岩手/川久保病院 盛岡医療生協の総力を結集して新病院建設
盛岡市の紹介
盛岡市は『壬生義士伝』(浅田次郎著)で有名になった杜と水の都・城下町です。春から初夏にかけてシンボルである桐の木とカキツバタの青い花が咲き、白 セキレイが市街をせわしく動き回り、厳しい冬から解き放たれた喜びが感じられる季節です。夏は中津川の上流でゲンジ蛍が乱舞、秋は鮭が産卵に遡上、冬は雄 大な岩手山、姫神山、南昌山の雪景色が壮大なパノラマとなります。市内のいたるところで清水が湧き、市民の生活に利用されてきました。美味しい井戸水と米 を使用し南部杜氏の技術で作られた日本酒は最高です。食べ物では南部煎餅が有名ですが、近年はわんこそば・盛岡冷麺・盛岡ジャジャ麺を盛岡三大麺として売 り出しています。
市内をながれる北上川、中津川、雫石川そして梁川は農業用水や地域の生活に潤いを与えてくれます。
川久保病院の概況
川久保病院の歴史は1973年に安心して医療が受けられ療養できる病院がほしいという多くの組合員の強い要望で、当時の都南村(盛岡市に合併)には病院 がなかったことや地権者の協力により川久保(地名)に建設されました。開設当時は内科と眼科診療だけで病棟も79床、2階建でしたが、1979年に小児 科、1981年に外科の開設にあわせ120床、4階建に増築しました。
川久保病院は開設当初より、医師体制が困難を極め、他県連から1997年まで断続的に支援を受けながら医療活動を継続してきました。しかし、1989年 より岩手民医連の奨学生が次々と入職し1998年以降は自前の医師体制でまかなえるようになりました。
2000年度で累積赤字を解消、「願い束ねて虹のプラン」(長期計画)を作成。2002年12月に臨時総代会を開催し、第4次医療法への対応と地域の医 療要求に応える新病院建設「虹のプラン21」3ヶ年計画を決定しました。この建設を成功させるために「3年間で3億円の増資」に取り組み、29ヶ月連続毎 月1千万円以上、3億4千万円以上の増資をやり遂げることができました。昨年11月より新病院での医療活動が開始されましたが、この建設運動を通して地域 住民(医療生協組合員)の期待の大きさを実感できました。
新病院建設運動の中で外来患者数、入院患者数が増加しました。外来は広く・明るく・ゆったりとした空間となり、病棟も盛岡市の四季折々の季節感を感じ取 れる施設となりました。看護師、介護福祉士、リハビリテーション科の体制を増やしサービスの向上もはかりました。
介護事業とネットワーク構築
旧川久保病院の建物は新規事業としてショートステイ(42床)とデイサービス(25人)の他、分散していた在宅介護支援センター、訪問看護ステーショ ン、ヘルパーステーション、通所リハビリテーション事業(20人)を1つの建物でできるように改装しました。この建物の名称は在宅総合センター「ひだま り」とし、新病院と渡り廊下でつながり、医療介護のネットワークがさらに大きく構築されました。川久保病院が真に医療介護の砦となり、地域に大きな信頼を 与えるものとなっています。
今後の展望
保健・医療・介護の取り組みで遅れている課題として「健康づくり」があります。「健康で長生き」を推進する健康推進事業の具体化を医療生協組合員と共同 で進めていきます。今、地域の組合員に、健康運動指導士と理学療法士が個々人に合わせた健康づくりプログラムを作り、検診を健康づくり評価に取り入れてい ます。
(川久保病院 事務長 佐々木 康夫)
「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2005年8月号.No.396より