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ニュース・プレスリリース

特集 医学教育はだれのためにあるのか 学びを自分たちのものにしよう!

「いい医師になるんだ!」
そんな初心を抱き大学にやってきた医学生を待っていたもの。
それは、現代日本の医師養成における、理想と現実との大きなギャップだった……。
本誌では、これまで医師養成や医学教育についてみなさんと考えてきました。
卒後臨床研修だけでなく、これからは卒前医学教育もとりあげていきます。
今回は、大学教員として、日本医学教育学会の役員として
医学教育改革の先頭に立ってこられた堀原一前学会長に
日本の医学教育の歴史、現在の学部教育の問題点、今後の改善の
方向などを話題に医学生と対談していただきました。


堀 原一 Motokazu Hori
筑波大学名誉教授、日本医学教育学会前会長。1954年東京大学医学部卒業、大学院、東大外科助手、米国MGH外科を経て東京女子医大心研教授。創設と同時に筑波大学医学専門学群外科教授、学群長、副学長に就任後、退官。

高橋 賢史 Satoshi Takahashi
鳥取大学3年。島根県出身。軟式テニス部と軽音楽部のボーカル。鳥取大学学生会副執行委員長をへて、現在、全日本医学生自治会連合書記長。全国医学生ゼミナールで医学教育に関心をもち、医学教育学会に入会した。

伊藤 末 Kozue Ito
山梨医科大学6年。静岡県出身。軟式テニス部所属。趣味はピアノとひとり旅。医療面接に関する教育がないなど、大学の臨床実習に多くの問題を感じ、『臨床 実習を考える会』を友人と発足。4月には『考える会』で医療面接のワークショップを開き教官の間で波紋をよんだ。

進行下 正宗 Masamune Shimo
東葛病院臨床病理科・検査科医師。日本医学教育学会臨床技能教育ワーキンググループ班員。


 まず医学部をめざした動機や、いま考えていることをどうぞ。

高橋 医学に興味があったということや「人を助ける職業」へのあこがれからです。自分を含め家族が日常 から医療の世話になっている姿を見て、医師をめざす意識が強くなったと思います。医学部では、最初は理想と現実のギャップに戸惑いましたが、自主的に勉強 していくなかで、自分が思い描いていた理想はけっして国民・患者さんから求められている医師像と離れていない、と実感しています。

伊藤 私は、祖父を自宅で看取ることができず、老人病院でのけっこう悲惨な様子を見たことや、祖母も在宅往診をしてくれる先生がなかなか見つからなかったことから、患者さんの身近にいる「普通のお医者さん」になりたくて医学部に入ったのです。
 大学の先輩は大部分が大学の医局で専門医をめざし、内科でも「僕は消化器だ」「循環器だ」とか言う。私はそういうものなんだと思い、将来はどこか医局を 決めなくてはいけないと思っていたのです。でも低学年の頃は、私が思い描いていたのとはなんとなく違うなと感じていました。5年生の*BSTでも「臓器をみる」ことに魅力を感じることができず、初心をもう一回考え直して模索しているときに*GPや家庭医という存在を知り、めざそうと思いました。
 私のほかにも「普通のお医者さん」をめざして大学に入った学生はたくさんいると思いますが、大学の中にだけいたら、その流れに乗って結局専門医になって しまいます。専門医志向で、大学では医学という学問しか教えていないわけです。私はそれに疑問を感じています。

 伊藤さんは「普通のお医者さんになりたい」ということですが、教員が考えている医学の考え方と、市民が考えているお医者さんとはギャップがあるような気がしますが、そのあたり先生どうでしょうか。

 すすんだ教授もおられますが、残念ながら一般的には、大学の臨床系教員は日本全体の平均的な医師の 意識よりは遅れているのではないでしょうか。社会のニーズが感じられず自分の行動に反映しないのは、教員を研究業績をもって選んでいる大学の教員選考の弊 害でもあると思います。

高橋 国際分野では著名な立派な先生が、必ずしも講義がうまいとか、感動する話をしてくれるわけではありませんよね。高校や予備校の先生の方が教えるのが上手という印象が学生にあります。

