの分かれ道に立って、どんな未来を選ぶのか、自分はどう生きるのか、とくに青年はすごく問われてるんやない か。一人ひとりがちょっとでも行動することで平和の流れをつくれると思う。
◇見てくれ ぼくらの平和メッセージ◇
司会・中西英治記者
いつでも元気 2003.7 No.141