元気スペシャル //新春対談// みんなのハートに金メダルを
「駅伝で一六人抜きました」「わあ、私よりすごい」――いきなり盛り上がった出会いは、五輪メダリストの有森裕子さんと産婦人科医の橋本吏可子さん。スポーツ、命のこと、生き方まで、話題はぐんぐん広がって…。
(写真・酒井猛)
五輪メダリスト有森裕子さん
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有森裕子 1966年12月岡山県生まれ、36歳。日本体育大学卒。92年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダル。96年にプロ宣言した。NGO「ハート・オブ・ゴールド」主宰。米コロラド州在住。 |
地雷廃絶キャンペーンから
橋本 民医連の駅伝大会が二年に一度あるんです。誘われて走るようになって三回目の出場のとき、一区で区間賞。昨年(2002年)は三区を走り、三八位でタスキを受け一六人抜きました。
有森 わあ、私よりすごい! 私は一昨年の東京国際女子マラソンのあと休みの年にしていて、練習時間ゼロ。この前久しぶりにハーフマラソンを走ったら、すごい筋肉痛(笑い)。
橋本 有森さん、昨年、国連人口基金 (注1)の親善大使になられたんですね。
有森 たまたま私はNGO「ハート・オブ・ゴールド」をつくってチャリティ・マラソンなどをしている。それが目にとまったらしいんです。
橋本 不勉強ですみませんが、国連人口基金って何だろうって。
有森 私も話がくるまで知らなかったんですよ。人口問題を扱う機関ですが、日本ではジョイセフ(注2)とパートナーシップを組んでいて、そこはリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(注3)を扱っています。人口問題というのは、女性が産む・産まないを自分で決める権利をもっているかどうかとか、産む母親の健康や産まれた子の健康とか、いろんな問題にかかわりがあります。
橋本 重いテーマですね。
有森 国によって取り巻く環境や現状がぜんぜん違う。たとえば、自分が望んだ妊娠でなかったり、 妊娠しても産める環境でなかったりということがあります。男性の権力で妊娠し、体をこわしても産まなくてはならない。そして母も子も亡くなったりする。そ こでどう女性の権利をサポートし、「いのち」を守るかというとき、いろいろな論争もでてきます。国連の機関のなかで一番むずかしいポジションかもしれませ ん。
橋本 「ハート・オブ・ゴールド」は、どういう組織ですか。
有森 スポーツを通じて、国境や人種をこえて、子どもたち、障害をもつ人たちと「希望」と「勇 気」を共有したいという理念で、カンボジアの地雷被災者に生活自立支援をしています。バルセロナ五輪のあと、アンコールワットでハーフマラソンをやるから と誘われたのがきっかけでした。地雷で傷ついた人、子どもたちに義手や義足の資金を支援するのが目的ときいて、初めて参加したんです。いってみて、ほんと うに衝撃を受けて、私にもできることがあればやるべきだと思ったんです。これが音楽とかですとできませんが、スポーツなら私もできますから。
産婦人科医橋本吏可子さん
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橋本吏可子 1970年2月青森県生まれ、32歳。弘前大学卒。94年青森民医連入職、内科研修の後、95年津軽保健生協・健生病院、産婦人科所属となった。第7回(00年)、第8回(02年)民医連駅伝大会で区間賞。青森県弘前市在住。 |
橋本 名前はどんな意味ですか。
有森 ニュージーランドのロレン・モラーさんってご存じですか。大型のすばらしいランナーで、大 阪国際女子マラソンで何度も優勝し、バルセロナで三位だった人。「ハート・オブ・ゴールド」は彼女がつけた名前です。オリンピックでメダルをとれる人は限 られているけれど、心の金メダルはだれでも持てる、「子どもや障害をもつ人に夢を贈るこの活動をする人たちの心には金メダルがありますよ」というんです。
橋本 カンボジアのハーフマラソン、昨年は一二月一日でしたね。地雷犠牲者は子どもが多いんですか。
