仲間がいるから!
大勢の昼食会 東京保健生協南大泉支部
おしゃべりしながらみんなで昼食するのがいつもの班会です。七月二三日、その規模を少し拡げて支部全体の昼食会をしました。
準備段階から意見百出。献立はお料理上手な組合員オリジナルの「簡単変わり麺」に落ち着き、準備やお誘いは日ごろの人脈を発揮。四三人が集まりました。
調理担当は朝から奮闘しました。大釜二つで麺をゆで、特製ふりかけ、トマト、キュウリ、かぶなどの夏野菜にたっぷりの薬味と麺つゆ。とろり半熟卵を添え て彩りよく完成。デザートは前日から仕込んだ水ようかんをもみじの葉っぱに乗せた専門家はだしの仕上がり。一食一五品目の健康食でした。
食事後はハーモニカ演奏、三味線の伴奏つきの民謡。支部長と職員から仲間増やしを訴えました。
(末浪和美通信員)
長崎から船に乗って水俣に 神奈川診療所
六月二二日、長崎での共同組織活動交流集会を終え、神奈川の二九人は島原からフェリーで熊本へ渡り、水俣へ。不知火患者会の大石会長と水俣健康友の会の中山会長も長崎から同行してくださり、道中は水俣病の学習の場となりました。
翌日は現地友の会の案内で、チッソが有機水銀を含んだ廃水を流した八幡プールや百間港、水俣資料館、水俣協立病院を見学。
水俣病の公式発見から五四年もたつのに、最高裁も認めた病像を国が認めず、病をおし裁判に立ちあがった人が一八〇〇人を超えているのに驚きました。参加 者のほとんどが水俣に来たのも初めてなら、「水俣病は終わった」と思っていました。
患者を切り捨て、加害企業を救済して幕引きさせるという「水俣病特別措置法」が国会で成立する直前の緊迫した中での訪問でしたが、水俣健康友の会、協立 病院にたいへんお世話になりました。チッソに対峙するように、はす向かいに立つ民医連の水俣協立病院が大きくみえました。
(牛山和子通信員)
「ひと夏の経験」? 東京・足立健康友の会
長崎であった共同組織活動交流集会へ初めて参加して来ました。初体験なのも手伝い、緊張はピークに。案の定、第一日目の会場で気分が悪くなり冷や汗たらたら四苦八苦。
しかしド根性で持ちこたえ、二日目の分科会で「独り暮らしの食事会」について発表しました。あせらず伝えるのに必死、汗びっしょり。さらに、「今後に活かしたい」と質問を受け、びっくりどっきり答えました。
さらに驚く事に、長崎から東京に戻ってからも別の方から問い合わせが。資料を送りましたがとてもうれしいです。良い経験をさせていただき感謝でいっぱいです。
(大井民江通信員)
頭の活性化に皆で読書を 長野医療生協安茂里支部
読書班会をおこなっています。皆で読みたい本を選び、チューターを決め毎月一回。七月一三日は新しい人も加わって、加藤周一さんの『私にとっての二〇世紀』を読みました。
この日は手打ちうどんをご馳走になりいっそう楽しい会になりました。次の本はノーベル賞の益川敏英さん『科学にときめく』(かもがわ出版)に決めました。
(礒野道子通信員)
『元気』販売所長交流会 北海道・札幌東友の会
六月一六日、『元気』販売所所長交流会をおこないました。一四の販売所から一九人が参加しお弁当を囲んでなごやかに。
札幌西・手稲健康友の会と、八軒『元気』販売所長を迎え、実践をききました。西・手稲では、気軽に声をかけ『元気』をいつでも宣伝。還元金で班の行事が 豊かになり、『元気』の独自ニュースは六〇号に、など、元気が湧きました。
当友の会ではこの一年に販売所を三カ所増やし、二一カ所二五九部に。各所長さんから「『元気』の献立を調理しみんなで味わっている」という班活動、「読 みやすく内容がいい」という読者の声、「西・手稲のように東友の会も通信を出そう」という意見、また、「班長と兼任で毎月の配達集金が精一杯」という悩み なども出ました。
最後に玉井副会長から「今年度三〇部、『元気』を増やしましょう」の訴え。あっという間の二時間でした。
(富田敏子通信員)
「まだ若いぞ~」 福岡・ありあけ健康友の会
仲良し「あやめ班」の班会はいつもにぎやか、今回は骨密度チェックをしました。看護師が測っていくと、「キャァーこの器械はどこか狂っている? 変よ」「器械は正確、あなたが変よ!」「まだ若いぞ~」といった歓声が。
手作りのお菓子などを持ち寄り、あっという間に時間が過ぎました。
(福田恭介)
各地のとりくみをお寄せください。編集の都合上短くする場合がありますが、三〇〇字で、写真もつけてください。毎月の締め切りは七日ごろです。
いつでも元気10月号No.216より