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ニュース・プレスリリース

医療研究室 必要な時、必要な人に医学の進歩が役立つために

福岡民医連 森田信彦医師
【福岡・米の山病院 眼科医師】

パイロットの目から生まれた眼内レンズの保険適用まで

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装着された眼内レンズ(実物)

 白内障が進行して視力低下が生じると、手術以外に視力回復の方法はありません。手術で濁った水晶体を取り除くと、度の強い生来の凸レンズがなくなるため 通常、高度の遠視眼となります。術後視力を矯正するには、高度の凸レンズの眼鏡かコンタクトレンズが必要です。しかし、強度の凸レンズでは、実物より 30%も大きく見え視野も狭くなります。コンタクトレンズも取り扱いが面倒で、高齢者が多い白内障では問題点が多いものでした。それでも、全く見えないよ りましであるということで、手術は人口の高齢化の進行と共に数が増加してきました。眼鏡、コンタクトレンズの不自由は、ものが見えなくなる不由由を克服す るためにはしかたのないことでした。これらの欠点を解決したのが、眼内レンズの開発でした。
 眼内レンズの始まりは、第二次世界大戦中、英国空軍の眼球に刺さった戦闘機のアクリル樹脂製風防硝子の破片が眼に炎症反応を起こさなかったことより着想 されました。1949年にはすでに人体に応用され、様々な改良の結果、1970年代後半には、ほぼ現在の形の手術(顕微鏡手術、超音波手術)に対応する、 品質のよいレンズが開発されました。
 日本では、現在毎年20万件以上の眼内レンズ手術が実施されて、すでに数百万人の人々が、明るい生活ができるようになっています。しかし、健康保険で認 められたのは1992年で、それまでは、10~15万円の自費診療で、本来疾患の好発年齢である高齢者(いちばんこの治療を必要としている世代)にとって は重い負担でした。
 眼内レンズの保険適応を求める運動は、1980年代後半よりおこり、全国の老人クラブ、多くの市民団体を含んだ広範な国民運動に発展しました。民医連も 当初よりこの運動に参加し、多くの職員が、患者会、地域の集会、自治体への請願活動の中で活発に活動してきました。運動の発展の中で、はじめは無理解で あった多くの地方自治体を動かし、ついに国も動かしたのです。眼内レンズの保険適応に向けた運動は、医学、科学の進歩が、正しく国民の福利に役立つために 政治はどういう役割を果たさなくてはならないかを示した事実と考えます。

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Medi-Wing 第5号より

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