医師を育てる教員のあり方とは

 「教育」という視点で、今の医学部教育の問題点とその背景をおきかせください。

 日本ではじめて西欧風の大学ができたのは120年前で、明治から敗戦まで日本の医学部教育はドイツ のアカデミズムのまねをしてきましたが、1945年にアメリカ医学が入ってきました。ドイツはアカデミックな医学者を育て、アメリカ医学は良い医師を育て るという伝統がありました。そこで日本ははじめていままでは間違っていたのではないかと反省し、医学部のあり方を変えた。1949年に新制大学医学部とし て出発してアメリカ医学にだんだん変わっていったが、医学のあり方はずっと変わらず形だけアメリカ風になったわけです。
 いままでの日本の大学では、結果として医師養成をあまり重視していなかった。大学とは医学部も含めて学問を究めるところ、とされていました。1965年 ごろから大学紛争が起き、大学医学部が医師を養成するという「使命(ミッション)」がはっきり明文化されたのは1973年でした。もちろん医師も学問に基 づいた医学をやるわけですが、学問だけでは患者さんの幸福にはつながらない。人間として、医師としての、患者さんのキュアとケアをやるには、「サイエンス に根差したアート」が必要なのです。新設医大ができて、大学設置基準や医学部設置基準ができてはじめて、卒後指導医のもとで患者さんのケアとキュアの基礎 的なことができるという教育目標が全国の大学医学部に掲げられたのです。
 大学教員は医師免許はあっても教員免許はもっていない。研究経歴で大学の教員になった臨床系教授も多く、古い大学の臨床系の先生たちはまず研究、つぎに診療、それから教育という意識がまかりとおっていたのです。
 研究がやりたければ、非常にアカデミックな研究所が日本にも整備されつつあり、そこへ行けばいい。また、もっと多数の患者さんの診療や手術をしたい人 は、別の医療機関がたくさんあります。志を立てて大学の教員になろうとした人が教授のはずであり、研究より、診療よりも、教育が大学の第一使命のはずで す。  研究業績が主たる物差しだったこれまでの教員選考では満足な教育はできません。かつては良い研究者・臨床家は良い教員と言われてきたのですが、いま教育 はそんな片手間でできるものではない。戦後は教えるべき、学ぶべき情報量が10年で2倍になるといわれていましたが、いまは2乗、とにかく爆発的に増えて いく。患者さんの満足、quality of life、アメニティを保障するための能力も教授しなければならない。講義で伝授できるのは知識だけで、いまや知識だけでも講義で伝授するのは不可能で す。教師としての資格・能力が非常に問われており、学生が自分で身につけるように刺激する教え方を身につけた教員が要求されているのです。

 いま全国の大学の教員教育はすすんでいるのでしょうか。

 いかに学生が自分で勉強してくれるか、教員はようやくいろいろな機会に研鑽しつつあります。その一つが*医学教育学会で あり、その支援で文部省・厚生省も大学教員や研修指定病院の指導医が教育能力を身につけるというfaculty development のためのワークショップを熱心に開きはじめて26年たちました。WHOが1970年に「2000年までに世界のすべての人に健康を」というスローガンを掲 げ、発展途上国にお金や機材を送るよりも、その地域の医学・看護学、コメディカルの人たちも含む医療人の指導者を教育し、教師としての素養を身につける運 動を世界中ではじめており、日本はむしろ遅きに失したぐらいです。
 学生あっての大学ですから、学生は大学の「カリキュラム委員会」などに、希望だけでなくアイデアや意見を国民に代わってどんどん言うべきだと思います。 あなたがたは国民のために勉強している。経験が少ないから勘違いもあるかもしれないけど、カリキュラムについては学ぶ立場から、古い頭の先生の考えもつか ないことを国民に代わって言うべきです。大学では学生が主体であってお客さんではない。いいお医者さんになるための学生の勉強を最大限サポートする義務を 持ったのが先生です。学生は受け身ではなくて、希望と先生たちの自己改革を要求することは、権利ではなくてむしろ義務なのです。

ハードの先走り、指導能力に疑問あり!

