民医連事業所のある風景 神奈川/汐田総合病院 設立の思い今も 感染症と地域の貧困に向き合う
1953年12月1日、横浜市鶴見区下野谷町に汐田総合病院の前身の汐田診療所を開設し、診療を開始しました。当時の設立趣意書には「京浜工業地帯に位置する鶴見は…大工場をはじめ数多くの中小企業があり、ここに働く人にとって真に健康を守るための予防医療と医療施設こそが必要であると信じております。最近の物価高、生活難から満足に医者にもかかれない人たちや、不況のしわ寄せは中小企業に押し寄せそのため各企業においても医療施設と、療養施設の不備、不足とそのうえ烈しい労働のため、亡国病とも云われる結核に侵される人が年々増えつつある現状です…。」とありました。
結核を新型コロナウイルス感染症に読み替えてみると、当時の状況が現代に再投影されてくるかのようです。
いち早く公害、職業病にとりくむ
汐田診療所は1960年に汐田病院となり、生活習慣病、公害、職業病を含む疾患別グループ活動が発展しました。そのとりくみは「振動病健診」や「糖尿病グループ」などの現在の活動に脈々と引き継がれています。74年には大規模な改修工事により128床の病院へ拡大、80年にはいち早くCTを導入し、急性期医療、脳血管疾患治療とともに、「リハビリテーション」にとりくみました。
2001年に、病院は鶴見の海側から現在の地(鶴見区矢向)に移転、鶴見区唯一の老健を併設する204床の病院として活動を開始しました。その後、06年、12年、数次の増床を経て、2021年に、隣地に老健移転とともに「総合ケアセンタービル」を開設し、病院は319床となりました。
「地域生活支援病院」 として
増床と「総合ケアセンタービル」の機能との融合、地域医療構想や近隣の中核病院、地域医療機関との連携のなかから、あらためて「地域生活支援病院」として新たな医療活動を模索しています。
「地域生活支援病院」とは「地域の患者さんの生活やまちづくりをささえ、具体的には回復期病床の充実、2次救急の充実、在宅医療支援、介護事業所支援、まちづくりへの参加」にとりくむと規定し、「地域医療支援病院」とは別軸の活動を推進することを言語化したものとなります。今後10年間は、第6次長期計画のもと、この活動を推進していきます。
困ったときこそ集団で話し合って決める
当院の目下の課題は。設立趣意書が書かれた70年前にさかのぼる感染症と地域の貧困とのたたかいです。当院は新型コロナウイルス感染症の重点医療機関協力病院として、地域の発熱患者さんや近隣の高齢者、障がい者施設からの診療、検査依頼、全市的な陽性患者の受け入れやワクチンの接種に、全職員をあげてとりくんでいます。新型コロナウイルス感染症の患者は、労働者、外国人など複雑な背景を持つ人が多くいます。またワクチンの接種予約は、パソコンや電話に難渋し、足がないために、高齢や障がいを持つ人たちが遠ざけられ、とり残されています。目の前の患者さんにどう対応したらよいか? 答えのないなかで、模索を続けながらのとりくみですが、困ったり悩んだりした時こそ、当院は集団で話し合い、皆で決めるという原則に立ち返って、すすむべき方向を出しています。
日々忙しいなかですが、お互いへの感謝とリスペクトを忘れずに、これからも奮闘したいと思います。
(汐田総合病院 事務長 小川正志)