平和を求めて
平和七夕に折り鶴を 宮城・泉病院友の会
「平和七夕」は東北三大祭りのひとつ。仙台七夕の初日八月六日が、「ヒロシマ原爆被災の日」ですので、原爆の怖さを語り継ぎ、この日を忘れないようにと、 七夕飾りに「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」の祈りを込めた折り鶴を飾り「核兵器の廃絶」「平和の尊さ」を訴えつづけて、今年で三三回目です。
とりくみは一九七六年、二十数人の手で折り鶴二〇〇〇羽からスタート。昨年三二回目は北海道から沖縄まで、二万五〇〇〇人(小学生から一〇二歳まで)か ら一〇〇万羽寄せられ、一八万羽は五本の吹流しに、残りは八〇〇〇本の首飾りにして七夕見物の方に贈り大反響でした。三八の小・中学校、一二の高校がとり くみました。宮城の六院所の友の会も参加。ことしも飾ります。
(菅原秀俊通信員)
被爆者座り込みを激励に 千葉健生病院健康友の会
厚労省前で原爆症認定訴訟の原告団がテントを張り、三日間おこなった座り込みに、六月三日、友の会のコーラスの指導者吉川敏男さんを先頭にコーラス部と 平和部から六人で激励に行きました。冷たい雨の日でしたが、被爆者は満身の力をこめて原告の決意を語りました。三〇六人の原告ですでに亡くなっている人も 五〇人。
「にんげんをかえせ」の横断幕を持った原告団と一緒に「にんげんを返せ」「青い空は」を歌いました。厚労省に向かって「一日も早く認定せよ」と叫んで少し胸のつかえがとれました。
(伊藤則子通信員)
50回目の平和行進 京都・乙訓医療生協
原水爆禁止国民平和大行進は、ことしで五〇回目となりました。東京・夢の島を出発した行進は五〇日かけて六月二四日、京都向日市に到着。市役所前で歓迎 集会が開かれ、広島まで通し行進する二人は「あと四〇日がんばります」とあいさつ。隣の長岡京市役所まで三〇〇人の人たちとともに元気に行進を続けまし た。当医療生協からもたくさん組合員が参加、折り鶴や「平和行進五〇年」と書いた飾りを手渡し激励しました。
(清原巳治通信員)
各地のとりくみをお寄せください。編集の都合上短くする場合がありますが、三〇〇字で、写真もつけてください。毎月の締め切りは七日ごろです。
いつでも元気9月号No.203より