いつでも元気

2013年2月1日

元気スペシャル 「俺たちは使い捨て」 福島第一原発の労働者たち ジャーナリスト・布施祐仁

 「もうちょっと現場の人間が報われてもいいと思いますよね。線量パンクしたら俺たちは使い捨てですから」
 二〇一二年五月、福島県いわき市の湯本温泉で出会った労働者は、居酒屋のカウンターで酒を飲みながらこうこぼした。

命がけで現場に

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最も線量の高い3号機でタングステンベストを着用して作業する作業員たち(2012年、作業員提供)

 線量パンクとは、積算被曝線量が各元請け企業が定めた上限を超えてしまうことだ。四〇代のこの 男性は、いまは警戒区域内の除染作業に従事しているが、3・11のときは福島第一原発(イチエフと呼ばれる)で働いていたという。その後、一時避難した が、四月初めから再び原発に戻り、事故の収束作業に加わった。
 「避難先でテレビのニュースを見ながら、『(原発の)現場を知っている自分がやらなければ』と思ったんです。それで、社長にお願いして、イチエフの仕事 をとってきてもらいました。最初の頃はみんなピリピリしていて、ケンカもしょっちゅう。あんなところ、やはりまともな精神じゃ行けませんからね。自分も正 直、死を覚悟していました」
 二〇一一年の四月初めと言えば、私が初めて、事故対応の拠点となっているJヴィレッジ(楢葉町)を訪れた頃だ。あのときに見た、原発へ向かう作業員たちの重く張りつめた表情を思い出した。

警報が鳴っても止まらない作業

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早朝5時頃、Jヴィレッジへと向かう貸切バスに乗り込む作業員ら(2011年、筆者撮影)

 死をも覚悟し、命がけで事故収束の現場に向かった労働者たちを待っていたのは、ずさんな安全管理と賃金や危険手当の酷い“ピンハネ”であった。
 事故発生からまもない三月二四日、福島第一原発三号機タービン建屋の地下で電源ケーブル敷設作業に当たっていた関電工の社員二人と同社下請けの作業員一 人が、高濃度汚染水の水たまりに足をつけて作業をし、約一八〇ミリシーベルトもの被曝をする事故が起こった。この現場にいた別の作業員の話によると、東京 電力の社員がやってきて空間の放射線量を測定したところ毎時四〇〇ミリシーベルトあったため、すぐに撤退していったという。それにもかかわらず、現場監督 である関電工の社員らは、作業の継続を指示した。
 このように、被曝の限度を超え、胸につけた線量計(APD)の警報が鳴ろうがお構いなしに作業を続行したという話は、私もたびたび耳にした。

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コンクリート圧送車で燃料プールに注水し、4号機を冷却する(2011年撮影、作業員提供)

 「行かされるだけ行かされて、線量いっぱいになったら放り出された感じです」。こう語ったのは、福島第一原発のある双葉郡出身の二〇代の下請け作業員である。彼は、わずか二週間足らずで元請け企業が定めた線量限度に達してしまい、イチエフで働けなくなってしまった。
 彼は、「現場では、死ぬかと思う場面が何度かあった」と振り返る。
 ある日、地下に高濃度汚染水がたまっているタービン建屋内で汚染水を汲み上げるホースの切り替え作業をおこなった。
 汚染水を汲み上げる開口部に近づいたときだ。持参した一〇〇ミリシーベルトまで測定できる機器の針が振り切れてしまい、APDも当たり前のように警報が 鳴りだした。しかし、現場監督を含めて誰も、作業を中断して撤収しようとは言い出さなかった。
 「みんな完全に感覚が麻痺していましたね。あの時は、地元のため、家族のため、仲間のためと思い無我夢中で作業しましたが、今思うとかなりヤバイ現場だったと思います」

横行する被曝隠し

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Jヴィレッジから福島第一原発へと向かう作業員ら(2011年4月、筆者撮影)

