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ニュース・プレスリリース

平和・憲法9条

9条世界会議で鯉のぼり  千葉健生病院健康友の会

torikumi202_01 五月四日~六日幕張メッセで九条世界会議が開催され、二万人を超える人たちが集いました。友の会では、地域の九条の会にも声をかけ、「幕張九条ネットワーク」をつくり、ピースウオーク、歓迎セレモニー、ブース出展と合唱などで六〇人が参加しました。
 とくに歓迎セレモニーは四神の真鯉と緋鯉の二匹を持って和服姿も入れて出迎えました。鯉のうろこには、九条が印刷されたハート型のメッセージをはさみ、参加者に手渡しました。
 鯉は手づくりです。企画から制作まで一週間近くかかりました。初日は、一万五〇〇〇人の長蛇の列に向かい、「地元の九条の会です」とアピール。「カメラ と携帯で写真とられた」「感動したり、喜んでくれる人がいてよかった」「鯉のぼりの企画も大うけしてよかった」の感想が。ひと味違ったゴールデンウイーク でした。
(伊藤則子通信員/写真・加藤準之助)

徴用された父の死  北海道・道東勤医協友の会連合会

 第三回友の会九条ネット交流会は、戦争体験と戦中・戦後の生活を語り継ぐ企画でした。
 臼井鼎司さんは父親の仕事のため、五歳で旧満州へ。敗戦の翌年、一六歳で引き揚げました。敗戦後、中国人の迫害にあった人もいましたが、温厚な人柄だったお父さんのお陰で、無事だったそうです。
 藤田二三五さんは、釧路の炭住街に住んでおり、その頃の生活や空襲の時のようすを語ってくれました。いまでも、無念で口惜しいのは、父親が徴用で福岡の 大牟田炭鉱で働かされ、事故で亡くなったこと。その後、苦しい生活をお母さんが支え、敗戦を迎えたそうです。父親の徴用命令書や当時の配給の券など貴重な 資料を大切に保存されています。
 また、田畑千代志さんは、兄の知り合いが漁船を独自にたのみ、命からがら敗戦後の旧樺太から脱出したようすを生々しく語ってくれました。
 参加者も当時を語り、反戦・平和の思いを共にしました。
(亀井武通信員/写真・高橋滋)

大和平和まつり  神奈川・北央医療生協

 第二〇回かながわピースフェア「大和平和まつり」が五月一八日におこなわれました。
 いまこそ大切と「日本国憲法前文」を歌うきたがわてつさん、地元から「ぞうれっしゃ」も参加。舞台で続くピースアクション、厚木基地を一周する「ピース マラソン」駅前の会場には、所せましとフリーマーケットや工夫をこらした出し物や売店、などが設けられました。
 医療生協は健康チェックを始め、「生活習慣病」や「特定健診」の話、「後期高齢者医療制度」の署名にもとりくみました。
 二八年間三二九回続けているピースウオーク。米空母の母港撤回、爆音のタライ回し止めよ! キャンプ座間への司令部移転反対! 静かな空を返せ! と シュプレヒコールが町に響けば、沿道の市民も拍手。「平和の運動は粘り強さが大切ネ」という参加者の言葉が心に残りました。
(大日方弘夫通信員)


各地のとりくみをお寄せください。編集の都合上短くする場合がありますが、三〇〇字で、写真もつけてください。毎月の締め切りは七日ごろです。

いつでも元気8月号No.202より