有森 いま犠牲者が、新しくどんどん出ているわけではありません。カンボジアは表面はきれいに なっています。とくにASEANの会議が開かれていっせいに掃除しましたから。でも物乞いする子どもたちを全部追っ払ってきれいにしたんですから、問題は 解決していません。体と心の両方のケアが必要ですし、障害をもってからの貧困がひきおこしている問題が多い。エイズでもそうですが、すべての原因は貧困で す。
橋本 カンボジアでは、戦争による貧困もありますね。
有森 もともと裕福な国ではありませんが、ポルポト政権の後、全体に貧困が深刻になりました。いろんな国の援助が入って人口流動がおきる過程で、売春宿が増えてエイズが広がった。アジア地域でエイズ患者が一番のびているのはカンボジアです。
私たちは支援の一つとして子どもに日本語教育をしています。日本語ができるとガイドになれる。学校の先生の給料が月二〇ドルですが、ガイドは一日二〇ド ル。そうすると親が子どもを売らなくなるんです。日本人観光 客が多いことには問題もあり、私たちの気持ちも複雑ですが。
日本の問題/命のこと
橋本 性については、日本も大きな問題をかかえています。産婦人科医として心配なのは、中学生、 小学生まで性病が広がっていること。とくにいま、クラミジアという感染症が増えています。これにかかるとエイズにも感染しやすくなるんです。それが現実で すから、セックスを覚えた子どもたちに正しい性知識を教えなければならない。学校で教えるのは保健室の先生でしょうが、地域によっては産婦人科医が担当し ています。すると、「産婦人科が避妊や性病予防を教えるのは若者の性行為を容認するようなものだ。このパンフレットは何だ、避妊の仕方を図解なんかして」 と議会で問題にされたり。私にいわせれば頭が固いというか…。
有森 トータルに見ないで、部分だけつっつく人がよくいますね。
橋本 カンボジアとは違うでしょうが、日本でも妊娠したけど経済的に産めない問題があります。産 むのも大変、おろすのも大変と悩む。相談してもらえれば情報提供できるのですが、経済的な援助のしくみがあることも知らないまま、悩んでいるうち突然陣痛 が始まって飛び込んでくる「飛び込み分娩」が、うちの病院でも年に一、二件あります。
有森 高校で講演すると必ず最後にエイズの話をするんです。伝えきるにはむずかしい表現もありますが、でも、きれいごとばかりいって、子どもにちゃんとぶつけないと、問題は解決しないですね。
橋本 カンボジアで、予防の大事さは話されていますか。
有森 いまそれを教えているところです。エイズ感染をカミングアウト(告白)した患者さんに集会 やラジオで話してもらったり。でも活動資金がないから大変です。そこで私が思いついたのがスポーツイベント。子どもたちが八百人くらい、それと指導者が集 まるので、イベントの中で時間をとってエイズ教育をしたり、コンドームを配ったりします。
スポーツマンと社会
橋本 有森さんは、アスリートも社会にかかわるべきだと、口でいうだけでなく、実践されていますね。
有森 アスリートはいいメッセンジャーだと思うんですよ。国際的に活動して世界をある程度知って いますし、世間の注目度もあります。私たちがいって耳を傾けてもらえるのなら、出ていく必要がある。オリンピック選手はみんなが応援して金をかけた人間の わけで、多少はそういう義務を社会にたいして負っていると私は思うんです。
橋本 そんな考えはいつごろから。
有森 もともとスポーツを好ききらいの対象に考えたことはないんです。こういうことをいうから、 ランニングファンをがっかりさせるんですが(笑い)。生きる手段、自分を表現する手段としてスポーツがあったんです。スポーツで何ができるんだろう、だれ に会えるんだろう、それで自分を生かしたいと思った。記録や勝つことが目的じゃなかったんです。
橋本 私も体育の成績はいつも2でした(笑い)。ただ、長距離だけは小さいころからけっこう速い 方で、体育祭のとき唯一輝けるのが長距離だった(笑い)。二年前に埼玉へ研修にきてあるジョギングチームと出会い、初めて練習のコツや走り方を教わったん ですね。ゆっくり走ることで距離も伸び、タイムも速くなった。それでハーフマラソンにも出られるようになりました。いま自分はハーフに向いてるかなと思っ ています。
「自分をほめたい」と思うとき
橋本「マラソンのテレビ中継っていつ見ても同じ画面じゃないですか」 有森「こんなに放送してるの日本だけですよ。外国では見るものではなく自分でやるものですから」 |
有森 いまハーフの記録は?
