第21回 医学生のつどい【第1回実行委員会】
第1回実行委員会を開催しました!
去る1999年の12月28日から29日まで、第21回民医連の医療と研修を考える医学生のつどい第一回実行委員会が行われました。
第一回の実行委員会は、2000年と言う節目の年の「ミレニアム21つどい」に向けての初めての実行委員会なので、まず、実行委員会にきている全実行委員 が仲良くなることが第一の目標。第二の目標は21つどいの全体像を議論すること、そして第三の目標は、民医連医療と社会の問題について学び深めることでし た。
第一回実行委員会のテーマは、「民医連・つどいは私たちにとってなんだろう?」ということで、まずはじめに実行委員全員が一人一人民医連との出会いや、 現在の民医連への想い、将来やりたい医療などについて語り合いました。突然自己紹介しなければならず、戸惑った人もいたようですが、「民医連に対する想い が聞けて、自分も同じような想いを抱いているので嬉しかった」、「民医連の魅力を改めて感じた!」などのような感想もたくさん寄せられました。この自己紹 介企画は第一回実行委員会では恒例の行事でして、結構面白いと毎年好評を博しています。
自己紹介で民医連への想いを出しあった後はいよいよつどい作りの議論に入りました。21つどいの全体を貫徹するテーマ・実行委員会目標と、開催地について議論しました。
つどい本番には既に実施されている介護保険、国立大学の独立行政法人化や医学生の将来を縛る研修義務化などと今大きく動いている医学教育の問題、20世紀 がどういう世紀だったのかを多角的に振り返ってこれからの医療を展開することなど、様々なことをこれから学んでいきたいという意見が出されました。開催地 ですが、平和を学ぶために長崎、京都、沖縄、広島などが出されました。実行委員の多くが、「平和について積極的に学んでいきたい」という意見を出していま した。少人数の班に分かれて行ったディスカッションも、いろいろな人と深く話ができて、良かったようです。
その後、東京健生病院で2年目の研修医をされている岡部医師に「私と民医連」というテーマで話していただきました。民医連の研修がどのように優れているの か、医療活動にとどまらず、青年職員が学び交流する全国組織「青年ジャンボリー」の活動や、全国の若手医師が生き方や症例や想いを交流する「青年医師の 会」の活動など、幅広くよりよい医療を模索する中で取り組まれている活動の紹介もありました。「学生時代に医師としてのベースを見つけてほしい」という訴 えには、多くの人が励まされました。
その後、夕食、そして交流会へとなだれ込みました。そりゃあ、もう、…。 明け方まで交流して眠い目をこすりながら、翌日は、まず奨学生活動を交流する企画として、都内私立大学の医療系サークルを作っていくまでの一人の医学生の 想いを紹介しました。活動と言うほどの活動もないようなぺんぺん草状態から、一人ひとりの学びたいという想いを出し合って、仲間作りをしながらどんどん大 きくはばたいていく様子をリアルに演説され、「楽しそう。自分たちで主体性をもってすごいと思う」、「何もないところからサークルができあがったことはと てもすばらしいことだと感じました。自分も広められるようにがんばりたいです。」などと、感動の渦を巻き起こしました。
最後に企画として「薬害ヤコブ」をとり上げました。薬害ヤコブは、1970年代後半から97年にかけて、全国の脳外科手術で総計20万枚も使われたといわ れる『ヒト乾燥脳硬膜』によって、クロイツフェルト・ヤコブ病に感染し、1~2年で死に至るという事件で、現在60名以上もの被害者が確認されています。 政府・厚生省の『安全性よりも企業利益を優先』させる薬事行政によって引き起こされた悲劇が、また一つ増えたのでした。これまでにも、薬害スモン、サリド マイド薬害、血液製剤による薬害エイズなど、戦後70近い薬害事件が引き起こされています。全ての薬害事件は、製薬企業や厚生省は危険性を知りながらその 情報を隠匿、歪曲し、「安全だから大量に使いなさい」という企業の論理に乗っかった厚生省薬事行政の責任によるものだとされています。今回の学習会では、 実際に被害に遭われた遺族の方がその心情を切々と語られました。「被害者の話を聞き、そのつらさは痛いほど良く伝わってきた。厚生省の怠慢にも腹立たし い。まだ、薬害ヤコブはそれほど広く知られていないと思うが、これから学習会をし、より多くの人に知ってもらえたらいいなと思う」、「厚生省に対して憤り を感じました。私もさまざまな形で関わっていきたいです」などのような感想が出されました。
最後に次回の第2回実行委員会で学びたいことを出し合いました。「今回の学習会をうけて薬害を総復習したい」、「ターミナルケア・告知について」、「沖縄で平和について」、「介護保険」など、たくさん出されました。