伊藤 私もやはり指導してくれる先生たちの熱意などが感じられなくて。来年から*OSCEとか、*クリニカルクラークシップとか、ハード面だけはつぎつぎと新しいものをとりいれるけれども、指導する人の能力がそろっていないのではないかととても不安です。それで、私たちからもっと良い内容の実習を求めていこうと『臨床実習を考える会』をつくりました。

高橋 みんなこのままではいけない、なんとかしたいという気持ちはありますが、目の前のテスト勉強に追われる日々になっていて、なかなか現状は厳しいですね。

伊藤 悪循環なのです。学生はつまらない授業だと思うとやる気がなくなり、出席しなくなります。そうすると教官たちは「なんだ学生はやる気がない、けしからん」と出席や試験を厳しくして学生をしめつけるか、教える気を失います。すると学生はますますやる気をなくしていきます。

 大学も変わりつつあります。公務員減らしとか医療費の節減などが動機かもしれないけれども、国立大 学では独立行政法人化により変わらざるを得ない。高齢者が増えて医師はどういう役割を果たすべきかなど、国民が大学の先生たちの気がつかない革新を求めて いるわけです。医師国家試験の改革に反映して、臨床実地問題を多くして単なる記憶ではだめで、いずれOSCEを入れて知識だけではなく技能も心も身に付け てもらおうと、わりにいい線をいっています。国家試験が変わるから大学や先生たちも変わらなくてはいけないというのは逆なのですけれど。

伊藤 OSCEにしても、指導する体制が整っていないのに試験だけ行われる状態がつづくのではと、少し 心配です。OSCEはマニュアルがあるわけですよね。私たちが習った時、先生はマニュアルを知らないで自分のやり方を教えていたようです。でもOSCEで はマニュアルどおりやらないと減点される。診察技術を習った人たちはまだいいほうで、ただ病棟を見て回っただけとか、画像を見ていただけなど、まったく診 察の仕方を教わらずに実習が終わったグループもあります。まず先生方がスタンダードを学んでほしい。

 大学の先生たちもこれではいけないと勉強しはじめていますが、まだまだ過渡期です。本当は大学が社 会のニーズを先取りすべきなんですけど、社会の変化のほうが大学教員の意識変化よりもテンポが早いようです。大学の先生は自信をもって教えていると思うか もしれませんが、試行錯誤をしているのです。

「病気を診て患者を診ない」教育が系統講義

 臨床現場では、まず基本的な臨床能力が求められます。病気の知識だけでは対処できません。しかし「病気を診て患者を診ない医師」が育ってきたことは問題です。昔はどこの大学でも臨床各科が「*系統講義」をやっていましたが、いまでも系統講義をやっていますか?

伊藤 やっています。

 患者さんはブラックボックスです。病気が目の前に出てくるわけではない。系統講義では病気が出てき て、患者が出てこない。実際はまったく逆ですね。しかし、どうしても○○病を知っていればブラックボックスが解決できる、という間違った意識がいまだに遅 れた大学ではある。僕に言わせれば、臨床科目は内科学でも外科学でもない。ましてや病気が科目ではない。ブラックボックスの患者さんが科目で、内科学とか 外科学とかは、問題解決の手段でしかない。だけどいまだにそういう講義がおこなわれている古い大学があるのですね。教科書を読みあげるような講義はまった くナンセンス。時間の空費であって、講義に出ないで自分で勉強したほうがどれだけ本当の問題解決能力を持った医学生、医師になるかわからない。系統講義の 出席率はいいですか?

伊藤 出席をとるので、最近は結構厳しいんですよ。

 強制的しばりつけですね。学生も賢いから代返もやるし、欠席してでも教師に抗議をすべきです。

高橋 各地で*テュートリアル教育な どが先駆的に導入されていますが、ぜひとも鳥取大学も統合型のカリキュラムに移ってほしい。学生も臨床や現実の問題にてらしあわせて解剖や病理をやるほう がとても身につきやすいし、分かったという実感があります。問題解決能力が医学生に求められ、どんどん新しいものを取り入れていくべきだと思うのですが、 一部の先生は保守的で、知識が偏るのではないか、学生ができるわけがないと言います。学生と教官の意識のギャップを今後どうやって埋めていくかが課題だと 感じています。