 事故の収束作業には、「原発未経験」の労働者も数多く投入された。
 原発では、労働者を放射線管理区域で働かせる場合、事前に事業者の責任で放射線に関する知識や防護具の装着方法などについて教育することが法令で義務付 けられている。東電は通常、五時間の講習を実施しているが、今回の事故収束作業では、三〇分程度の簡単なガイダンスをおこなっただけで労働者を高線量・高 汚染の現場に送り込んだ。そのため、全面マスクの着け方がよくわからず、リーク(空気漏れ)したまま作業をする労働者も少なくなかった。なかには、現場で 全面マスクを外してタバコを吸ったり、飲料水を飲む労働者もいたという。内部被曝による将来の健康被害が懸念される。事前教育がしっかりとおこなわれるよ うになったのは、事故発生から三カ月たってからで、東電や元請け企業の責任は重大だ。
 二〇一二年七月、事故収束作業に従事した下請け作業員数人が、親会社の役員の指示でAPDを鉛のカバーで覆う「被曝隠し」をおこなっていたことが発覚し た。「被曝隠し」については、私も取材のなかで何度か耳にした。ある作業員は次のように証言した。
 「現場に向かう前に作業用の靴に履き替えるのですが、そのときにAPDを脱いだ自分の靴のなかに入れて、置いておくんです。でも、これは班の全員でやら ないといけません。同じ現場で仕事をしているのに、(APDの)線量が違っていたらバレますから。一人でも拒否する人がいたらできませんね」。

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免震棟の入り口前で汚染測定の順番を待つ作業員の行列(2011年撮影、作業員提供)

 このような「被曝隠し」が起こる背景には、原発作業員が置かれている不安定な雇用状態がある。
 イチエフでは、事故発生から二〇一二年一〇月末までに約二万五〇〇〇人の労働者が事故収束作業に加わっているが、そのうち約八五%が下請けの作業員であ る。下請けも、東芝や日立やゼネコンといった元請けの下に七次八次まで連なっており、その多くは、日給月給で社会保険にも加入していない非正規労働者であ る。何の保障もない彼らにとって、積算被曝線量が限度に達することは、仕事を失うことを意味する。そのため原発では以前から「鳴き殺し」と言って、高線量 の現場で作業する際に、線量計を線量が低い場所に置いていく「被曝隠し」が日常的におこなわれてきた。

危険手当までもがピンハネ

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免震棟の入り口前で汚染測定の順番を待つ作業員の行列(2011年撮影、作業員提供)

 重層下請け構造は、賃金の“ピンハネ ”の温床ともなる。これは、事故前からそうなのだが、事故後に桁違いとなった高線量・高汚染環境下の作業に対して支払われるようになった「危険手当」まで もがピンハネされている現状に、末端で働く多くの労働者が強い不満を抱いていた。
 ある労働者は、「建屋内には入らない」と会社から聞いてイチエフに来たにもかかわらず、水素爆発で吹き飛んだ一号機の原子炉建屋内で作業させられた。線 量が高いため、作業ができるのは移動も含めてせいぜい一五分程度。それでも、事故前の原発であれば一年かかっても浴びないような線量にさらされる。
 彼は給料の明細書を見て、目を疑った。日当は一万一〇〇〇円で、危険手当は一円もついていなかったのだ。彼は五次請けの業者に雇われていたが、当時元請 けは一人当たり二万円の危険手当を出していた。それを、あいだの五つの業者がすべてピンハネしていたのだ。「労働者に高い線量を浴びさせて、人の生き血を 吸って儲けている」と彼は憤っていた。
 当時に比べ、現在は東電が発注する単価も下がり、末端の労働者に支払われる賃金は、事故前の定期検査時よりも安くなっている。「これでは作業員がますます集まらなくなる」というのは、現場で働く労働者共通の声だ。
 これまで五〇人以上の原発作業員を取材してきて、最も多く耳にしたのが冒頭でも紹介した「俺たちは使い捨て」という言葉であった。事故収束のために命を 削って作業をしている人びとを「使い捨て」にする社会であってよいはずがない。

いつでも元気 2013.2 No.256

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