橋本 一時間三三分がベストです。長い距離を走ると最後に歩きたい衝動が出るじゃないですか。それを乗りこえてゴールできたら自分をほめてやりたいと(笑い)、有森さんの言葉をいつも自分にいいきかせます。私の場合、ほめるだけでなくごほうびも買ってきますが(笑い)。
有森 あの言葉を最初に聞いたのは高校のときです。私は高校の三年間ずっと都道府県駅伝で補欠でした。その開会式に高石ともやさんがこられて、読まれた詩にあった言葉です。それを聞いて感極まるものがあって大泣きしたんですよ。
アトランタの練習中、ネガティブになっていたとき、クルーのだれかに「自分で自分をいいと思えばいいじゃないか」といわれて、ふっとその言葉を思い出し たんですね。でもそのときは、「いや、いまは自分で納得できない、ここで自分をほめたら弱くなる、するんだったらレースの後にしたい」と思いました。
アトランタは全体として私には苦手のコースなんです。ただ、三〇キロ近くに坂がある。小出監督も「お前に有利なポイントはそこしかない」といわれて、そ こだけはがんばろうという地点だった。あのときはロバ選手に置いていかれて、しかも脱水症状、足もしびれかけていました。まわりはエゴロワ選手など強敵ば かり、先には苦しい登りがあることもわかっていて、飛び出すには勇気がいりました。だけどチャンスはここしかない、飛び出よう、全力で走ろうと、振り切る 形でスパートしました。あそこで飛ばしていなかったら多分悔いのないレースと思わなかったし、あれができたからあの言葉も素直に出たと思います
橋本 マラソンは人生に似ているといいますが、ほんとですね。
有森 マラソンは、ほかのスポーツと違い、走ることはだれにもできるんですね。自分もできることを競技としてやっていて、長い時間自分の気持ちを移入できる。だからファンが多いんだと思います。
子どもたちが輝くように
橋本 私はことし、多分有森さんもそうだと思いますが、妊娠したいと思ってるんです。仕事では、 いつも「患者の立場にたつ医療」をしたいと思っていますが、ほんとうに患者の心がわかっているかというと、わかっていないことが多い。産婦人科をしてき て、たとえば不妊症の人が自分を責め、暗くなっている思いをわかってきたか。先日不妊症の夫婦の集まりに参加する機会があり、自分がぜんぜんわかっていな かったと痛感しました。自分が妊娠、出産することで、何かが変わるのではないか。わかったつもりでなく、相手のつらさをくみとった医療をことしもしていき たい、と思います。
有森 私はことしも、いま広げている世界にとりくんで、メッセージを届けていきたい。いまとくに 大事に思っていることは、子どもたちに自分を大事にしてほしいし、自分探しをしてほしい、ということです。学校で話すとき、「一生懸命は勝ちます」とよく いうんですが、一生懸命やって、自分を輝かせるものをみつけてほしいと思いますね。カンボジアにいって思ったのは、あちらの子どもは貧しくて大変だけど、 目が輝いてる。日本の子どもたちと違うと思った。でも、それは子どもの責任ではなくおとなの問題です。おとなが夢をもって生きていれば、それを見て育つ子 どもは死んだ目になりません。おとなの人たちには、もっと世界中の話題、とくに命の問題に目を向けて、できる人はできることからやっていこう、とよびかけ たいですね。
いつでも元気 2003.1 No.135