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ニュース・プレスリリース

兵庫/尼崎医療生協病院 住みよさ日本一のまちづくり

尼崎というまち

 「少し口が悪くても 誰かの事を思う人の 言葉は本当に優しくて 思い出すたび笑顔になる 洗面器カタコト おばさんサンダル履いて…」シンガーソングライターの槇原敬之さんの『尼崎の夜空を見上げて』の詞は尼崎の風情をよく表現していると思います。
 尼崎という地名は古く、平安時代の末から鎌倉時代初め頃に歴史に登場します。当時は“海士崎”“海人崎”とも書きました。「あま」という言葉は、昔はよ り広く「漁民・海民」を意味し、「さき」は岬に通じます。つまり、「漁民や海民が住む海に突き出た土地」が由来といいます。
 尼崎医療生協病院のある市内北西部の武庫地区は武庫川が運ぶ土砂が堆積した土地です。縄文時代には海辺で、弥生時代には人が住み始めました。北には武庫 庄遺跡があり、JR立花駅への途中には古墳時代前期の前方後円墳「水堂古墳」があります。尼崎は、古代から中世にかけては、大和や難波・京といった政治・ 経済の中心地と、西国や瀬戸内を結ぶ海陸交通の要地として栄え、さらに近世には、大坂の西の備えの城下町として発展し、近松門左衛門などの文人も活躍しま した。近代には日本有数の工業都市となり大気汚染などの公害に苦しみ、現在はアスベスト問題をかかえるなど、歴史と人びとの営みのなかでまちも姿を変えて きました。

フロアーも運動量も1.7倍

 尼崎の民医連運動は1949年ナニワ病院の設立に始まり、1974年の3法人合併を経て、1981年に尼崎医療生協病院(旧病院)を建設し、59年の間に39の事業所へと発展してきました。
 尼崎医療生協は2005年から「住みよさ日本一のまちづくり」に取り組み、「特養づくり」「病院の新築移転」「老人保健施設づくり」などの大きな施設拡大にチャレンジしています。
 まず、1億円の寄付運動に取り組み、2006年8月に特養「あまの里」の建設を成功させ、2007年5月に新病院が隣接地に完成し移転を行いました。
 新しい病院は、東西に160mを超える細長い建物に生まれ変わりました。旧病院の約1.7倍の床面積になり、許可病床数199床は同じです。1床当たり 8平方メートル以上、個室率38%のゆったりした空間がうまれました。また新たに緩和ケア病棟(20床)も開設しました。ボランティアの協力で運営をすす め、患者・家族の皆さんから喜ばれています。広くなった外来・病棟で働く医師はじめ職員の運動量も1.7倍でヘルスアップ(?)につながっています。

一番身近な虹のネットワークに

 今年3月には「あおぞら生協クリニック」と老健施設「ひだまりの 里」「組合員ひろば」「生協事務局」の4つの機能を盛り込んだ「あおぞら会館」(旧病院跡地に建設)が完成し、8月に生協歯科のリニューアル移転で一連の 建設運動が完了します。これらの施設が連携を強め、組合員の自主的な保健活動とボランティアをはじめとする人びとの「少し口が悪くても 誰かが誰かを思う  言葉が聞こえる」協同の輪を広げ、尼崎医療生協グループの「保健・医療・福祉のネットワーク」が地域住民にとって“兵庫県で一番”身近に感じられるもの となるように、みんな「この街でがんばろう」!
尼崎医療生協病院 事務長 高島 英明)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2008年2月号.No.426より