みんいれん半世紀(6) 倉敷公害訴訟 患者救済こそが医の原点 一人ひとりの病気と大気汚染の関係を明らかにし
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「公害は終わった」「大気汚染と病気は関係ない」公害患者が増えつづけるなか、七〇年代後半からはじまった財界のキャンペーン。水島地域(岡山・倉敷市)に公害が発生したころから患者救済にとりくんだ水島協同病院は…
急激に重化学工業化がすすんだ水島地域で死魚が浮き、特産のイ草が枯れるなどの被害が出はじめたのは一九六三年。そのころから「異臭がひどい」「カゼが治らない」などの訴えがあいつぎました。水島協同病院には次つぎとぜん息発作の患者がかつぎこまれるようになりました。
七二年には「倉敷公害患者友の会」(いまの「倉敷市公害患者と家族の会」以下患者会)が発足、運動の高まりで、七三年、ぜん息などの患者に対して、市独自の「特定気道疾病医療費給付条例」ができました。
四日市公害裁判で、被害者が勝ち、七二年「公害健康被害補償法」が制定されます。患者会は企業側の激しい反対をはねかえして運動し、ついに水島は同法適用の地域指定を受けました。
患者は増えているのに
田中美栄子さん(80歳)は、「保険の外交で工場地帯を走り回ってました。七二年ころから外出すると口の中がにごうなるし、息苦しくて夜中にとび起きるようになりました」。七八年、ぜん息の大発作が起きて入院、死んだほうがましと思うような苦しみにみまわれます。
現在、患者会会長の村木源二郎さん(80歳)も「七〇年代初めから慢性気管支炎じゃったが、会社では公害病だとはいえず、退職後認定を受けました」。
七九年、経団連は、亜硫酸ガス(SO2)の大気中の濃度が低くなってきたことを根拠に、国に補償制度を見直せと迫り、国民向けには『青空は帰ってきたのに』というパンフを配りました。
「財界からの巻き返しです」と患者会といっしょに運動してきた浅田知己さん(54歳、水島協同病院事務次長)。「空気はきれいになっているのに、なんで 公害患者は増え続けるのか、病気と大気汚染は関係ないという大キャンペーンを始めたんです。患者会は、これは補償法つぶしの攻撃だ、水島の公害指定地域も 解除になると警戒しました」
指定解除されると、その地域では新たな公害患者の認定はされなくなります。
経団連パンフへの反論
「空気はきれいになった」という財界のキャンペーンには、呼吸器学会の指導層が総動員され、当時、それに反論する学者はいなかったといいます。そこに、 雑誌『公害研究』(現『環境と公害』岩波書店発行)編集部から、松岡健一医師(75歳、現在水島協同病院名誉院長)に経団連パンフへの反論の執筆依頼がき たのです。これが、患者運動の側からのはじめての反論となりました。
「二編書きました。一編は大気汚染が少し改善されたとはいえ、患者は増えていることを立証し、もうひとつは、大気汚染と病気との関係を否定する経団連の 考え方を医学的に批判しました。私の名前で出ましたが、当時の協同病院の医師の共同研究でした」。この研究が、のちの訴訟で企業側の言い分をうちやぶって いくのです。
提訴へ
八一年、倉敷市の医療費給付条例が廃止されました。条例を継続させようと、患者会は市や、負担金を分担していた企業に交渉をもとめましたが、公害との因果関係を認めない企業は門前払いの仕打ち。
八三年、倉敷の被害者はついに裁判にたちあがりました。千葉、西淀川、川崎の公害訴訟に続く提訴でした。
権威者とのたたかい
原告の主治医のひとりとして、倉敷公害訴訟に参加した里見和彦医師(49歳)は、「学会の権威たちが書いた『症例検討』を読んで、これでも医者かという怒りがわきました」。
「慢性気管支炎の人が喫煙者であればタバコが原因、喘息の人はアレルギー、肺気腫の人はタバコ病と、大気汚染との関係を明らかにせずに、決めつけていま す。非喫煙者の慢性気管支炎患者はというと、『ただの老化』『気管支炎のくりかえし』と診断するのです。大企業にやとわれて、現実の患者をみないで、強引 な結論をどんどん出していく権威者たち。彼らは科学的な真実探求とは無縁だし、患者不在なのです」
裁判で医師たちは、企業側の出した『症例検討』に反論を加え、原告一人ひとりについて、病気の実態と大気汚染曝露との関係を明らかにしました。
患者を知っている強み
九四年、岡山地裁で勝訴。原告全員を公害患者と認め、二酸化イオウ(NO2)の健康への影響も指摘するなど画期的な内容でした。その後一次訴訟の控訴審を含め、二次、三次訴訟とも企業側が謝罪して九六年一二月、倉敷公害訴訟は和解。提訴から一三年目の全面解決でした。
松岡医師はいいます。「裁判では被告側から、?協同病院と原告は一体である。救済指向に偏っているので、主治医の診断書は信憑性がない?と誹謗されまし た。しかし、患者救済こそ医の原点ではないか。これが日常の医療活動で民医連が貫いてきた当たり前の立場です。私たちの強みは患者の病態を一番よく知って いるということでした。事実と道理を貫いたことで、学界の権威に勝てたのです」
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大気汚染の”主役” は、工場から車に変わり、なおたたかいは続いています。
水島では、解決金の一部を活用して「水島地域環境再生財団」がつくられ、水辺をとりもどす事業や、緑を増やしてCO2を減らす運動、世界へ水島の公害を伝える活動などにとりくんでいます。
文・八重山薫記者/写真・吉田一法
いつでも元気 2003.6 No.140
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