伊藤 やはり先生がたもどう教えたらいいのか分からないのかな。

 先生たちは本当は自信がなく、自分のテリトリーをある意味では真面目に責任を感じてやり過ぎてい る。いまの医学教育の世界、先進的な大学の動向をよく知らないのです。そこに大きな問題があります。アメリカが理想ではないけれども、アメリカと日本の医 学生を比べると能力が雲泥の差だと言われているのは残念です。単に彼らが4年のカレッジを卒業して4年制のメディカルスクールにはいっているというだけの 差ではなくて、カリキュラムが日本はまだまだ後進国のためです。医学部紛争であれだけ失敗を反省し、変えると闘った人たちが教授になっている年頃ですが、 立場が変わると自分の先生のまねをしていることは非常に残念です。

 そんな教育はだめだって言ってた人たちが、同じことをしているのですね。

 講座というのはタコ壷、医局はもっとじめじめしたタコ壷なんです。そこで生殺与奪の権を教授が持つ のです。教授を頂点とする階級制度が講座であり医局です。それを粉砕しようとした昭和40年代の卒業生が、いま教授になっている人たちなんです。やはり やっと教授になると権力がほしい、兵隊をほしいという本能が出てきたんです。あなたがたの年代が教授になった時には、決してそうではないようにぜひお願い したい。
 *医局講座制と いうのは人間の本能に近い組織なんです。しかし、いま大学は改革の波に直面しており、こんな講座を引きずっていたのでは大学全体がつぶれることにようやく 気がつきはじめて、講座を改変・再編成するという動きが出てきている。ナンバー内科、外科は患者さんへのサービスの点ではひじょうに不便です。第一内科が 何をしているのか患者さんは知らないわけです。もし専門でなくても、自分のところに患者さんを囲ってしまって、隣の科へ紹介することをできるだけしたくな いという本能がある。それでは患者さんが不幸になる。そこで患者さんにわかりやすい診療科として臓器別の再編成が各大学で検討されつつあるのではないで しょうか。

伊藤 いや、私は聞いたことがありません。

 患者さんにとって、臓器別診療科はサービスとしては今までのシステムよりは良くなっている。でも逆 に言うと内科がその臓器しか診ない、あとは知りませんということではやはり不幸です。そこで総合診療部の必要性が言われています。本当は内科が総合診療科 のはずなのでおかしいのですが、内科が狭い専門内科に堕落しつつある。また、卒前教育や研修医教育について考えても、この臓器別診療科は極めて狭い領域の 専門医、臓器医者をつくってしまう可能性がある、非常に警戒すべきものなのです。
 大学の使命はいい医師を育てることです。いい医師というのは専門医という意味ではなくて、9割がジェネラリスト、一般医です。あとの1割は専門医であ り、一般医から専門医へとリンクがうまく機能すればそれでいい。一方、がんやエイズ、新しい病気など未知の問題を解決するのが研究者です。国民は90数% が臨床医になってくれることを希望していますが、未知の問題を解決する人がゼロでは困る。自分の臨床医としての経験を通しての問題にチャレンジして臨床研 究者になる人も出てきてほしい。単にそつなく繰り返す臨床医はひじょうに重要ではあるし容易ではないけれど、その目、経験で問題を見つけて研究する時期や プロセスもあってほしいと思います。いい臨床医になって、さらにこれは私がチャレンジするんだという問題を見つけてほしいと思います。

医学生に必要な4つのこと

 医学生に必要なことは、まず単に頭が良い、記憶力が良いというだけではなく、人間の問題、とくに弱者の気持ちをいかに鋭敏に感知 するかという感性です。これは人間性ともいえる。同時になんとかしようという意欲と「やるぞっ」という気力。そしてそれを支える体力。自分より弱い人を救 済し幸福にするためにはその四つは必要です。一番恐いのは意欲、気力と感性がだんだん薄れてくること。それらを持ち続けるだけではダメ。ますます磨くこと です。

