いつでも元気

2013年10月1日

特集1 福島を想う 笑顔あふれるリフレッシュ企画──青森

 福島第一原発事故は、今なお被災者たちの暮らしや心に大きな影響をあたえています。故郷を追われた人、被災地で暮らそうと決めた人、それぞれの思いを紹介します。
文・安井圭太記者

「いっぱい遊びたい」

 八月一~三日、青森・八戸医療生協が福島県民医連の職員・家族・子どもたち総勢一八人を招いて、「リフレッシュ企画」をおこないました。

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八戸三社大祭

 初日は二七台もの大きな山車が披露される「八戸三社大祭」を見学。まだ緊張しているのか、子ども同士で会話する姿はあまり見られませんでしたが、宿泊先でおこなった夕食交流会では、ビンゴゲームなどで盛り上がりました。
 母親が郡山医療生協職員の峯田来倖ちゃん(8)は、祖父母といとこの千尋ちゃん(9)と参加。来倖ちゃんは交流会で「私の小学校は震災で校舎が使えなく なって、今は校庭にできた仮設教室で授業を受けています。今は(線量が高いので)体育も遊びも外でできません。だから、八戸でいっぱい遊びたい」と、あい さつしました。
 翌日はコースに分かれて行動。来倖ちゃんは種差海岸を散策し、ウミネコの繁殖地として有名な蕪嶋神社を訪れました。放射性物質を気にせず外で遊ぶのは久 しぶりで、千尋ちゃんと大はしゃぎ。「笑いすぎておなかが痛い」と元気いっぱいの笑顔を見せてくれました。

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種差海岸を散策中の来倖ちゃん(左)と千尋ちゃん

原発があたえた多くの影響

 高橋瑞穂さん(郡山医療生協)は息子の寛太くん(12)と、奥入瀬渓谷の散策と十和田湖遊覧 コースに参加。「桑野協立病院周辺の除染された地域では、セミの鳴き声を聞くことや蝶を見ることもありません。この子に今の福島が “ふつうではない”ということを伝えるために参加しました」と話します。
 瑞穂さん親子は、東日本大震災の前に福島県須賀川市から岩手県に引っ越すことが決まっており、被災した直後に住居を移しました。引っ越し先の内陸地は震 災被害があまりなく、「安全な生活を始められる」とほっとしたそうです。
 しかし転校先の学校で寛太くんがいじめにあい、次第に登校できなくなってしまいます。寛太くんは何とか新しい環境にとけこもうと努力しましたが、おとな たちを含む“震災や原発問題による心の傷に対する無理解”がいじめの原因になりました。
 学校にもいじめをなくすように協力を求めましたが状況は変わらず、寛太くんは「ここでは生きていけない」と思うまで追い込まれてしまいました。
 「大好きな職場だったので辞めたくなかったし、原発の問題があるのでとても迷いました。でもこれ以上つらい思いはさせられないと思った」と瑞穂さん。す ぐ仕事を辞めるわけにはいかないので、寛太くんを須賀川市の両親に預け、約一年間、離れて生活することを決めました。
 寛太くんは震災のショックといじめによって気弱になり、体力も落ちて体調を崩すことが多くなっていました。しかし須賀川市に戻って以前通っていた学校に 通学し、信頼する元担任の先生のクラスに入ることができ、徐々に元気を取り戻しました。

 「この子の将来が心配だし、私もいつ放射性物質の影響が出るのか不安になることがあります」と 瑞穂さん。「被災者をこれだけ苦しめているうえに、今も原発では汚染水がたまり続け、海に漏れ出している。そんななかで原発の再稼働や海外輸出なんて許せ ません」と話してくれました。
写真・野田雅也

「みんなの手」 京都と福島をつなぐ──京都

 「みんなの手」発足直後に、京都と福島の間をバスで運行する「家族再会プロジェクト」を企画。「離れ離れになった家族をお正月に引き合わせてあげよう」と、京都新聞社会福祉事業団の助成金に支えられ、ほかの支援団体とも協力して開催しました。
 翌年の夏には「お友達に会いたい」という子どもたちの声を受け、福島の子どもたちを京都に招く「同級生再会プロジェクト」も企画。福島からは三〇人の子 どもが参加し、再会を喜ぶ子どもたちを見て、保護者たちも涙を流しました。
 子どもたちはバーベキューやキャンプファイアー、プール遊びなどで楽しい四日間を過ごし、「久しぶりに友達と遊べてうれしかった」「子どもたちがマスク をつけずに思いっきり遊ぶ姿に、涙が出た」などの感想が寄せられました。
 家族再会プロジェクトは「この企画があるから京都に避難してきた」という人がいるほどで、これまでにお盆と正月にあわせて四回おこなっています。
 このプロジェクトは当初、福島にいる家族が京都を訪れるケースが大半でしたが、最近は京都から福島に帰省する家族が増えています。西山さんは「やっぱり 時間が経つにつれて、故郷に帰りたいと思うんでしょうね」と、自らの思いを重ねて寂しそうに話します。

避難者との架け橋の場に

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みんなのカフェ

 昨年、避難者の声を伝えるためにおこなったイベントで、フランス財団から「避難者が情報を発信したり、集まったりできる場所づくりをしてはどうか」と提案を受けました。
 「避難者が集まるだけでなく、地域住民とのつながりをもつために」と、今年五月に「みんなのカフェ」をオープン。ワークショップ(体験型講座)などもお こない、八月六日には福島で“浪江やきそば”の屋台販売をしている方を京都に招いてお祭りも開催しました。
 西山さんは「本当は福島に帰って震災前の生活がしたい。きっと福島県民は同じ思いでいると思います。福島が再生できるよう世界の英知を集め、みんなで福 島の未来を考えてほしい。なぜならこれは福島だけでなく、世界中に関わる問題だからです」と話します。「やはり遠く離れていても故郷が一番。“福島”を発 信していくのが私のライフワークです」と力を込めました。
写真・豆塚 猛

いつでも元気 2013.10 No.264

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