いつでも元気

2013年6月1日

座談会 民医連60周年 いのち輝く平和なみらいへ 理念と歩みに確信を持ち、さらなる飛躍築く年に

 全日本民医連は今年の六月七日で、結成六〇年を迎えます。「Fly High! 切り拓こう いのち輝く 平和な未来へ」がスローガン。
 民医連が六〇年間大切にしてきたことは何か。どんな六〇周年にするのか──全日本民医連会長の藤末衛さん、同副会長の柳沢深志さん、共同組織全国連絡会 代表委員の小森佳子さん、東葛病院看護師の菅野美希さんが語りあいました。

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藤末 衛さん
全日本民医連会長。兵庫・神戸健康共和会理事長、内科医

柳沢 民医連も六〇周年、人間で言えば還暦です(笑)。九万人を超える職員と三五七万人の共同組織を抱える大きな組織に発展したことを喜びたいと思います。
 この一〇年間だけを振り返っても、民医連は激動の時代と格闘してきました。東日本大震災・原発事故の被災者支援、医療・介護崩壊打開の運動、水俣病大検 診、原爆症認定集団訴訟の支援。無料・低額診療事業も「必要性は薄らいだ」とする国の政策に抗して認可事業所を広げ、無差別・平等の医療を実践するたたか いと言えます。確信にしたいですね。
藤末 私は民医連に対する社会的信頼が高まってきたと感じます。格差・貧困問題や医療・介護制度などの問題で「現場から実態を告発する」存在としても注目されています。「国保など手遅れ死亡事例調査」「歯科酷書」など、民医連の調査がテレビで紹介されることも増えました。
 先日も、「TPP問題で医療はどうなるのかイメージが持てないのでアドバイスを」と、テレビ番組のディレクターが私を訪ねてくるなど、社会情勢上、重要なポイントでの取材が増えています。
柳沢 民医連以外の団体・個人との、幅広い共同も広がりましたね。大学医学部の定員増を実現(二〇〇九年)した「ドクターウエーブ」のとりくみも、多くの団体・個人と共同して「医師は絶対的に不足しているんだ」と訴え、国民世論を変え、政治を動かしたたたかいでした。
 東日本大震災の被災者支援や脱原発の運動でも奮闘し、“友人”が増えました。

共同組織のとりくみにも変化

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柳沢 深志さん
全日本民医連副会長。石川・城北病院副院長、内科医。全日本民医連60周年記念事業実行委員長

小森 共同組織のとりくみも変わっています。とくにここ数 年、「安心して住み続けられるまちづくり」をめざして、全国で「どんな地域をつくるのか」ということに目を向けたとりくみが強まっています。共同組織の仲 間だけではなく、地域のだれもが参加できる居場所づくり、サークル活動などが広がっているんです。
 ヘルスコープおおさかでも、組合員さん宅や一軒家などを借りた居場所づくりをすすめ、「誰もひとりぼっちにしない」地域を広げようとがんばっています。
柳沢 菅野さんは入職して何年ですか。
菅野 この四月でちょうど丸一〇年です。入職後は看護師として独り立ちするために必死でしたが、最近、よりよい医療・介護のためには社会情勢にも目を向けなければならないことが見えてきました。
 看護師不足だからこそ看護師増員の運動が大事ですし、管理部研修で福島に行き、「除染が進まず、子どもたちが外で遊べない」と聞き、東京民医連の各事業 所で国・東電の責任で除染するよう求める署名を集めたこともあります。
 私たち看護師は「親切でよい看護をしたい」と思っていますが、思いだけでは成り立たないことがあると感じます。経済的問題を抱える患者さんの相談にのる ことも増えました。差額ベッド料金をとらないことも、続けていきたいですね。

根底にある「運動」「事業」「哲学」

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小森 佳子さん
ヘルスコープおおさか・常務理事。全日本民医連共同組織活動交流全国連絡会代表委員。全日本民医連60周年記念事業実行委員

