いつでも元気

2014年2月1日

元気スペシャル  〝原発とめまっしょい” 全国の力をあわせて

genki268_01_01
元気よく「脱原発」を訴える愛媛大学の学生たち。今春から民医連で働く学生や、大学OGの民医連職員の姿も

 一二月一日、愛媛県松山市で「NO NUKES えひめ 福島を忘れない! 伊方を稼働させない!」(「伊方原発をとめる会」主催)が開催され、全国から約八〇〇〇人が集いました。
 昨年九月から国内の原発はすべて停止していますが、電力の供給は間に合っています。それにもかかわらず、四国電力の千葉昭社長は「年度内には」と再稼働一番乗りへの意欲を隠していません。
 午前一〇時からおこなわれた第一部の開会あいさつに立ったのは、「伊方原発をとめまっしょい☆若者連合」の代表・アユム☆グリーンレモンさん。「県内で は再稼働反対の採択をした町議会もあり、この愛媛でも変化が生まれてきています。今日の集会ではみんなの思いを共有しあって、発信しましょう」と呼びかけ ました。
 舞台では首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんや、「さようなら原発一〇〇〇万人アクション」の鎌田慧さん(ルポライター)、国会議員の笠井亮さ ん(日本共産党)・吉川元さん(社民党)・山本太郎さん(無所属)、ミュージシャンの三宅洋平さんのほか、県内で脱原発の活動を続けている人などが発言し ました。

会場彩るハンカチ

genki268_01_02
願いを込めた黄色いハンカチ

 会場は、手作りの食べものを販売する屋台がずらり。「音楽を聴き、安全なものを食し、語りあい、家族連れで参加できる集会に」との主催者の思いが込められています。
 愛媛医療生協も屋台を出し、組合員さんによる「ばら寿司おにぎり」を販売、健康チェックコーナーも設けました。同法人では集会にむけて、全支部・職場が 黄色いハンカチに脱原発への思いを寄せ書きする「黄色いハンカチ運動」を実施。この日も「子どもに明るい未来を」「再稼働やめて」などのメッセージが書か れたハンカチが、会場を彩りました。

大学内で「考える会」

 「本当に全国から集まりましたね」と笑顔をこぼすのは、愛媛生協病院の事務職員・酒井恵さん(24)。大学三年の春休みに東日本大震災と福島第一原発事 故が起き、すぐに「伊方原発を考える会」を大学内でつくりました。それ以降、「伊方原発をなくしたい」との思いで活動を続けてきました。
 「伊方町は原発がないとやっていけないと言われますが、原発がなくても地域を活性化できる方法を考えたい。たとえば自然エネルギーの発電所をつくり、送 電線は今あるものを活用する。事故の危険性におびえながら暮らすのはもう嫌です。これからも声をあげていきたい」と酒井さん。 
 午後からの第二部では、「伊方原発をとめる会」の草薙順一事務局長が開会あいさつ。「原発と人類は共存できない。私たちのねらいは、伊方原発のみなら ず、この地上から原発を排除すること。本日お集まりのみなさまの心意気をむだにすることなく、再稼働阻止のために全力でたたかう」と力を込めました。

命尽きるまで

 鎌田慧さんも、伊方原発立地当時について触れ、「原発は裏切りと嘘と、それによる犠牲者を出してはじまった」と告発。原発用地として土地の売却を執拗に 迫られた結果、地主家族の一人が自殺した事件について語りました。鎌田さんは「安倍政権を倒して、民主主義の道に突き進もう」と呼びかけました。
 集会の最後には、伊方原発に近い八幡浜市で活動する斉間淳子さんが「伊方の人たちは、『核と人間は共存できない』を合い言葉にたたかってきた。私たちは ふるさとをなくしたくありません」と発言。斉間さんが「命尽きるまで“原発いらない”の声をあげ続けたい」と話すと、会場は大きな拍手に包まれました。
 集会後は音楽とともに松山市内を歩く「サウンドデモ」。雨が降るなか、「伊方原発とめまっしょい♪」とコールしながらアピールしました。

