徳島/健生西部診療所 労災職業病患者を支えながら新たな事業展開をすすめて
日本の棚田百選に認定
健生西部診療所のある三好市井川町は、徳島市に流れる吉野川(四国三郎)を視界に映しながら、徳島自動車道を西へと車を走らせること70㎞、ちょうど四 国の中央付近にあります。町の南側は、平家の落人伝説が残り、毎年5月と11月の連休には観光客で賑わう秘境の祖谷渓、その少し手前には、遊覧船に乗って の“奇岩”“怪岩”の観光で有名な大歩危小歩危峡、近隣の東みよし町(旧三加茂町)には、樹齢1000年以上、高さ25m、枝は東西45m南北40m、根 回りはなんと19mもある国指定特別天然記念物の「加茂の大楠」が、町の中ほどで居座っているのが見えます。また、対岸方向には徳島自動車道の吉野川ハイ ウェイオアシスの遊歩道から、旅人にすばらしい眺めを名勝「美濃田の淵」が演出します。地元の井川町には標高1000mの井川スキー場腕山や段々畑、少し 前までは葉タバコの生産地でもありました。また、近年になって「日本の棚田百選」の認定地区になったところもあり、自然と調和のとれたのどかな町です。し かし、「平成の大合併」による行政のリストラや町の人口4724人のうち65歳以上の方が37%と、年々過疎化と高齢化の問題が深刻になってきています。
町民の6割が加入する大運動を力に
徳島県西部地域の労災職業病患者は、1977年頃より治療のために丸一日かけて、徳島市にある徳島健生病院までの通院を余儀なくされていました。多くの 患者がいるにもかかわらず、診療、治療のできる医療機関がなく、「県西部にも徳島健康生協の診療所を建設したい」との要望で1984年に大運動が展開さ れ、町民の60%以上が医療生協に加入しました。そして、翌年6月1日に19床のベッドを持った重装備の有床診療所として健生西部診療所が開所し、今年で 22周年を迎えました。徳島県西部地域の山間部は半農・出稼ぎで生計をたてている土地柄であり、じん肺に罹患されている方も多いが救済されずに苦しみなが ら亡くなっていった方もいました。1989年3月に最初の「四国じん肺訴訟徳島原告団」が結成され、現在も「あやまれ、つぐなえ、なくせじん肺」とスロー ガンを掲げて、トンネルじん肺根絶裁判闘争を国と企業に対してたたかっています。
厳しい情勢に立ち向かう
山間部への訪問診療や定期往診、交通不便で通院困難な患者には送迎体制を組むなど、かかりやすい診療所として地域の方や組合員、または中国四国地協から の医師支援なども受け、ともにがんばってきました。しかしながら、医師不足が深刻になり3年前から病棟の一時休診や祖谷出張診療所の休診など厳しい状況に 置かれています。そんな中、2001年1月より診療所を中心として「西部訪問看護ステーション」の開設を皮切りに、2003年8月には「西部地域リハビリ テーション広域支援センター」とデイケア「虹」の開設、同年11月の山城健生訪問看護ステーション開設、2005年3月には三加茂町委託事業健康づくり 「フィットネス34」の開設、同年6月の組合員ケア付住宅「健生虹の家」の開設と、事業展開を行って現在にいたっています。
ネットワークづくりの拠点として
私たちを取りまく環境は、医療・介護・福祉など制度改悪による受診抑制、医師不足という困難な状況があります。しかし、民医連診療所の存在意義を確認 し、役割の認識を強め、地域の要求に応えていくことが求められています。また、地域では民医連以外の事業所などとの連携をさらに深めていくことも重要に なっています。
(徳島健生西部診療所 健康づくり部 原田 一)
「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2007年5月号.No.417より