柳沢 民医連が発展し、社会的信頼を得てきた原動力を、会長はどう見ますか。
藤末 民医連が大事にしてきた「運動」「事業」「哲学」における一貫した姿勢が、根底にあると思います。
 第一に「運動」では、憲法と国民皆保険を重視し、患者さんや利用者さんの権利を守るために、政治を変えることにも挑戦してきました。憲法二五条の「健康 で文化的な最低限度の生活」を保障する社会の実現を真剣に考えてきた六〇年でした。
 第二の「事業」では、非営利・協同で医療・介護事業を進めてきました。病院・診療所・介護施設などの建設・運営・事業展開を、住民参加でおこなう。「も うけ第一」ではなく、もっとも困難な人々に寄りそう姿勢を貫いてきました。
 第三の「哲学」では、人権思想に基づく医療観を大事にしてきました。病気には遺伝や生活習慣だけでなく、長時間労働や生活背景など社会的要因が関わって います。民医連は生活と労働の場から患者を診ることを重視してきました。
 そして医療を患者さんとの「共同の営み」として位置づけてきました。二〇〇〇年以降、ここに介護もくわわって、人権を守る医療・介護の実践を重ねてきたことも民医連への信頼・共感を広げてきたと思います。

民医連の「よいところ」発見を

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菅野 美希さん
千葉・東葛病院(東京民医連)回復期リハビリテーション病棟看護師長

柳沢 そう言えば小森さんは、民医連職員だったとか。
小森 学生だった一九六二年、受付事務の手伝いを頼まれて診療 所に行ったのがきっかけです。共同組織とあわせて通算五〇年ですね(笑)。まだ国民皆保険ではなく、「お金がない」「食べるものがない」人がたくさんいま した。路上で倒れていた人が運び込まれたり、「見に来てほしい」と呼ばれたり。命を救おうと必死でした。今で言う無料・低額診療事業のようなことをしてい ました。
 民医連の先人は、たいへんな苦労をしながら、すばらしい活動をしていたと思います。民医連には差額ベッド料金をとらないだけでなく、もっと「よいとこ ろ」がある。若い職員のみなさんも民医連の「よいところ」をたくさん見つけて、民医連運動の先頭に立ってほしいですね。
柳沢 訪問看護も、診療報酬がつかないころからどんどんやっていたのですよね。
小森 毎日のように看護師と事務がいっしょに血圧計をもって地域をまわり、気になる人を見かけたら「お困りのことはありませんか」と声をかける活動もしていました。民医連なら、どこでも同じようなことをやっていたと思います。

1人ひとりが参加する60周年に

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柳沢 民医連の存在意義や歴史を振り返り、職員・共同組織みんなで確信にしあうために、六〇周年記念事業実行委員会では自分と民医連のかかわりを振り返る手記の募集や、「民医連遺産」エントリーなども計画しています(表)
 ほかにも、創立記念日(六月七日)に全国いっせいにメッセージカードつきの風船を飛ばしたり、各県で事業所の成り立ちを振り返るDVDをつくったり。東 葛看護専門学校の校長だった三上満さんの記念講演も企画しています。
菅野 私は東葛看護専門学校の卒業生なので、聞いてみたいですね。風船を飛ばす企画も参加しやすく、面白そうです。
小森 私は民医連(事業所)のルーツを職員・共同組織でいっしょに調べ、学び、記録に残すとりくみをしたいですね。共同組織でも民医連を知らない人は多いし、職員にも地域を深く知ってほしい。地域に民医連を知らせる機会にもしたい。
柳沢 病院は知っていても、民医連と言われてピンと来る人は少ないですからね。
小森 一般の医療機関・介護施設とどこが違うのか、民医連綱領を学び直す機会にもしたい。無差別・平等の医療・介護をめざす組織の一員として「何かあったら、気軽に相談してね」という「おせっかい」をやきながら、着実に歩を進める職員・共同組織でありたいと思います。
藤末 事例や実感をもとに何度も学び直すことが大事ですね。私の法人(神戸健康共和会)でも、民医連の運動方針を事例から深める試みをしています。
 無料・低額診療事業でも、実際に患者さんを救ったという実感があってはじめて職員の確信になっている。運動方針や綱領も、事例から繰り返し体感するとりくみが必要ですね。
菅野 どう綱領をつかみ直して、職員に伝えていくのか。私も育てられる側から育てる側になりましたから、まさに工夫しなくてはと思っているところです。
柳沢 国が憲法を変え、戦争できる国にし、社会保障を受ける権 利も制限しようとしている今だからこそ、人権とは何か学び直し、民医連の綱領や理念を学んで育ちあう人づくりが大事だと思います。職員・共同組織一人ひと りがどんな六〇周年にするのか考え、形にするようなとりくみを広げたいですね。 写真・酒井猛

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 いつでも元気 2013.6 No.260

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