 いまの医学生は自分たちの感性を磨こうという意味で何かやってますか。

高橋 自主的なサークルがありますが、個人の努力になっているのが現状です。全国的なとりくみとして 「*全国医学生ゼミナール」があります。

 感性は講義を聞いているだけでは磨かれるものでは決してない。だれも教えてくれない。教科書には書 いてないし、教室や書斎に閉じこもっていたのでは身に付かない。体を動かし、人とお付き合いをして社会を十分知らないといい医者にはなれない。医療の世界 以外の同年代の人、あるいはお年寄りや子どもとも接する機会を持ち、人間の生きざまや心が書かれた小説を読む。恋もひじょうに重要です。テレビやインター ネットで情報を得るだけだはなくて、人間同士のお付き合いが医師としても人間としても極めて重要です。医学生ゼミナールであれ、前向きに積極的にとりくむ うちに自然と身につくものであって、人から教わるものでは決してない。教授の後ろ姿だけを見てたって何も出てこない。

 アメリカの医科大学は、入学の願書にボランティア活動の記録を書く欄があり、評価の対象になっていますが、ボランティア活動などはしていますか。

伊藤 はい、私がやっているのは*ALSの患者さんの夜間介護だけなんですけれど、ほかにもいろいろしているサークルがあります。

大学も実際に声を出せば変わっていく

高橋 患者さんの痛みがわかる、患者さんの立場にたてる医師になりたいとみんな共通して思ってますよ ね。なかなか外に出ていけない人たちはそれをくすぶらせている場合が多い。「何でもっと活発にやらないのか」というと、「テストとかで忙しい」という答え が多いのではないですか。

伊藤 そうですね。テストが、出席が、進級が厳しくなり、どんどん自分が外に出て行く時間が減っていっている。かといって、大学の中で感性が磨かれる教育が用意されているわけでもない。

高橋 すごくいま、たくさんの学生がジレンマを抱えていると思う。このままではいけない、でもどうすることもできない、留年はしたくないと。

 試験が多い、厳しすぎると訴えるのは学生ができないからと教授は思っているかもしれませんが、教授 の教え方や試験の方法がまずいことも多いわけです。あきらめないで遠慮なく学生からも言うべきです。教授たちも必ず聞いてくれると思います。カリキュラム 委員会や、それ以外でも学生と教授の対話の機会というのはどこの大学にもあるのではないでしょうか。

高橋 鳥取大学ではつい最近に行われたという感じですね。学生会でとったアンケートをプログラムにして 学生の意識を示して先生方の委員会と懇談しました。また、学生が医学教育マニュアルを勉強しながらアンケートをつくり、黒板の書き方とか、スライドやプリ ントの使い方など講義への要望や意見を出すようになりました。

 先生方の受け止めはどうですか。

高橋 懇談の際に「faculty developmentは世界的な流れではないか」という話をしたら先生はきょとんとされていましたが、その後になって大学内に faculty developmentのワーキンググループができました。実際に声を出せば変わると実感しています。やはり学生も、単に受け身でいるだけではなくて、医 学教育を受けている主体者として、どんどん言っていくべきなのだと感じました。けっして楽をしたいからではなくて、よりよく学びたい、という視点でもっと 学生もがんばっていきたいと思っています。

 うん、変わってきてよかったですね。山梨ではどうですか。

伊藤 私が知っている範囲では、カリキュラム委員会に学生が出ることはないと思います。10人ほどの「スモールクラス」の担任の先生と話や出かけたりする機会はあります。

 最近、大学側が、学生に教授の授業評価をやらせることがあります。それとは別にあなたがたが自主的 に授業を評価する項目をいろいろと考えて、クラスでまとめて、その先生に謹呈する。「先生の先週の評価です」と。あげつらうとか対立関係ではなくて、少し 参考にしてくださいといった感じで出せば、有効な方法ですよ。

 「今週のベストレクチャー」とか。

伊藤 私たちの大学でも、低学年の授業評価のアンケートは学生がつくっています。今度は私が臨床実習の評価アンケートをつくろうと考えているのですが、やはりなかなか、項目などを考えるのが大変です。どのようにしたらよいか…。

 よかったことを多くとりいれながら、あなたがたの授業評価を毎時間あとで先生に謹呈する。いろいろ学生のほうも知恵を働かせて、突き上げるのではなく平和にすると必ず効果がありますよ。いま、大学は自己点検評価を迫られています。これはぜひ利用したほうがいい。

