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ニュース・プレスリリース

Dr.小池の世直し奮戦記 最終回 私にとっての「民医連」 連載終了にあたり感謝をこめて

 『いつでも元気』読者の皆さま。二〇〇四年一月号から一二年余り連載してきた
「Dr.小池の世直し奮戦記」ですが、今号をもって終了となります。
 これまでのご愛読に、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

36年前に出会った民医連

 最終回にあたって、私と民医連についてお話ししたいと思います。
 私が研修医として、東京民医連の小豆沢病院に入職したのは一九八七年です。東北大学医学部に入学した八〇年には民医連の奨学生となっていたので、民医連との出会いは三六年前にさかのぼります。
 学生自治会の新入生歓迎行事で、生まれて初めて民医連の病院を訪れました。当時、まだ木造だった宮城の坂総合病院医局に掲げられた「民医連綱領」を見た時の新鮮な感動は、今も忘れません。
 「患者の立場に立った親切でよい医療」って、当たり前だけどすごい! と。
 学生時代は全国医学生ゼミナールや医学連再建運動の中で、多くの仲間と日々交流し時には激論をたたかわせました。そうした仲間が今、全国各地で民医連幹部として大活躍しています。頼もしい限りです。

私が民医連で学んだもの

 小豆沢病院で研修医生活をスタートさせ、続いて再建途上だった山梨勤医協の甲府共立病院で半年間研修。その後、これまた倒産状態だった東京都北区の北病院の医療支援に飛び込み、医療の再建と民医連加盟にとりくみました。
 北病院は当時、まだ民医連に加盟していませんでした。医療活動を通じて、民医連の医療と運動への理解を地域住民や病院職員に広げていく経験は、自分の中での“民医連医療”を問い直す日々でもありました。
 医師として仕事をしていた日々の中でも、とりわけ思い出深く、貴重な経験でした。

そして“永田町国会病院”へ

 その後、東京の代々木病院に移り、一九九八年の参議院選挙で初当選。それから後は、国会議員としての活動に全力をあげています。
 自己紹介で、「民医連の病院から、今では“永田町国会病院”で『政治の病気』を治す仕事をしています」と 申し上げることもあります。そんな時、たまに「その病院はどこにあるのですか?」という質問が。
 念のため申し上げますが、そのような病院は存在しませんので、あしからず。
 国会では、外交や安保、金融問題などにもとりくんできましたが、なんといっても医療や介護での国会論戦には力が入ります。今まで出会ってきた患者さんや、民医連の職員の顔が目に浮かびますから。
 みんなの怒りや願いをぶつけて、少しでもよい医療制度や介護制度をつくっていきたい。今後もライフワークとしてとりくみます。現場の声、現場の実態をこれからも聞かせてください。お待ちしております!
 安倍政権の暴走ひとつをとっても、「政治」の病状はますます深刻です。全国各地を「訪問診療」する機会もあるでしょう。日本のどこかで、またお会いできることを楽しみにしています。
 それでは、皆さま。『いつでも元気』で!

いつでも元気 2016.9 No.299