文・宮武真希記者/写真・豆塚猛

避難者の権利を守る

福岡・佐賀民医連

 東日本大震災と福島第一原発事故によって福岡県内へ避難している方々は、三二八世帯七二五人 (二〇一三年一〇月現在)とされています。しかし、避難区域以外からの避難者や罹災証明などを持たない方々の数は把握されておらず、そのうえ自主避難者へ の公的支援策はほとんどないのが実態です。
 福岡・佐賀民医連が支援して立ち上げた避難者グループ「ふわりネットワーク・福岡」が避難者にアンケートを実施したところ、八割を超す避難者が、避難後 の家計が「非常に厳しい」「厳しい」と答えました。健康状態についても七割が「悪いときあり」「悪くなった」と回答し、心の調子は「不安定」「きつい」が 四割を占めました。
 また、乳幼児や未就学児を持つ家庭が多く、夫婦関係について三割が「不和となった」と答えています。
 当県連が懇談した避難者の願いは、理念法にとどまっている「原発事故子ども被災者支援法」(二〇一二年六月成立)を実質化し、避難する権利が認められる ようにしたいというものでした。避難者と「原発事故子ども被災者支援法福岡フォーラム」を開催し、避難者の声をまとめた要望書を復興庁へ提出しました。
 そのほか、支援法の早期具体化を国に求める意見書の請願活動(県内約三分の一の自治体が採択)や、「九州沖縄避難者ネットワーク」設立準備会の開催、 「さよなら原発! 一一・一〇九州沖縄集会」での「避難者交流ひろば」設置などにもとりくみました。

相談・交流会で見た涙

 避難者からの要望を受けて実施した県連主催の相談・交流会では、「被ばくを心配して病院に行っても、話を聞いてもらえなかった」という悲痛な体験が話さ れる一方、「避難者同士がつながることができて、うれしくて涙が止まらなかった」との感想もいただきました。
 甲状腺エコーの集団検診を二回とりくみましたが、「不安でどうしたらよいかわからなかったので、とてもありがたい」などの感想が寄せられました。
 検診を受けた一一七人のうち、B判定(要二次検査)が七人いらっしゃいました。今後の経過を把握しながら、しっかりフォローすることが重要だと思います。
 避難者の生活困窮の度合いは深刻さを増し、生活保護を受給する世帯も出てきています。また避難者は「もし経済的な悩みが減ったとしても、被ばくしたという健康不安は一生消えない」と打ち明けます。
 避難者を支援する活動は、生存権・健康権を守る長期におよぶたたかいとなるでしょう。その際のキーワードは「寄り添う」ことだと思います。
 避難者の権利を保障するためにも、原発推進政策の反省と転換が絶対に不可欠です。脱原発の世論と運動を盛り上げ、再生可能エネルギーへの転換を求めていく総合的な目と構えをもってとりくんでいきたいと思います。

文・入江敬一  (福岡・佐賀民医連 事務局次長)

幅広い市民と連帯

石川・どいね☆原発

 金沢から北へ50キロ、能登半島の付け根に北陸電力志賀原発があり、ひとたび事故が起これば、私たちもただではすみません。そこで「何かしなければ」と 思った人たちが、ツイッターやフェイスブックで呼びかけあって2012年7月6日の金曜日から行動をはじめました。これが「どいね☆原発」です。
当初は北陸電力前でリレートークなどをおこなう集会でした。夏には浴衣、秋にはハロウィンの仮装など、参加者がそれぞれ工夫しながらアピールしました。 2012年11月からは、場所を金沢駅東口(もてなしドーム)に移し、対話と宣伝を中心にしています。
 「原発は、必要だ/いらない/わからない」と書いたボードにシールを貼ってもらう街頭でのアンケートでは、7割の方が「原発はいらない」と回答してくれ ます。しかし、「電気が足りなくなる」「経済がなりたたない」などと言って、「必要」に貼っていく人もいます。また、原発が現在1基も動いていないことを 知らない人もまだまだ多くいます。小泉元首相の「原発ゼロ」発言後は、一番反応が弱かったサラリーマン層の関心が高まったようにも感じています。

みんなで話しあいながら

 毎週の行動には、20~30人が参加しています。私も2回目から参加し、ほかの用事が入らない限り参加を続けています。1年半経った今でも、毎週顔を合 わせるけれど、名前を知らない人がいます。参加者同士は、行動中はなかなか話せないので、フェイスブックで友だちになって情報交換をしています。暑い日 も、吹雪の日もいっしょに行動してきた連帯感で、仲間同士つながっています。
 実行委員と行動参加者との懇談も随時開き、どうやって活動を広げていくか、どんなことをしたいか、話しあいながらとりくんでいます。全国と連帯し、「すべての原発廃炉」の日までがんばっていきます。

文・普照明典(石川・城北クリニック事務長)

いつでも元気 2014.2 No.268

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