医師を選んだことに希望と誇りをもとう

 最後に医学生にひとことお願いします

 あなたがたは「自分のため」ではなくて、「国民のため」にいい医者になってほしいし、国民を代弁し てクライアントとしての前向きな意見を先生たちに訴えてほしい。授業評価もそうですよ。そのためのクラブ活動をつくったらどうですか、「授業をほめる 会」。学生はみな喜んで入ってきますよ。

伊藤 「ほめる会」。いいネーミングですよね。

 あまりひんしゅくをかったり、突き上げはしたらいけません。けれど、授業にあきらめないで。とにか くあきらめがお互いに一番不幸です。国民が後ろにいるわけです。選ばれた毎年8000人の中の一人です。1億2000万の国民の代表です。みなさんは良い 医者になって、国民の健康を背負って立つべき人たちです。いい職を選んだと、ぼくは思います。希望と誇りをもってやってください。医師というのはいい天職 ですよ。それには、まず知性、健康な体力・気力と意欲、感性をつねに自分で磨いていかれれば幸いだと思います。

一同 どうもありがとうございました。


対談を終えて

自信を与えていただきました!
●高橋賢史さん
医学教育学会の前会長とお話ができるなんて、すごく緊張しました。なかには学生ダメ論をふりかざす先生がたもいらっしゃるので、「こんなことを言ってもい いのだろうか」というように学生にも自信がないのです。それを今回、すごく自信に変えていただきました。私たち学生も学びたいという正当な思いからどんど ん声をかけていっていいのだと。今後、全国の医学生のカリキュラム改善の活動をすすめていくうえで、励みになりました。

大学の先生たちも悩んでいるんだ!
●伊藤末さん
一年間の臨床実習で、先生方と対話する機会もあまり持たず、ただ一方的に「大学の教授はわかっていない」と思いこんでいたので、大学の先生もどう教えるか 悩んでいるんだということを知りすごく勉強になりました。これから私も「臨床実習を考える会」で学生が教える側を評価するアンケートをとったり、*SP研究会の方をよんでワークショップを開く予定ですが、そういう活動に踏み切る勇気を与えていただいた気がします。こんなに柔軟に私たち学生のことを理解してくださるすてきな先生にお会いでき、本当に幸せです。


*BST……bed side teachingの略。医学生の病棟での実習を総称してこの表現を用いることが多い。BSL(Learning)という表現を用いることもある。

*GP……General Practitioner。一般医。日本では、臓器(耳鼻科・眼科・皮膚科など)専門別ではない開業医を指すことが多いが、歴史的にも国際的にもその定義はあいまい。

*医学教育学会……正式名称は日本医学教育学会。大学紛争の解決のために召集された全国医学部長病院長会議の発案で、医学教育に関わるスタッフがお互いに 情報を交換し、研究し、勉強して教育能力を身につけための学会として1969年に発足した。毎年1回の学術大会を開催している。今年は7月26、27日に 仙台で開催される。
●問い合わせ先――〒980-8574 仙台市青葉区星陵町2―1東北大学医学系研究科免疫・血液病制御学 第32回日本医学教育学会大会事務局 電話022―717―7164

*OSCE……Objective Structured Clinical Examinationの略。和訳は客観的臨床能力試験。医師教育分野に導入されつつある実技の実習および評価方法。

*クリニカル・クラークシップ………医学生が医療チームの一員として実際の患者診療に従事しながら、指導医の指導・監視のもとに許容された一定範囲の医行為を行い、医師になるために必要な知識、技能、態度や習慣を身につける実習方法。

*系統講義……疾患を系統的に教育するための講義。解剖・生理・病理・臨床などを解説していく。

*テュートリアル教育……問題立脚型学習にもとづいた小グループ学習により、自己学習への動機付けを高め、問題自己解決能力の向上をめざした教育法。

*医局講座制……ある分野(内科、外科等)ごとにスタッフが集まった組織の集合体として医学部全体を構成する伝統的方式。教授、助教授、講師、助手などの 役づきスタッフとともに多くの医局員がいる。この医局ごとに診療、研究、教育を行っている。

*ALS……筋萎縮性側索硬化症。神経難病。

*SP……Simulated(standardized)patient。(標準)模擬患者。現在、日本では医療面接の教育に参加する市民ボランティアが多い。

Medi-Wing 第17号より